第379話 アビニヨンの教皇
アビニヨンでのカタリ派教団の討伐が終わり、事後処理をアラゴン公たちに任せて、エンリたちはポルタに帰還した。
早速、溜まっていた書類の山の処理を迫る宰相。その監視の元、ハンコ突きに追われるエンリ王子。
せっせと書類に判をつくエンリを鞭を持って監視しながら、宰相はふと思い出したように、エンリに報告した。
「ところで、留守中にイザベラ様が何度かおいでになりまして」
嫌な予感を露骨に顔に出しながら、エンリは「変な事になったりとか、してないだろうな」
「滅相も無い。私には家庭がありますので」
そんな斜め上な事を言う宰相に、エンリは「いや、別に浮気とかそういう話じゃ無くて。また手玉にとられて、俺も父上も知らないうちにスパニアと併合・・・なんて話になったりしてないだろうな、って言ってるんだが」
「まあ、あの方は恋愛より陰謀ですから。あの笑顔の底に垣間見える、虫を見るような視線が、また何とも・・・」
そんな台詞を懐かしそうに語る宰相を見て、エンリはあきれ顔で言った。
「やっぱり俺が留守の間、滅茶苦茶手玉に取られていたんじゃ無いのか?」
「そんな事は・・・・・」
そんなグダグダな会話をしつつエンリは、ハンコ突きの書類の山から書類をとって処理しようと・・・・・・・。
「何だ?これは」
書類の表題を見て、そう呟くエンリ。
曰く「スパニア帝国ポルタ州の自治権限縮小について」
エンリ唖然。
「何時ポルタがスパニアの18番目の州になったんだよ!」
エンリは通話の魔道具を取り出して、スパニア宮殿に連絡。
「おいイザベラ!」
そう声を荒げるエンリが持つ通話魔道具の、向うに居るイザベラ女帝の、深刻そうな声が届く。
「エンリ王子ですね。大変な事になりまして」
「何が?」
「独立ですよ」
そのイザベラの台詞に対して、エンリは苛立ちを込めて「いや、元々ポルタは独立国でスパニアの州じゃないから」
だが、イザベラは「じゃ無くて、アルビ十字軍に参加したフランス南部の諸侯が、教皇庁に領地を寄進・・・」
エンリ唖然。
そして「な・・・何ですとー」
「つまり、国教会を支持する王家の圧迫からの保護を求めて、教皇庁を頼ったという事よ」
そう解説するイザベラに、エンリは「王権強化で貴族の領地支配権はいずれ失われる。それを見越してって訳かよ」
「つまり、あの地域はごっそり教皇領になって、諸侯たちはその下で代官役として特権を保とうという訳ね」とイザベラ。
「ルイ先王、腰を抜かしてるだろうな」
そんな呑気な事を言うエンリに、イザベラは「他人事じゃないわよ。フランス南部諸侯が戦力を提供して、実質、独自の国家になるわ。ポルタにもスパニアにもフランス北部にもまだ信者は居る。下手をすれば彼等はその指令の元でハイブリット戦争の手駒にだって」
「どーすんだ、これ」
「対策を考える必用があるわね」
そうイザベラが言うと、エンリは「そうだな。それとな、イザベラ」
「何かしら」
エンリは言った。
「スパニア帝国ポルタ州の自治権限縮小について・・・って文書、あれは何だよ。何時ポルタがスパニアの18番目の州になったんだよ」
「てへ」
まもなく正式にフランス南部の教皇派領主領は教皇領になったと公表され、教皇庁はアビニヨンに移転した。
フランス南部はその拠点として実質独立国となり、フランスは南北に分裂した。
ポルタ城のエンリの執務室では・・・・・・。
パリの王宮からのルイ先王の通話魔道具による愚痴に付き合わされるエンリ王子が居た。
魔道具の向うで頭を抱えるルイ先王に、エンリは言った。
「人間、長く王なんてやっていれば、こういう事もありますよ」
ルイ先王は憤懣やるかた無いといった体で「笑い事じゃ無い。フランスはごっそり領土を持っていかれた。今まで抑え込まれる一方だった教皇派のやつらが、国内に強力な拠点を得たんだ」
「それを抑え込むんですよね? 腕の見せ所ですよ」
そんな相変わらず高みの見物口調のエンリに、先王は「他人事と思っているだろ。けどこれ、必ずポルタやスパニアにも波及するぞ」
「これはフランスの問題ですよね。我々にとってはイタリアもフランスも外国である事に違いは無いのですけれど」と、あくまで第三者気分をアピールするエンリ。
「アラゴン公領のフェルデナンド皇子は苦しい立場に立たされるだろうな」
そうルイ先王が言うと、エンリは「彼は教皇派で十字軍にも参加しましたけど、むしろ反対派で、教皇派のやつらは彼の手柄を横取りした訳ですよね?」
先王は「宗教にそういう理屈は通用しないぞ」
その時、家来の一人が報告に来た。
「イザベラ様が緊急の相談事があるという事で、お見えになっているのですが」
「フランスの先王と通話中なんだが」
そう言ってエンリは待たせようとするが、イザベラは勝手に執務室に乗り込んで来る。
そして「多分、アビニヨンの件ですわよね? こちらもその件で、フェルデナンド兄様がここに・・・」
イザベラと一緒に執務室に入って来たアラゴン公。
「アビニョンの人たちに参加を迫られて大変な事になっていまして、どうしましょう」
泣きそうなアラゴン公に、エンリは「暴走する坊主や貴族信者なんぞ無視でオッケーですよ」
「動揺する民を無視は出来ません」とアラゴン公。
エンリは暫し思考した。
そして「なあイザベラ。この件、ドイツ皇帝にとっては、どうなんだろうな?」
イザベラは「あの馬鹿女、国教会派に一矢報いたと大喜びでしょうね」
「けど、これって教会保護者の地位を失うって事なんじゃ無いのか?」
そうエンリが言うと、イザベラは「確かにそうね。ドイツ王が建前上のイタリア王なのは、ユーロ皇帝即ち教会の保護者として、教皇の居る国を治める存在だから。そのイタリアから教皇が去るという事は・・・」
そんな会話を通話魔道具の向うで聞いていたパリのルイ先王は、先ほどとはうって変わったテンション上昇声で「なるほど・・・。つまり、新たな教皇派の拠点を治める私が新たなユーロの皇帝に」
「その気にならないで下さい。教会を国家が統制出来るのは、教会組織が国家単位のものであればこそ・・・ですよ。ユーロ全体の教会を束ねる立場なんぞ邪魔なだけです」と、エンリはあきれ顔で抑えにかかる。
するとイザベラが「それより、プロイセンのフリードリヒはどう出るかしら」
「奴はドイツ王座の横取りを狙っているからな。皇帝の弱体化に繋がるとなれば、必ず首を突っ込んで来るだろうさ」とルイ先王。
「その後はロシアですね」とエンリが付け足す。
フランス先王との通話を切ると、エンリはイザベラを連れて、ポルタ城の地下へ向かった。
そこにはカルロと、そして手足を拘束されてベッドに横たわった状態で眠っている、カタリ派のリーダーのラングドッグ。
「さすがに催眠魔法への抵抗力は強かったですが、ようやく深層に辿り着きましたよ」
そう報告するカルロに、エンリは「それで、情報は引き出せたのか?」
カルロは「黒幕の名前が解りました」
「誰だ?」
「ロシア正教会のラスプーチン総大主教」
カルロの口から出たその名を聞いて、エンリは頷く。
そして「なるほど、そういう事か・・・。とりあえず、一連の流れを整理してみと・・・」
「カタリ教団自体がこの騒ぎの下準備だったって可能性もあるでしょうね」とカルロ。
「ロシアの目的は?」
そうエンリが言うと、イザベラは「奴らは海に出たがっているわよね。その障害は国教会同盟。フランス王を新たな教皇庁の保護者とする事は、国教会から離脱させる事になるわね」
エンリは「そしてドイツが教皇庁の保護者という建前を喪失する事で、その立場は弱体化し、ハンガリー騎士団など宗教によって結ばれていたバルカン方面での結束が失われ、トルコ方面への進出の名分も薄れる。そうなればバルカン半島方面は、ロシアの独断場だ」
「もっと単純な動機もあるわよ」とイザベラ。
「っていうと?」
イザベラは言った。
「あなたの魔剣よ。彼等はあれを欲しがっていた。諦めるとは考えにくいわね」
「確かに・・・。けど大丈夫だ。たとえ奪われても霊的につながっていて、引き戻す事が可能だ。あれを奪う事は不可能だよ」
そうエンリが言うと、イザベラは「一つだけ方法があるわ。あなたを暗殺する事よ」
「その手があったか」
そう言って考え込むエンリに、イザベラは「どうかお気をつけて」
エンリとイザベラは地下室を出て、エンリの執務室に戻る。
そしてイザベラは通話の魔道具を手に執った。
「御機嫌ようテレジア女帝陛下」
魔道具の向う側に居るテレジアの声は上機嫌で「同盟国のフランスはさぞ大変な事になっているでしょうね。教皇猊下に逆らって国教会などという偽教会を作った報いですわ。本当にいい気味」
「そんなに喜んでいいのかしら。下手をすれば教皇庁の保護者という立場をフランスに奪われる事になるんですけど」
そうイザベラが言うと、テレジアは「有り得ませんわ。あの国は教皇派から離脱したのですわよ」
「もし、復帰したとすれば?」とイザベラ。
「・・・」
「先日彼と話したのですけれど、新たな教皇派の拠点を治める自分が新たなユーロの皇帝に・・・とか大乗り気でしたわよ」と、イザベラは更に追い打ちをかける。
「フフフフフフランスとは私の末娘を嫁がせて、今は同盟国ですわ。そんな裏切り行為が・・・」
そう焦り声で言うテレジアに、イザベラは「お友達が居ると思ってる奴は馬鹿・・・って言葉、御存じかしら?」
「・・・」
「先ほど手に入れたユーロ皇帝のお言葉があるんですけど」
そう言ってイザベラは、通話魔道具の前で、記憶魔道具の音声を再生する。
「フランスはさぞ大変な事になっている事でしょうね。教皇猊下に逆らって国教会などという偽教会を作った報いですわ。本当にいい気味」
そんな先ほど魔道具が記憶したテレジアの発言を再生した後、イザベラは「これ、ルイ先王が聞いたら、何をするかしら」
テレジアは悲鳴に近い声で「この私を脅す気ですの?」
「まあ頑張ってねー」
そう言ってイザベラは通話を切る。
ドイツ皇帝の宮殿の女帝執務室では、ブチ切れたテレジア女帝が通話魔道具を床に叩きつけていた。
そして「あの名誉男性ガー!」
そんな怒り状態MAXなテレジアに、彼女の部下が報告に来た。
「あの、女帝陛下。イタリアの民たちが陳情に来ているのですが」
ドヤドヤと女帝の執務室に入ってきたイタリア人陳情団の面々が、口々に訴える。
一人の陳情者が「教皇庁が去ってしまったらイタリアは、私たちはどうすればいいのでしょうか」
もう一人の陳情者が「教皇猊下は私たちの支えだったのに」
そんな彼等を見て、テレジア女帝は思った。
(あの方、何だかんだ言っても、信者たちにはこんなに慕われていたのですわね)
そして、更にもう一人の陳情者が「教皇以下枢機卿たちが買ってくれた贅沢品を、これから一体、誰に売れば」
「・・・」




