第386話 疫病の防壁
病気の原因となる黴菌を究明し、疫病を防ぐ研究を続ける、フランスの医師パスツール。
彼がポルタ東インド会社に招かれ、ワイン病対策に取り組む中で、完成させた低温殺菌法は、ユーロの公衆衛生を大きく向上させた。
彼の名声は高まり、彼と、彼に続く研究者たちが、病気を引き起こす黴菌の研究を進めていく中、顕微鏡の需要は高まる。
ニケがレーウェンフックを連れてポルタ城へ。
執務室に居たリラは、乗り込んで来たニケに「エンリ王子なら留守ですが」
「待たせて貰うわよ」
そう言って居座ろうとするニケに、リラは「当分、戻らないと思います」
ニケは「だったら、王子の居る第二執務室に案内して貰おうかしら」
「あの・・・・・・・・」
こまり顔になるリラに、ニケは言った。
「ねえリラ。こういう居留守はどうかと思うんだけど。私たち仲間よね?」
リラは、止む無くニケを、エンリの居る第二執務室に案内する。
決済書類が積まれたデスクに座るエンリと、ソファーにはニケ以外の部下たちも居る。
「という訳で、ここの事はもうバレてるみたいで・・・」
そう説明するリラに、エンリは「そうだろうね。この人はお金が絡むと、正体不明な特殊スキルが発動するものなぁ」
「私を何だと思ってるのよ。それで、顕微鏡の発明者としての権利料なんだけど」
そう言ってドアップで迫るニケに、エンリはうんざり顔で「勘弁してくれ」
ニケは「治療費に上乗せすればいいじゃない」
「だーかーらー、先に発明したのはオランダのサハリアス氏だって、何度言ったら・・・」とエンリは溜息混じりに・・・。
「しかも、そのサハリアスだって、顕微鏡の売り上げの何割とか、とってないぞ」とジロキチ。
「もし、そんなのがあったら、そこのレーウェンフック氏の顕微鏡だって、対象なんだからね」とアーサー。
ニケが連れて来たレーウェンフックも「私は自分が改良した製品が売れればいいと言ってるのですが」
「いい加減、諦めなよ」と、その場に居るニケ以外の全員が口を揃える。
ニケは主張した。
「けどサハリアス氏は、オランダ王室から報奨金は貰ってるのよね。だったら・・・」
エンリは溜息をつくと「解った。ニケさんの権利は国立病院からって事にしよう。そこの営業利益の一割って事でどーよ」
ニケは怪訝顔で「病院って、国民全員が治療を受けられるように・・・っていう、あの慈善事業計画よね?」
エンリは言った。
「慈善事業じゃないさ。伝染病は多くの患者を出すが、貧民は治療費を払えず放置というのでは、患者は増え続けて伝染病を根絶できない」
「けど、そういう貧民救済は教会の仕事よね?」
そうニケが言うと、エンリは「今まではね。けど、これからの医療は科学だ。それを教会の坊主が受け入れると思うか?」
エンリはポルタ大学医学部の附属病院を基に国立病院を立ち上げ、ポルタ各地にその分院を建てる事を計画していた。
医療局を民生局に統合した民生局医療部が、その仕事を受け持つ。
エンリは医療部長の執務室で、進展状況を問う。
「国立病院の計画はどうなっている?」
医療部長は「財務長官が予算が無いの一点張りでして・・・」
エンリは財務長官の執務室へ。
病院建設について問うと「そんな予算はありません」
「民に尽くすのが国家の義務だぞ」
そうエンリが言うと、財務長官は「では、その分をタルタ海賊団の費用の削減で。それと王子の宮廷費も」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
エンリは言った。
「千里の道も一歩から。何事も急いては事を仕損じる。医療の拡充は地道に行こう」
財務長官は脳内で呟く。
(自分の懐に響いた途端にこれかよ)
その頃、ニケは・・・」
アパートで目に$マークを浮かべてテンションMAX状態。
「国立病院の収益の一割が私のもの。顕微鏡の権利料でお金ガッポガッポ」
ポルタ大学医学部では、エンリが引き留めたパスツールの研究所が設けられ、彼が医学部の教授たちと共に病原体の解明に当っている。
エンリ王子と部下たちが、様子を見に訪れる。
「患者から採取した菌を観察し分類して、病気の原因となる菌を特定している所です」
そう説明するパスツールに、エンリは「その患者って?」
「こちらです」
そう言ってパスツールが示すガラスケースを見て、エンリ王子たち唖然。
「芋虫じゃないですか」とアーサーは、ケースの中で大き目の葉を食べている白く太った芋虫を見て・・・・。
タルタが「つまり、人間が芋虫に変身する病気」
ジロキチが「恐ろしや」
エンリ、あきれ顔で「そのボケはワイン病でやっただろーが」
そんな彼等にニケは言った。
「これは絹糸を作る蚕よ。絹は高く売れて儲かるから、人間より優先するのは当然よ」
エンリ、困り顔で「そんなのニケさんだけ」
するとパスツールは「いえ、それもあるんですけどね、人間の病気の治し方を確立するには、人体実験が必要になるんですよね」
「けどこの芋虫、何だかグロいわね」
そうニケが言うと、タルタは「こんなのただの虫だろ」
彼はひょいと芋虫を摘んでニケの目の前に・・・。
ニケは尻込み状態で「近付けないでよ」
そんなタルタにエンリはあきれ顔で「そういうのは小学生がやる事だぞ」
「タルタお子ちゃま」
そう言ってファフが囃し立てると、タルタは口を尖らせて「お前に言われたくないわ」
そんな彼等に、パスツールの助手らしき男性が言った。
「虫、可愛いですよ。新しい桑の葉をやると、すごく元気になるんです」
「あなたは?」
そうエンリが訊ねると、彼は自己紹介。
「蚕の病気の研究を手伝っている、昆虫学者のファーブルです」
「つまり、虫専門の博物学って事ね」とエンリ。
そんな彼等にリラが「とりあえずお茶にしません?」
リラが紅茶を出してあげる。
そしてファーブルが、お茶請けに串焼きの何かを・・・。
エンリは串焼きを食べながら「脂がのってて美味いですね」
「解ります?」と得意げなファーブル。
「けど形が何だかグロい」とニケが言い出す。
エンリも「どことなく芋虫みたいな」
するとファーブルが言った。
「芋虫ですよ。カミキリムシの幼虫です」
ニケが口を押えてトイレに駆け込む。
そんなニケを横目で見ながら、ファフは芋虫の串焼きをもぐもぐ。
「美味しいのに」
トイレから戻って落ち着くと、ニケはパスツールに訊ねた。
「それで、病原菌を特定したとして、どうやって治療法を?」
パスツールは「それなんですけど、ニケさんはインドで熱病を治すポーションを作ったんですよね?」
ニケはインドで熱病に対応した経緯を語る。
興味深げに話を聞くパスツール。
「魔法で作るポーションですか。けど、多くの国民のために大量に製造するには、科学的な製造法が必用ですよね。それで、ポーションの効果の要因って何なんですか?」
「病気から快復した者の体内因子よ。人体には病気への抵抗力が備わっていて、それが働く中で、その菌に抗う何かが産まれるのよ」
そうニケが答えると、パスツールは「出来れば現物を見たいのですが」
アーサーがマジックボックスからポーションを出す。
それをパスツールは観察し、そこに残る魔素を読み取る。
そして「効果の基本は、魔力というより、化学的な生体物質ですね」
ポーションをアーサーに返すと、パスツールは言った。
「一緒にイギリスに来て貰えませんか。皆さんに会って欲しい人物が居るんです」
「どんな人ですか?」
そうエンリが訊ねると、パスツールは「病気の要因、恐らく黴菌でしょうけど、それを人体に植え付ける事で、病気にかからなくする方法を発見したという、ジェンナーという人です」
エンリたちはタルタ号にパスツールを乗せてイギリスへ。
馬車に乗って、目的地へ向かう。
そして、着いた所は町の医療所。
「ここで天然痘の予防措置が行われています」
そう言いながらエンリたちを案内して建物に入るパスツール。
そこに見知った人物が居て、リラは懐かしそうに声をかけた。
「ワトソン先生」
彼女を見て、彼は「リラ君・・・という事は・・・・」と声を上げ、10人ほどの来客を自らの記憶と照合する。
そして「エンリ殿下と部下の方々ですね」
「あなたはホームズ氏の助手だったと思いますが」
そうエンリが言うと、ワトソンは「私も医師ですので、ジェンナー氏の試みを手伝っているのです」
奥から出て来たジェンナーにパスツールがエンリたちを紹介し、ジェンナーが療養所の敷地内を案内する。
あちこち見て歩きながら、エンリは「それで予防というのは?」
「天然痘の保菌者の体液に含まれる病気の基を、人体に移植します」とジェンナー。
「保菌者というのは?」
「あれです」
そう言ってジェンナーが指したものを見て、エンリたち唖然。
「牛じゃないですか」
何故か敷地内に設置されている畜舎で、草を食んでいる牛。
タルタが「つまり、人間が牛に変身する病気」
ジロキチが「恐ろしや」
そんな彼等にニケがあきれ顔で「だから違うって。天然痘というのは全身に腫物が出来て、高熱を発する、死亡率の高い恐ろしい病気よ」
ジェンナーが解説する。
「天然痘には、牛がかかるものと、人がかかるものがありまして、牛の天然痘に人が感染すると、病気は軽く済んで、人の天然痘にはけしてかからない体質になるのです」
「牛の天然痘ですか?」
そうエンリが怪訝顔で言うと「これが普及すれば、天然痘を撲滅して多くの人命が救われる。それで、これを受けるよう、周囲の人々に呼びかけているのですが・・・」
エンリは「嫌がってるって訳ですか? まあ、仕組みが解らなければ納得しないですよね」
「実は、原理は解っているんです。病気を克服した者に、それに打ち勝つ力が身に着くのだと」とジェンナー。
タルタが「経験値によるレベルアップで身に着いた新たなスキル?」
「まあ、そういう解釈も・・・」とジェンナー。
残念な空気が漂う。
「で、その力って具体的に何だと思いますか?」
そうニケが言うと、ジェンナー「生理的な因子でしょうね」
「そうだと思います。実はインドで熱病を治癒するために魔法で作ったポーションがあるのですが」
アーサーがマジックボックスから出したポーションを見せて、それが作られた経緯をニケが説明する。
その話を聞くと、ジェンナーは言った。
「多くの人に使うには、ユーロ各地で大量に作る必用がありますね。そうした仕組みは、本来は科学で作れる筈のものだ」
パスツールも「あらかじめ弱い菌で、多くの人にその因子を作らせるというのは、簡単にやれる。この病気は、牛の天然痘という、人を死に至らしめる事の無い弱い菌を使える」
ワトソンも「同じやり方で、様々な病気から身を守る仕組みが作れる筈です。先ず天然痘の仕組みで有効性を示して、みんなを納得させて、ユーロ中の疫病を根絶しましょう」
そんな話をしながら敷地内の案内を終えて建物内に戻ると、まもなく荷物の配達が来た。
「ちわー。お届け物です」
ジェンナーは、いきなり配達人にドアップで迫って勧誘を始める。
「あなた、天然痘予防を受けませんか? これは病気の基となる菌の弱いものを植え付ける事で、本物の天然痘から身を守る力が身に着くのです。科学的に解明された絶対安心安全なやり方で、今なら各種特典もついて大変お得」
だが、配達人はきっぱりお断り。
「嫌ですよ。牛の体液を摂取するんですよね? それをやると牛になってしまうって、みんな言ってますよ」
そんな会話を傍で聞きながら、エンリの部下たちは、あれこれ言う。
タルタが「やっぱり人間が牛に変身する病気」
ジロキチが「恐ろしや」
ニケがあきれ顔で「だから違うって」




