第256話 人化燕の恋人
無警戒なフェルハト王子に迎え入れられた暗殺集団の長ワグネルは、早速、人々に牙を剥いた。
領主権の簒奪を宣言し、フェルハトをギロチン台にかけたワグネルに、エンリは反撃を開始し、そのマミーとしての体を保つ聖画像を傷つけられたワグネルは、岩山の修道院跡に逃げ込んだ。
ワグネルを追って、エンリ達が修道院跡の地下室に駆け込む。
そこには棺から身を起こし、朽ちかけたワグネルの体を両手で抱いた老人が居た。
「あなたは?」
そう問うエンリに老人は言った。
「私の頬を打ちなさい。右も左も。その罪は私が許します」
「はぁ?・・・・」
彼はワグネルの体とともに朽ちて崩れ、塵となって消えた。
「何なの? これ」と、唖然顔のニケ。
「1000年前にここに居て聖者と呼ばれた人・・・」
そうアーサーが言いかけると、エンリは「・・・のマミーだよね」と補足した。
「そんなのがマミーになったら、とんでもなく強力なモンスターだぞ」とタルタ。
「けど、何もしなかったですよね」とリラ。
エンリは言った。
「結局神様って、祈って願いを叶えてくれる存在だとみんな思ってる。けど、本当は何もしないんだよ」
「魔法は?」
そう問うタルタにアーサーが「あれは自分の意思で引き起こす現象だよ」
棺の前に置かれた二発の弾痕のある聖画像。
「図柄は最後の審判の救世主を描いたものだな」とエンリ。
ジロキチが「それでマミーかよ」
「これを禁止して、ここの人たちがそれに抵抗した。それで殺された怨念がワグネルのマミーに憑りついたって訳なんだろうな」とエンリ王子。
「けどこれ、イコンですよね? 今でも東方教会が普通に拝んでるんだけど」
そうマゼランが言うと、アーサーが「教皇派教会にある十字架上の救世主だって聖母像だって聖像だよ」
「禁止って言うけどガバガバじゃん」とタルタ。
エンリは言った
「あの頃、西側ではゲルマン人への布教の真っ最中だったからね。聖像みたいな、眼で見て感覚的に理解させる偶像的なものが必要だったのさ。けど本来の唯一信信仰は、言葉による概念で理解させるべきだって考え方で、そういうのを否定して、偶像禁止の戒律を作った」
ニケが「それに聖像が必要な西側が抵抗して、教皇派として分離して、残ったのが東方教会だって言うのよね。つまり東方教会って、聖像を禁止した側だったって事よね。それじゃ何で今、禁止した筈のイコンを?」
アーサーが「スラブ人に布教するのに必要になったんだよ。それで復活させた」
「ご都合主義過ぎだろ」とタルタ。
「それで、一枚だけ持ち出されたこれが、復活したイコン信仰の中で、また信仰対象として伝えられて、流れ流れて彼をマミーに?」とマゼラン。
「けどワグネルって、元々誰かの死体だったでござるな」とムラマサ。
エンリは「それが誰かなんて、本人にも解らなくなってたんだろうな。怨念に乗っ取られて」
「けど、彼をマミーにした人が居たんですよね?」とリラ。
「相当な魔導士だろうな」とジロキチ。
聖画像と一緒に落ちていた手帳を見て、アーサーが言った。
「この手帳、死者の書ですよ。エジプト魔術の聖典の・・・」
「東方教会にはいろんな宗派があって、そういうのの影響が残っている所も多いからね」とエンリ。
そしてエンリは思った。
(そういえばロシアにラスプーチンという強力な魔術を使う奴が居ると聞いたけど、彼がこの件に何か関係があるのかな?)
エンリたちが岩山を降りて館に戻ると、人々は、騒ぎの後片づけに追われていた。
フェルハト王子は美少女のシリンに回復魔法を施していた。
それが済むと、彼は他の怪我人の所に行って回復魔法を施す。
アーサーとリラもそれを手伝う。
怪我人の治療を仕切るニケ。
日が暮れて夕食となるが、街が至る所で破壊されており、夕食は街の人たちが協力しての炊き出しとなった。
広場で住民全員がわいわいやりながら夕食を食べる。
「エンリ王子、あなたのおかげで、みんな、生き残る事が出来ました」
食事しながらフェルハトにそう言われると、エンリは言った。
「どういたしまして・・・と言いたい所ですが、領主権というのは領主の所有物じゃ無い。人々を守る義務でもあるんですよ。武器で脅されたからって、自分の命と引き換えに民を傷付けないでくれと言って、そんな約束守る悪者なんて居ません」
「あの、エンリ王子、その説教、小一時間続きます?」と、アーサーが横からフェルハトに助け船を出す。
残念な空気が漂う。
そしてフェルハト王子は「それで、私はこれからどうすれば・・・」
「どうすればって?・・・」とエンリは困り顔で頭を掻く。
「領主権を放棄したんですけど」とフェルハト。
エンリは慌てて「いやいやいや、ワグネルは死にましたし、たとえ生きてても、誰も認めないですよ」
すると、フェルハトはエンリの手を執って、真顔で言った。
「あなたに領主権を貰って欲しいのですが」
断固拒否するエンリ王子。
「嫌ですよ。だってここ一応、オッタマの一部で、あんた一応あの皇帝の臣下ですよね? だいたいここってアラビアの教えの国で、こんな所の領主になったら改宗迫られます。一日五回の礼拝で早寝早起きとか、豚肉食えない酒飲めないとか、毎年の断食月とか、聖典原書で読むからアラビア語マスターしろとか絶対無理!」
「同時に四人と結婚出来ますけど」とフェルハト。
エンリは「いや、要らないから。今だってリラとイザベラで手一杯だ」
するとリラがエンリの上着の裾を掴み、涙目で「あの、私ってエンリ様のお荷物なのでしょうか」
それを見てタルタが「あーあ、リラさん泣かせちゃったー」
ファフも「いーけないんだいけないんだ」
「子供かよ」と言って慌てるエンリ。
そして彼はリラの手を執って「そんな事は無いぞ。俺、リラが好きだ」
「本当? リラさえ居れば何も要らない?」と口を挟むニケ。
そう問われてエンリは「当然だ」
リラは「王子様」
「姫」
「王子様」
「姫」
互いに見つめ合い、呼び合う二人。
そしてリラは「なら、イザベラ様と離婚して私のものになって貰えますか?」
そう問われてエンリは「いや、それは・・・・・・・・」
「私さえ居れば何も要らないんですよね」とリラは楽しそうに追及する。
「俺、そんな事言ったっけ?」
そうすっ呆けるエンリを見て、カルロが「大丈夫ですリラさん。記憶の魔道具でバッチリ録音してますんで」
エンリは焦り顔MAXで「だから政略結婚は王族の義務で・・・。おいアーサー何とか言え。お前、リラの事が好きなんだよな?」
「なので俺、リラさんの味方」と突き放すアーサー。
エンリは縋るような目で「ジロキチ」
「俺って唐変木なんだよね? なので恋愛ワッカリマセーン」と突き放すジロキチ。
エンリは縋るような目で「タルタ」
「女の気持ちを汲むのが男だって、王子、俺に小一時間説教したよね?」と突き放すタルタ。
「お前等なぁ!」
そう悲鳴を上げるエンリに、ニケが「王子、金貨80枚でこの場を収めてあげてもいいわよ」
エンリは目に$マークを浮かべるニケを見て「いや、いい。ニケさんに任せるとロクな事にならない」
残念な空気の中で頭を抱えるエンリ。
笑うリラ。笑うフェルハト王子と、その隣で笑うシリン1号。
そんな二人にエンリは問う。
「ところでシリンさんって人化した燕魔獣なんですよね? あの技って・・・」
「翼の衝撃波で真空状態を作って敵を切り裂くんです」とシリン1号は答える。
ジロキチが「ジパングに居る鎌イタチって妖怪と同じ技だな」
リラが「それで無理をして右手を痛めて」
そしてエンリは「貧しい人達にフェルハト王子の宝石を配ったのも、あなたですね?」
フェルハトは言った。
「私は周囲に甘やかされているだけの何も知らない王子でした。けど、彼女が貧民の悲惨な暮らしを教えてくれたんです」
「けど、あれで彼等は救われたのかな?」とエンリ王子。
フェルハトは少しだけ哀しそうな表情で俯いた。
だが、すぐに顔を上げ、そして笑顔で「一時しのぎに過ぎないとは、解っています。今日の糧を得たとしても、明日は、明後日は。けど、それは他の人が助けてくれる。それで命を繋いだ彼等は、今度は他の人を助ける。人はみな、そうやって支え合って生きているんです」
エンリは思った。
(何も知らないボンボンって訳でも無かったのかな)
そしてフェルハトはエンリに言った。
「ところで私は、これからどうすればいいのでしょうか。領主権は放棄して、今はただの一般人なんですが」
エンリは溜息をついて「だーかーらー、黙ってしれっと領主続けてればいいんですよ」
「けどエンリ王子は、私が領主でなくなったから助けてくれたんですよね?」とフェルハト王子。
エンリは更に溜息をついて「あれは単なるその場の方便ですから」




