第299話 シーノの人海
オケアノスを西へ逃走したフェリペ皇子たちを追うエンリ王子の船は、タカサゴ島へ。
そして、思わぬ勘違いから、シーノのタカサゴ島侵略にナハ国の水軍が利用される事を阻止する仕事を請け負う事になったエンリ王子。
タカサゴ島からナハの群島へ、海上を北へ向かうタルタ号。
同行するのは外交官としてセキヘイ大臣と鄭成功。
その船の上であれこれ言うエンリたち。
「ケンゴローさんに来て貰わなくて良かったんですかね?」
そうアーサーが言うと、エンリは「あの人は島を守る要だから、奇襲に備えて皇帝庁舎に居て貰った方がいい」
リラが「それに、生まれて間もない皇女の世話係長、兼ねてるって言うし」
タルタが「娘として可愛くて仕方ないらしい」
「皇女が大きくなって、"俺の娘は誰にも渡さん"・・・とか言い出さなきゃいいけど」
そう若狭が言うと、カルロが「あの人がそうなったら怖いだろーなぁ」
「まぁ、リチャード先王の父親みたいに、嫁にやらなくていいようにと、男として育てている訳でも無さそうでござる」
そうムラマサが言うと、ジロキチが「いや、あれを基準にしちゃ駄目だろ」
そんなグダグダな噂話をしているうちに、タルタ号はタカサゴ島の領域を出る。
群島の南、ヤエヤマ島の手前に小さな島が見える。
「あそこが国境の島のセンカク島です」と鄭成功が解説。
地元民らしき漁船とすれ違う。甲板に数名の漁民。
その彼等の異様な様子を察したアーサーは「あの漁民の、こちらを見る眼が異様なんだが」
リラも「何か警戒されている?」
ヤエヤマ島に上陸して、島主の役所から通行証を受け取る。
手続きをしながらエンリは、窓口の係員に尋ねた。
「島民の警戒の目がきついんですけど」
すると係員は「あのセンカク島の国境争いですよ。シーノが自分達の島だと言い出して、地元民の漁船の妨害をやっているんです」
ナハ本島へ渡り、ナハ王の都へ。そしてミン派の大臣に面会する。
「グシケンです。ご期待には応えられそうにありませんが」
そう残念そうに言うグシケン大臣を見て、エンリは随伴して来たセキヘイ外交官に小声で言った。
「何やら迷惑そうなんですが」
セキヘイが「王宮での会議は、うまくいって無いのでしょうか?」とグシケン大臣に尋ねると、彼は言った。
「ミン派は今や私一人でして・・・」
会議の議長役を務める主席大臣のシンポウと次席のタイムズに面会する。
「応援を連れてきたと聞きましたが、ポルタ商人の方ですか?」
そうタイムズ大臣が訊ねると、グシケン大臣はエンリを指して「あの国の王族ですよ」
「エンリと言います」と彼は名乗る。
そしてエンリは言った。
「それで、我々も会議に参加して発言出来るのですよね?」
シンポウ大臣はセキヘイに「あなたは宗主国の代表ですが、エンリさんは別の名目が必用になります。ポルタ人の通商許可について、という事で、ジパングで締め出されたポルタ人の拠点を提供する議題の関係者で、他の大臣たちは納得しています」
エンリは唖然顔で「ちょっと待て。ジパングでポルタ人締め出しって、それ初耳だぞ」
「何があったのかな?」
そうカルロが言うと、アーサーが「そのうち、航海局あたりから泣きついて来ると思います」
そしてエンリは「これが片付いたら、そっちもどうにかしないと、だな」
翌日、定例会議が開かれた。
ナハ王の元、で大臣たちと支配下の主な島の代表が参加している。
これにタカサゴ島のセキヘイ外交官と鄭成功、そしてエンリ王子と、その付き添いとしてアーサーとジロキチも参加した。
議長役のシンポウ首席大臣が議題を提示。
「先ず、西洋のポルタ国から、交易の許可を求められている件についてですが」
王は言った。
「大陸との朝貢品の取引が中断している今、新たな取引相手に来て貰えるのは、実に有難い」
「よろしくお願いします」
一瞬で片付いたエンリの表向きの案件。
「次に中華の宗主国として、ミンとシーノのどちらを仰ぐかという件ですが」
そうシンポウ大臣が二番目の議題を提示すると、早速、グシケン大臣は主張した。
「シーノに服属するという事は、タカサゴ島を攻略する水軍を提供するという事です。つまり、これまで宗主国と仰いできたミン帝に刃を向けるという事になる」
「いえ、我々が服属してきたのは、ミン帝というより中華です。そちらに居るミンの方には申し訳無いが、あなた達は天帝から中華の主の座を降ろされた」と、タイムズ大臣が反論。
グシケンは「ですが、服属の証として求められてきたのは、あくまで朝貢です。武力の提供などかつて無かった」
タイムズは「いえ、天下のために我々が何を成すべきかを決めるのは、主たる皇帝だ」
「あの、一つ疑問があるのですが・・・」と、エンリが発言を求めた。
そして「そもそも何故服属するのでしょうか? 中華に朝貢してきた国は他にもありますが、本気で家来として言いなりになっているのは、この国だけですよね?」
そんなエンリにシンポウは「あなたは中華の、世界の中心としての理を、理解していない」
「ではなく交易で利益があるからでしょう。また独占させて貰えるのですか?」とエンリ王子。
鄭成功が発言した。
「私はジパング海賊ですが、タカサゴ島に居るミン人です。ジパングでは大陸から来る特権商人も居ますが、普通に貿易をやっています。他の国と同様の限定的な朝貢ならともかく、もう独占的な多量の朝貢で儲かる事は無いでしょうね」
「ですが我々は多くの恩を受けてきた」
そうタイムズが言うと、エンリは「その恩を与えたのは中華でしょうか? 普通の中華の朝貢はああいうものではないし、ナハ国が続けてきたあれは、ミン帝による特別なものです。それはミン帝側の事情に拠るもので、恩義を求められるようなものでは無いでしょう?」
するとセキヘイ外交官が困り顔で「いや、エンリさん、我々としては少しは、恩を返して欲しいのですが」
エンリは困り顔で「ここはそういう恩着せな態度は止めた方がいい」
そしてエンリは言った。
「朝貢というのは、形の上でマウントを取る事で、気持ち良くなる。けれども、実質上の支配を受けないから周囲の国も参加する。それで上位に立ったからと、主人気分で命令めいた事を言うのは、話が違うと普通は思いますよ。そもそもそういう、国どうしの上下関係による外交は時代遅れです。"道徳的優位"などという変な言葉を語る人も居ますが、道徳の名を口にする人ほど他人に対して横暴にふるまう。そんな人が語る優位が抑圧的なものにならない筈が無い」
「あなた達ユーロでの外交はどうなのですか?」とナハ王が訊ねると、エンリは更に言った。
「大国も小国も立場の上では対等です。それを保障するために国際法が慣習的に形成され、上下関係ではなく、対等な立場で結んだ約束、つまり条約が、国家間の関係性を具体的に取り決める。近年になってグロティウスという賢者が提唱した概念で、ユーロの平和に大きく貢献しました。もう宗主国などに服属する時代ではなくなるのです」
「それは西洋人の理屈だ。シーノは天命を受けて中華の主となり、天帝から地上を任された」
そう感情的な口調で言うシンポウ大臣に、エンリは毅然と指摘した。
「天帝なんて神は世界には居ない。様々な民族には彼らの文化の元で彼等が祀る神があり、全ての民族は対等です。世界は四角くて自分達がその中心で、その文明が唯一のものだと中華の人は言いますが、本当の世界は丸く閉じていて中心なんて無い。私たちはその反対側の、全く異なる文明から来たのです」
「このあたりの民族は、みんな中華から教わった文字を使っています。それは教師たる中華に感謝し、その文明の一員として、中華の周辺たる分を認めた証だ」
そうタイムズ大臣が言うと、今度はジロキチが指摘した。
「俺はジパングの人間ですけどね。あの国では千年前に中華の文字が伝わったんですけど、それは王どうしが手紙をやり取りするために覚えたもので、つまり、対話の手段を彼らに合わせたものです。それは感謝を求められるべきものでしょうか?」
そしてグシケン大臣が「そもそも、水軍を提供するといっても、海上での戦いの経験は、我々にはありません」
「戦争のやり方なら、コウブサメン将軍の教えがあります。"敵を人民の海で溺れさせる"のだと」と、タイムズ大臣。
「どういう意味ですか?」
そうエンリが訊ねると、タイムズはドヤ顔で「とても深い意味があるのだろうと思います」
セキヘイ外交官は溜息をついて言った。
「それ、人海戦術の事ですよ」
「何だ?そりゃ」
そう怪訝顔で言う場の人たちに、セキヘイは「中華には数億の民が居る。それを兵士として湯水のように使うのだと」
「つまり兵士の命は消耗品と?・・・」
そうナハ王が唖然顔で言うと、セキヘイはナハ国の大臣たちに「あなた達も、そんな戦い方をさせられるのですよ」
今度は鄭成功が言った。
「大陸でシーノと戦った時の経験を話しましょう。敵陣から無数の兵が歩いて迫って来るのです。それを弓矢と鉄砲で迎え撃つのですが、彼等は避ける事もせずバタバタと倒れる。やがて敵は一旦引いたのですが、倒れているのは占領された村の民でした。つまり、後ろから刀を突き付けられて弾避けにされたのです」
会議の場は重苦しい空気に包まれた。
「皆さんに見て欲しいものがあります」
そう言ってエンリは、記憶の魔道具で映像を映し出した。
「これがシーノに支配された民の実体です」
そう言いながら示された映像には、残虐な拷問や公開処刑、破壊された寺院と吊るされる僧侶たち、多くのシーノ人移民に占領される土地、シーノを賛美し自らを卑下する愛国教育と称するものを強制される子供たち、自分たちの文字と言葉を禁じられ、土地を奪われて飢える農民たち。
セキヘイは「西の砂漠の民ウイグル、南西の高原の国チベット、彼らに服属すれば皆さんもこうなります。もちろん、皆さんの助けを得たシーノに征服されれば、我々だって」
「ですが既にシーノ軍はこの地に拠点を築いています」
そう、タイムズが困り顔で言うと、グシケンは「ナハ王、退去を求めましょう」




