第263話 密林の嗜好品
その日、城の警備兵がエンリの執務室に報告に来た。
「怪しげな者を捕まえたのですが、エンリ殿下の所に偲んで来たと言ってまして、どうしますか?」
「偲んで来たって、夜這い的な? まだ真昼間だぞ」と怪訝顔のエンリ。
警備兵は「その手の輩に時間は関係無いかと」
「で、どんな人だ? ルックスは?」と、表情に少しだけ期待の混じったエンリ。
「確か美人コンテストで見たような」と警備兵。
「つまり上物と?」と身を乗り出すエンリ。
「いや、中年ですよ」と警備兵。
エンリは「美魔女なんてのも居るだろ。とにかく通せ」
警備兵が廊下で待機していた人物に声をかける。
「入っていいぞ」
「ところでその女性って・・・・」
そうエンリが言うと、警備兵は「いえ、男性ですが」
エンリは慌てて「すぐ追い返せ」
「そんな連れない事言わないで下さいよ」
そう言って入ってきた三角マスクにニット帽を目深にかぶった黒づくめの男性を見て、エンリは「モウカリマッカじゃないか。俺はホモじゃないぞ」
「いや、私もノーマルですけどね、何の話だと思ったんですか?」
思いっきり不審者風な服装の大商人を見て、エンリは溜息をついた。
「そーいやお前も美人コンテストに出てたよな。申請者として。それで、何の話だ? ってか、偲んで来たとか警備が言ってたが」
「ニケさんに見つかると厄介ですからね。あの人が知ると、何だかんだ言って自分の利権にして、すぐ上前はねようとするじゃないですか」
そんなモウカリマッカの話に、エンリは「って事は、何か新しい産物か?」
モウカリマッカは鞄から袋に入った大粒の豆を出した。
「これなんですが、西方大陸で現地人が飲料に使っているカカオ豆というもので、コーヒーに対抗する嗜好品として売り出そうと・・・」
「密林の産物だな?」
そうエンリが言うと、背後から聞き覚えのある声で「流行すれば、アラビア商人が持ち込むコーヒーの市場を奪って、ユーロの飲み物市場を塗り替えてお金ガッポガッポ」
モウカリマッカ唖然。
エンリ王子も唖然顔で「ニケさん、何でここに?」
ニケはドヤ顔で「私に内緒で新しい産物を売り出そうなんて、百年早いわよ」
モウカリマッカは思いっきりの迷惑顔で「いや、うちのポルタ東インド会社が独自に製品化して販売しますから」
「私に任せてくれないの?」
そう言って口を尖らせるニケに、エンリは「どうせ輸送とかは他の商人に丸投げして、上前だけはねる気だろ」
「私を何だと思ってるのよ」
そう言って思いっきり口を尖らせるニケに、モウカリマッカは言った。
「あの、ニケさん。南インドの肉桂とかを丸投げして頂いてますけど、そちらに差し出す上納率が高すぎると周囲から諫められてまして」
ニケは「あの農場は、私が現地で指揮したのよ」
「タルタ海賊団の仕事でね」
あきれ顔でそう言うエンリに、ニケは「いいじゃない。私のお金ーーーーーーー」
ひとしきり好き勝手言い続けたニケが落ち着くと、モウカリマッカが持ち込んだ、問題の飲料を試飲する。
いつの間にかリラとアーザーも混ざっている。
「これがカカオ飲料ですか」
そう言って全員、一斉にカップを執って一口。
「苦いね」とエンリ。
「砂糖を入れると、飲みやすくなります」とモウカリマッカ。
ニケが「コーヒーもそうだけどね」
「けど、こっちの苦みは癖が強いですね」とリラ。
アーサーが「まったりして癖になるけどね」
エンリが「しつこいお味とも言う」
「このまったりって、油分よね」とニケ。
「好みの問題だと思うが」とエンリ。
カカオ飲料は飲用嗜好品として、目新しさもあって、それなりに流行し、ポルタやスパニアに広まった。
だが、コーヒーにとって代わるまでにはならなかった。
高級品の割に癖が強くて飲みにくい・・・というイメージが定着したのだ。
執務室でモウカリマッカの話を聞くエンリ王子。
「それで先ずコストを下げようと、農場での栽培が始まった訳か」
「そんなの駄目よ。南方大陸西岸でイギリス人やオランダ人の植民都市ができ始めているわよ。彼らが苗木を持ち出して栽培を始めたら、市場が奪われるわ。高級品というのは供給が少ないから、少数の金持ちが珍しがって大金はたいて欲しがるのよ」
そう力説するニケに、エンリ王子は言った。
「けどさ、大勢の小金持ちが飲む方が、より社会全体に大きな満足をもたらすぞ。豊かになるってそういう事だろ」
ニケは「王子は仲間である私の利益と社会全体の利益と、どっちを優先するのよ」
エンリは「いや、その問いで社会全体を後回しにするって、普通言わないと思うよ、人として」
そんな押し問答に割って入るモウカリマッカ。
「それ以前に、実は農場がうまくいかないのです」
「そうなの?」
そう言ってがっかり顔をするエンリと対照的に、ニケはテンションを上げた。
「つまり、栽培にはコツが必要って事よね。だったら私たちで栽培法を掴んで、それを秘匿して売り出せば、大きくなった市場を独占してお金ガッポガッポ」
モウカリマッカの案内で西方大陸に渡り、カカオ農場を視察に行くタルタ海賊団。
植えたカカオの苗が枯れている。
「枯れる理由は解らないのか?」
そう問うエンリに農業技術者は「開拓したての土地で地力は十分の筈ですし、水もちゃんとやってます」
エンリは、デンマルクで見た植林事業を思い出した。
そして(あれはアルプス樅とノルウェー樅を一緒に育てたんだよな)と脳内で呟く。
密林では周囲に様々な木が生えている。何かの木と一緒に育てる必要があるのではないのか。
エンリは農業技術者たちに言った。
「密林でカカオの木が生えている所を見せてくれ」
「何か思いついたんですね?」
そう問うアーサーに、エンリは「隣で何か別の木と一緒に植える事で育つんじゃないのかな。だとしたら、きっと密林で同じ木の隣に生えている筈だ」
雇われている現地人農夫に案内されて密林へ。幾つものカカオの木を見て、ニケがカカオの隣に生えている木を観察し記録する。
一通り見て回ると、ニケは「どれも、隣に何種類も木が生えているけど、共通するものなんて無いわね」
「すると下草かな?」とエンリ。
「土の問題かも?」とモウカリマッカ。
農業技術者は「いや、養分に問題は無い筈です」
「じゃなくて、何か埋まってる上に生えるとか」とカルロが言い出す。
若狭が「ジパングでは桜は死体が埋まってる上に生えると言われてますけど」
ジロキチは困り顔で「そういう怖い伝説は要らないから」
そんな会話の中で、エンリは見て回った密林の状況を思い出す。
そして、ある事に気付いた。
「あのさ、木の種類は違っても、どれも高木の隣に生えてたよね」
それを聞いてアーサーが「もしかして日当たりの問題かな?」
「いえ、畑では日光を遮るものが無いので、日当たりに問題は無い筈です」と農業技術者。
「じゃなくて、日が当たり過ぎるのが駄目って事なのかも」とエンリ。
「つまり、カカオを別の高木と一緒に栽培すれば」
そう農業技術者が言うと、モウカリマッカは「なるほど、やってみましょう」
そして栽培実験へと話は進んだ。
「それで、何の木と一緒に育てるか。って話になった訳ですが」
そんな話をモウカリマッカから聞き、あれこれ言い出すエンリたち。
「どうせなら、育てて役に立つ木がいいわよね」とニケ。
「だったらバナナですね」とモウカリマッカ。
「バナナって、猿が食べる奴?」とエンリ。
「ちゃんと人間の役にも立ちます」
そうモウカリマッカが言うと、タルタが「知ってる。皮をトラップに使うんだよね。道に投げると、追って来た敵がそれで滑って転ぶんだよ」
「じゃなくて、ここの現地人の主食ですよ」とモウカリマッカ。
農場でカカオの木と一緒にバナナを植える。
枯れずに成長を始めたカカオの苗を見て、エンリたちも一安心。
「成功ですね」
そうアーサーが言うと、農業技術者も「カカオ飲料を安く販売できます」
「ところで、バナナって現地人の主食だよね。美味しいの?」
そうタルタが言うと、技術者は「甘くて美味しいですよ」
現地人の家で、昼食にバナナ料理を食べるエンリたち。
擂り潰した澱粉系のペーストに、肉や野菜の具を包んで蒸し焼きにする。
食べながら、あれこれ言うエンリたち。
「芋だよね?」
そうエンリが言うと、技術者は「木の実ですよ。あそこに吊るしている青くて細長い実です」
そう言って彼が指したものを見て、ジロキチが「甘くは無いけど」
「甘いのは、あっちの黄色いのですよ。古くなって痛んだもので、子供のおやつです」と技術者は、棚の上に載せてある黄色いものを指す。
ファフがその黄色いバナナの端からパクリと・・・。
そして「変な味なの」
「皮を剥いて食べるんですよ」
そう技術者に言われて、ファフは皮を剥いて一口食べる。
「甘くて美味しいの」
ニケは「これ、おやつとして輸入できないの?」
「遠足に持っていけたら楽しそうですね」とリラ。
若狭が「昼食として? それとも・・・」
タルタが手を挙げて「先生。バナナはおやつに入りますか?」
「先生って誰だよ」とエンリは困り顔。
だが、技術者は言った。
「交易の商品としては無理かと。黄色いのは日持ちしませんから」
「けど、青いうちは日持ちするんだよね。それは輸入できるんじゃ・・・」とカルロが言い出す。
ジロキチが「ユーロで栽培できる芋と同じようなのを、わざわざ輸入しても意味無いだろ」
するとカルロが「じゃなくて、青いうちに輸送してユーロに着く頃に黄色くなって食べごろに・・・ってのはどうよ」
「なるほど」
カカオ豆と一緒にバナナを交易品として輸入する計画を立てるモウカリマッカ。
だが・・・。
「あの話、困難になりまして」
ポルタに戻ったエンリの執務室で、そう報告するモウカリマッカ。
「何か問題が?」
そう問うエンリに、彼は「現地人が反対運動を起こしまして。自分たちの食料を持って行かないで欲しいと」
「だったら、売れるならバナナ専用の農場も作ったらどうかな」とエンリ王子。
生産の拡大により、まとまった量の流通が始まったカカオ飲料。
価格が下がって売れ行きも増加し、お菓子としてのバナナの取り扱いも加わって、それなりの利益を出すに至った。




