第265話 甘味の記念日
カカオ豆を使った嗜好品、ココアとチョコレートは、ポルタ・オランダ・イギリスの三か国で製造され販売された。
その中でも、バンホーデンのココア工場と、ジョセフのチョコレート工場は、トップメーカーとして大きな存在になった。
エンリの執務室で愚痴を言うニケ。
「何でポルタのメーカーが振わないのよ」
エンリはあきれ顔で「国内工場はやたらニケさんが上前はねるから、割高になるだろ」
ニケは「オランダやイギリスでばかり食品産業が発展したら、私の取り分どうなるのよ。私のおかげで彼等は大儲けできたのよ。私のお金ーーー」
「発明したのは彼等なんだが」
そう言って溜息をつくエンリに、ニケは息巻いた。
「こうなったらポルタブランドのチョコレートを盛り上げて、トップの座を奪い返してやるわ」
「何やる気だよ」と言って眉を顰めるエンリ。
二月十四日が近づく。聖バレンタインの記念日だ。
恋愛の守護聖人の記念日として、街中がそわそわし始める。
エンリの執務室では未決済書類の山を放置して、仲間たちが集まって雑談会状態。
「今年はリラに何を送ろうかな」とエンリ。
アーサーが「イザベラ様にも・・・ですよ」と釘を刺す。
「やっぱり花束かなぁ」
そうアーサーが言うと、タルタが「シロちゃんにマグロの切り身だよな」
「先ずレジーナさんに・・・だろ?」とエンリ。
タマが膨れっ面で「私はどうなるのよ」
ムラマサが「若狭殿には短剣でござる」
「女に贈る代物かよ」と苦笑するエンリ。
カルロが「やっぱり女の子には自分自身だよね」
「で、カルロは何人にそれを贈るんだ?」と突っ込むエンリ。
カルロは「ポルタ城下だけで八人居ますよ」
「お前の体は一つなんだが」とあきれ顔で言うエンリ。
「あ・・・」
カルロ、慌てて遠坂に連絡。
通話の魔道具の向うの遠坂に、カルロは「ジパングの忍術に分身の術ってのがあったよね? あれを教えて欲しいんだが」
「ファフはね、主様に肩たたき券」
そう言うファフにエンリは「俺は年寄りじゃないぞ」
そして聖バレンタインの日・・・。
「王子様、これを」
そう言ってリラが差し出した包みをエンリが開けると、中はチョコレート。
「なるほどな。あれは贈答品にぴったりだものな。けど何でハート形・・・って、そうだよな。今日は恋愛のイベントだもんな」
そんな風にあれこれ言いながら、勝手に納得するエンリに、アーサーが指摘した。
「けどこれ、それ用に工場で作られたんだよね?」
そんな事を言いながら、執務室でわいわいやっていると、カルロが来て「エンリ王子。女の子がチョコレートをこんなに」
タルタが来て「ジーナさんからチョコレートを貰ったんだが」
ジロキチとムラマサが来て「若狭から二人ともチョコレート・・・」
各自が貰ったチョコの形は様々で、キューピットの矢をあしらったもの、女の子の二頭身人形、カルロのは手錠の形・・・。
「リラ、これって」
怪訝顔でそう問うエンリに、リラは嬉しそうに言った。
「女の子たちがみんな、好きな男性にチョコレートを送って告白する日だって言ってまして」
「ニケさんだな」
そうエンリが呟く中、ニケが執務室へ。
そして、得々と語り出した。
「贈答品需要の掘り起こしよ。ただのお菓子なら手頃な値段じゃないと売れないけど、贈り物は高くても売れるのよ。しかも普通のスイーツと違って一日や二日で痛んだりしないから、贈り物が届く頃には・・・なんて話にならない。恋愛脳な女子はみんな飛び付くわ」
「やっばり・・・」と男性たちは一様に溜息をついた。
「どうかしら。最高の宣伝戦略だと思わない?」
そう言ってドヤ顔するニケに、エンリは頭を掻きながら「こんなのがあるって知ってたら、俺たちだって」
するとニケは、更にドヤ顔なドアップで宣言する。
「駄目よ。これは女性から男性に対する一方通行だから意味があるの。これからのバレンタインデーは女性が男性を一方的に選別して、モテの象徴たるチョコレートを授与する日になるわ。非モテ男子は期待して何も貰えず悲哀を甞めて、女子の関心を得られない自らの低スぺぶりを呪い、モテ男子はモテる喜びを恵んでくれた周囲の女子に感謝する。そうやって男子を天国と地獄に分かつ女子の特権を行使して支配するヒャッハーイベントだから、ユーロ中の女性が夢中になる。見てなさい。漫画やアニメのどの作品でも非モテ男の滑稽な鳴き声が聞けるのよ。ほーっほっほっほ」
「こ・・・怖ぇーーーーーー」と男性たち、一様に肩を竦めた。
その年のポルタのお菓子産業はバレンタイン需要で大発展し、ポルタのチョコレートはユーロ中に輸出された。
だが・・・。
「何でよ。あのイベントは私たちが始めたのよ。なのに何でイギリスのフライやオランダのバンホーデンから、未だにトップを奪えないのよ」
執務室で毎度の如く愚痴を垂れるニケに、エンリはあきれ顔で言った。
「そりゃ、ただの風習として広めたら、イギリスやオランダのチョコレートだって売れるよ」
そして・・・。
再びポルタから姿を消したニケを話題に、わいわいやるエンリの仲間たち。
「ニケさんはまた南方に?」
タルタがそう言うと、アーサーが「ポルタ大学自然学部の教授を連れて、密林の産物探しだってさ」
「あそこには膨大な種類の植物が生きてるからね。有用な産物を発見してお金ガッポガッポ・・・ってか?」とエンリ。
そんな事をやっている中に、唐突に舞い戻ったニケ。
「エンリ王子」
「ニケさん。何か見つけたの?」
そうタルタが言うと、何やらブヨブヨな物体を出すニケ。
「見てよこれ。ゴムという木の樹液を固めると、こうなるのよ。引っ張ると延びて、離すとパチン・・・って」
「で、それを何に使うの?」
そうエンリが訊ねると、ニケは小さな何かを束ねたものを出した。
「こういう細長い紐を環にして、袋の口を止めるのよ」
「まあ、確かに便利だけど、これで大儲け出来るの?」
そうエンリが問うと、ニケは「とととととにかく、いろんな事に使える筈なの」
タルタがその一つを手に取って、あれこれいじる。
そして「これ、面白いな」
「タルタ、何か考えたのか?」とエンリは身を乗り出す。
「例えばこうして・・・」
タルタは右手の人差し指を前に伸ばし、親指を上に。残り三本の指を握った形に・・・。
そして輪ゴムを人差し指と親指の先端に引っ掛け、狙いをつけ・・・。
「ゴムゴムのピストル!」の掛け声とともに、親指にかけたゴムを・・・。
パチンと音をたて、ゴムは狙いをつけた未決済書類の山に命中。
「子供の遊びかよ」
そう言ってあきれ顔を見せるエンリだが・・・。
ファフが真似て「これ、面白い」
ジロキチが人差し指にかけたゴムを親指の根本の外側を通して中指に引っ掛けて狙いをつけて飛ばす。
そして「こっちの方が威力が増すぞ」
「ジロキチまで」とエンリ。
「王子様、これ、楽しいですね」とリラも真似る。
「リラまで」とエンリ。
大はしゃぎで遊ぶ仲間たち。
「どーすんだ、こいつら」
そう困り顔で言うエンリに、アーサーは「そのうち飽きますよ」
その後一か月間、ポルタの子供たちの間では、この「ゴムゴムのピストル」ごっこが大流行した。




