第336話 砂漠の皇帝
アラビア信仰の二つの宗派であるスンナとシーア。
シーアをペルシャの宗派と定めたアッバース帝に対し、スンナの立場を続けるホラムズ王は、要塞植民市を拠点にペルシャ湾岸を征服してホラムズに交易独占をもたらすアルブケルケの武力を頼っていた。
アッバース帝を頼ったフェリペ皇子を取り戻すため、その両者の戦争に終止符を打とうと、解決策を探るエンリ王子。
彼の命令でアルブケルケとその軍はホラムズを撤退し、ホラムズ要塞植民市での、アッバース帝との最後の交渉が始まった。
ペルシャの軍を率いてホラムズに乗り込むアッバース帝。
シンドバッドたちの口添えで、交渉が決裂して戦争になった時に備えるという名目で、フェリペたちもヤマト号に乗って同行する事になった。
ホラムズの港から沖合を眺めるアッバース帝。
ヤマト号はペルシャ艦隊とともに、港に停泊している。
エンリ王子はアッバース帝の隣で、沖合の島を指して「あれがポルタ人の要塞のあるホラムズ島です」と説明する。
「交渉はあそこで?」
そうアッバース帝が言うと、彼の大臣はエンリに「陛下の身の安全のため、護衛の一隊を同行させたいのですが」
エンリは「構いませんよ。こちらのホームでの交渉に応じて頂く以上、当然です」
ホラムズの港から船で島に渡る交渉団と護衛隊。
島に上陸し、彼等に要塞の中のポルタ商人街を案内するエンリ王子。
同行するボチボチデンナは、小声でエンリに「このルートって遠回りじゃありません?」
「いや、いいんだ」
大きな水槽のある施設の脇を通る、エンリとアッバース帝、そして彼の率いる交渉団。
「あれは?」
その施設を指してそう訊ねたアッバース帝に、エンリは「海水を真水に変える魔導機械の施設ですよ」
「何ですと?」
驚きを隠せないアッバース帝とその一行に、得々と説明するエンリ王子。
「この島は水源がありません。土には塩気があって、僅かな雨も地面に浸み込めば塩水になる。その不利を克服する我々の魔導技術です」
アッバース帝は思った。
(このペルシャとアラビア、そして南方大陸のサハラ・・・。我々の同胞の住む地では常に水が不足している。だが、海に面した所で海水を真水に変える事が可能なら、我々の住める場所は大きく広がる)
一行が植民都市の庁舎に入り、会議が始まった。
アッバース帝と大臣たち、そしてシンドバットたち。
対するはホラムズ王とボチボチデンナ、そしてエンリ王子。
向き合うホラムズ王に対して、アッバース帝は言った。
「あなたは我が臣下となる事を約束するのですね?」
「ここの民のスンナの信仰を迫害しないと約束して頂けるなら」とホラムズ王。
するとアッバース帝は「ですが、あなたはその地位をオッタマに居る偽カリフから得ていますね?」
「結局、スンナとシーアは、上に立つ者が誰か・・・という点で、折り合いがつけられないという事ですか?」
そう言って溜息をつくホラムズ王。
そんな二人に対して、エンリは発言した。
「そんな筈は無い。インドでは、あなた達と同じ信仰のムガール帝が支配しています。そして、その配下には現地のヒンドゥーの領主が多く居る。彼等は信仰を強制しない事で、あの地を支配出来ているのです。同じ事があなた達に出来ない筈は無い。まして宗派が違うというだけで、同じアラビアの教えの徒ではないですか?」
アッバース帝は言った。
「良いでしょう。あなたとその民の信仰を認めましょう。ですが、ポルタ人には出て行って頂く」
「それはポルタの武力に・・・ですよね? 商人を追い出す必用は無いと思います」
そうエンリが言うと、アッバース帝は「あなた達は交易の独占を図った」
「交易とは本来自由が前提です。武力やそれに類する強制力が無ければ独占は困難。だからアルブケルケは武力を行使しましたが、彼は既に撤退しています」とエンリ王子。
だがアッバース帝は「彼の元で商売に従事していた商人はここに留まると? 彼等は独占で今まで利益を上げてきました。ですが、交易商ならこの地にも居ます。あなた達に居て貰って我々の同胞に利益が入るのですか?」
エンリは「彼等はユーロの産物をこの地にもたらします。その中には、あなた達に必用なものもある筈です」
「ユーロと南海の交易は、昔のように我々が仲介する。ここはその中間に位置する我々の土地です」とアッバース帝。
エンリは言った。
「解りました。ここは諦めましょう」
ボチボチデンナは慌て声で、隣に居るエンリに「エンリ王子、それは・・・」
だが、エンリは更に続けてアッバース帝に言った。
「ポルタ人の交易拠点はインドにもジャカルタにもあります。ですが残念です。この島の真水を作る魔法装置は撤去せざるを得ない。あれはきっとペルシャの人たちの役にも立つ。けれども我々との関係を断つなら・・・」
アッバース帝の顔色が変わる。
そして「関係を保つなら教えて貰えると?」
「交易というのはそういう事です。互いが互いの利益に奉仕する。それが交易ですから」
そうエンリが言うと、アッバース帝は「解りました。ポルタの交易拠点としてのここの存続を認めましょう。それで、あなた達はずっとその魔道具で?」
「いや、それは・・・・・」
そう言ってまごつくボチボチデンナを横目に、エンリは言った。
「あれはこの要塞が築かれた時に設置されたものです」
アッバース帝とホラムズ王、そしてエンリ王子。
三者は和解の握手を交わした。
そしてアッバース帝は言った。
「我々は過去の因縁を乗り越え、未来志向で前に進みましょう」
「はぁ?」
そう怪訝顔で首を傾げるエンリに、アッバース帝は「皆さんはここに攻め込んだ加害者で我々は被害者。我々は歴史的被害者として寛大な心で赦しますが、その立場は永遠に記憶に残る。我々の想いに寄り添ってこそ正しい歴史観」
エンリは溜息をついて、アッバース帝に言った。
「あの、そういうの止めにしません? それって、後で毎年謝罪をとか誠意が無いとか反省が足りないとか言い出す流れの、それこそどこぞの半島国の台詞ですよ」
「あなたは。自分たちがこの地に介入して交易を独占した加害者であるという認識はお持ちですか?」
そう嘯くアッバース帝に、エンリはあきれ顔で語る。
「では、自分たちが過去の独占で法外な中間搾取を行った事についての認識はお持ちですか? かの半島国の側の人たちは、歴史捏造や戦後処理の完遂について指摘されると、"自分たちにその認識は無い"と言って、事実を否定し過去現在未来に対する盲目となって居直りを決め込みます。認識はあくまで主観ですから、"1+1=2"だって否定出来るが、それで客観的事実を変える事は出来ない。交易では、そして本来全ての国家や民族どうしの関係は対等であるべきだ。それを前提としてこその協定です。被害者だ加害者だ上だ下だステータスがどうの文化を教えた恩がどうのとか言って、その対等を否定するというなら、あの魔道具について教える訳にはいかない」
残念な空気が漂い、アッバース帝は慌てて言った。
「確かに、あんなヘイトスピーチ民族の真似は見苦しいですね。どうか忘れて下さい」
会議が終わると、ボチボチデンナはそっとエンリに言った。
「あの装置は、あなたが持ち込んだものじゃ無かったでしたっけ?」
エンリは「そうですよね。それまでは陸地側から海中に導管を引き、足りない分は他所から買ったり効率の悪いアンチソルトで苦労して来たと」
「じゃ、彼等には嘘を?」とボチボチデンナ。
「あれで彼らは納得した訳ですよね。実績のある装置の方が向うも有難がる」
そんな事をしれっと言うエンリに、ボチボチデンナ唖然。
そして思った。
(この男は・・・)
ホラムズ王との和解が成立し、アッバース帝は軍とともに帰還した。
ホラムズに残ったアラジンたちに、エンリは言った。
「それで、俺の息子たちなんだが・・・・・・」
アラジンは「俺たちが保護して、全員眠って貰っているぞ」
「これで心置きなくポルタに帰れる」と喜ぶエンリ王子と部下たち。
眠った状態で引き渡されたフェリペとその部下たち、そしてメアリ王女に、拘束の首輪を嵌める。
そして目が覚めた彼等に「今度こそ一緒に帰って貰うからね」
「そんなぁ」
その時、植民都市の市長が駆け込んで報告。
「エンリ王子、大変です。アルブケルケの艦隊が、ソコトラ島に攻め込んで、地元領主と交戦中だと」
「今度は紅海の出入口を占領しようって訳かよ」
そうエンリが溜息をついて言うと、タルタは「懲りない奴だなぁ」
「どうしますか?」
そうアーサーが言うと、エンリは「行って止めるしか無いだろ」
そして、脇で聞いていたフェリペが言った。
「僕たちも一緒に戦います」
タルタ号とヤマト号が現場に駆け付ける。
現地領主の艦隊が必死に抵抗する中、上陸しようと攻勢をかける十数隻のアルブケルケ艦隊の姿があった。
エンリはファフのドラゴンに乗って、上空から拡声魔道具でアルブケルケに呼び掛けた。
「ポルタ王太子として命令する。直ちに戦闘を中止しろ」
アルブケルケも拡声魔道具で答える。
「我々はこの地にアルブケルケ王国を築いて独立する。私はもうあなたの臣下では無い。この地をどうするかはこの地に住む住人である我々が決める」
エンリはあきれ声で「その島の住人は、お前が今戦ってる相手だろうが」
エンリはタルタ号に戻って二隻の船に号令を下した。
「アルブケルケの艦隊を破って、奴を止めるぞ」
ヤマト号とタルタ号は五門の砲で砲撃しつつ、防御魔法で敵の砲弾を防ぐ。
アルブケルケ艦隊は十数隻が横一列になって砲撃。
そして十数隻の艦列の前に、高速で動く小型の砲を積んだ多数の小舟が展開した。
その小舟を見たアーサーは「あれ、怪魚で牽引してますね」
「あいつ等、あんなの持ってたのかよ」
そう言って顔を曇らせるエンリに、アーサーは「要塞にあった全戦力なんでしょうね」
ヤマト号と繋がっている通信魔道具からは、フェリペの声で「どうしますか? 父上」
エンリの部下たち、各自が勝手な意見を出す。
タルタが「ここは俺の鋼鉄砲弾で」
ファフが「ドラゴンの炎で」
ジロキチが「いや、アルブケルケ本人を確保するなら、乗り込んで切り込みだろ」
それを聞いてエンリは思った。
(確かに奴を捉えるなら、乗り込むのが正解だ。だったら・・・)
そしてエンリは部下たちに言った。
「あの方法でいくか?」
一旦後退して距離をとると、タルタ号とヤマト号、二隻の船を近づける。
アーサーがマーモの潜水艇に乗り込み、真上の海上に幻覚魔法で二隻の船の幻を出現させる。
同時にヤマト号とタルタ号は隠身魔法で姿を隠す。
幻覚による囮が旋回し、小舟を左側へ誘い込む。
上空に二頭のドラゴンを飛ばして敵を牽制し、姿を隠した二隻の船が敵艦隊の右側から迂回して、その背後へ。
そして中央に居る旗艦の間近で姿を現わす。
「このままアルブケルケの居る旗艦に接舷して乗っ取るぞ」
周囲の艦に対してヤマト号が威嚇砲撃で牽制する中、タルタ号は旗艦に接舷し、ジロキチを先頭に斬り込んで、まもなくアルブケルケを確保した。
拘束されたアルブケルケがエンリの前に引き出される。
彼は抗議顔でエンリに言った。
「何故私たちを妨げるのですか? 紅海の入口を占領し、アラビア商人を排除して、我々ポルタ商人が交易を独占すれば、世界の富は我々のものだ」
「まだそんな事を言ってるのかよ」と言って、溜息をつくエンリ。
「あなたが交易自由の協定を結んだ時、彼らの勢力はまだ大きかった。だが、我々はどんどん強くなり、彼らが貧しくなれば抑え込むのは容易だ」
そう訴えるアルブケルケに、エンリは言った。
「だから駄目なんだよ。彼らにも豊かになって貰わないと、金払いの良い取引相手になれないだろ。確かに、何億もの人口を持つ大国が豊かになれば、周囲を圧した軍事大国として権力欲で我々を排除する事もあるだろう。だが、ここは砂漠で厳しい。そんな超大国になるのは難しい。そして他の地域で、そういう危険な超大国が現れた時には、共に手を執る仲間にだってなれる筈なんだ」
「その超大国って? どこの・・・」
そう問うアルブケルケにも、すぐにその答えは浮かんだ。
「例えばロシアとか?・・・ですか?」
「それと、東のシーノとか・・・だろ?」とエンリは付け足す。
アルブケルケの軍は投降し、エンリは交戦中だったソコトラ島に上陸して、現地領主と和解した。
一件落着し、エンリたちはソコトラ島の港からタルタ号へ戻る。
そして思い出したように、エンリは言った。
「ところでフェリペは? あいつらも随分戦えるようになったみたいだな」
アーサーが「ヤマト号なら戦線離脱しましたけど」
「へ?・・・・・・」
そしてエンリは、自分がフェリペたちを連れ戻すために、ここまで来た事を思い出した。
「逃げられたのかよ。だったら拘束の首輪は?」
唖然顔でそう言うエンリに、カルロは「外されたみたいですよ。ジャカルタでも使ったけど外されちゃいましたよね。向うに鍵開けの名人が居るんですよ」
「な・・・」
タルタが「ってか、そもそもあれを付けてたら、あいつ等、アルブケルケとだって戦えなかったよね?」
リラが「もしかして、忘れてました?」
エンリは頭を抱え、そして仲間たちに号令を下した。
「とととととととにかく、奴らを追うぞ。すぐに出航だ」




