第245話 幼妃の恋人
五歳のアントワネット姫の、ルイ王子の婚約者としてのパリでの宮廷での生活が始まった。
何人もの世話係の女官や侍従、家庭教師たち。
そして幼い姫に付き従う護衛隊長のオスカル。
家庭教師の個人授業を受けながら、アントワネットは教師に言った。
「ルイ殿下は何をしておられるのかしら」
教師は「殿下には専属の家庭教師がおられますので」
「王子様と一緒に授業は受けられないの?」
そう姫に訊ねられて、教師は微笑ましそうに「姫は殿下が大好きなのですね」
「結婚相手ですものね」とアントワネット。
やがてアンヌ王妃の取り計らいで、ルイとアントワネットは一緒に家庭教師の授業を受ける事になった。
だが、アントワネットの目当ては、ルイ王子本人というより、彼の従者フェルゼンだった。
王子と一緒に居る時は、いつもフェルゼンの話題になる。
「フェルゼン様って素敵な方ですわね」
いつもの四人で街を歩く道すがら、アントワネットはフェルゼンの上着の裾を掴みながら、ルイ王子にそう言った。
「こいつは僕のお気に入りなんだ。剣だって魔法だって誰にも負けない。フェリペの所のマゼランとだって」とルイ王子。
フェルゼンは「彼とは、次の手合わせで勝ち越します」
「頑張ってね、フェルゼン様」と言いながら彼の片手を掴むアントワネット。
そしてフェルゼンは言った。
「姫のためにも必ず勝ちます。それでオスカル殿、剣術の稽古をつけて欲しいのですが」
「剣の道に天井は無い。どこまでも上を目指して精進するのが武人だ。兵営に来れば、いつでも揉んでやるぞ」
そう言ってフェルゼンの頭をポンポンするオスカル。
フェルゼンはノルマン貴族の八男として生まれた。
跡継ぎの長男以外の兄たちは何とかノルマンでの役職にありつけたが、彼はそこからもあぶれて、外交官見習いとしてフランスに来て、ルイ母子に見いだされたのだ。
(八男とか、そりゃ無いよなぁ。けど、そんな俺を拾ってくれた君主だ。頑張ってこの王子に仕えるんだ)
そう脳内で呟きながら、彼は自分にまとわりつく幼女を見る。
(妹が居たら、こんな感じなんだろうなぁ)
そして彼は、隣に控えているオスカルを見る。
(お姉さんが居たら、こんな感じなんだろうなぁ)
彼は兄弟は多いが、全員男だった。
「君はノルマンの生まれだね?」
そう訊ねるオスカルに、フェルゼンは答えた。
「八人兄弟の末です。それで、知り合いの伝手でありつける官職は全部兄たちが占めてしまって、仕官先を求めてフランスに来たのです」
「偶然だな。私も八人兄弟なのだが、全員女で、跡取りを望んでいた父上は、仕方なく男の子を諦めて、私を男として育てたんだ」とオスカル。
フェルゼンは「私と逆ですね」
やがてフェルゼンはオスカルに恋をした。
オスカルに夢中になるフェルゼンを見て、釈然としないアントワネット姫。
(フェルゼン様ったら、オスカルの事ばかり。あの人のどこがいいのかしら)
だが、部下の近衛隊士たちとわいわいやるオスカルを見て、アントワネットは呟く。
(オスカルって、随分と男性に人気なのね。ああいうのをモテ女子って言うのよね)
アントワネットは、授業の合間の休憩中、横に控えているオスカルに言った。
「オスカルって、いろんな男性と仲良しですわよね」
オスカルは楽しそうに「みんな、いい奴ですから」
「あんな風に男性と仲良くなる秘訣ってあるのかしら?」とアントワネットは物欲しそうな目で尋ねる。
そして・・・。
次の日、いつものように家庭教師の授業を受ける時間が来る。
「おはようございます。ルイ殿下」
「おはよう、アントワネット姫」
そんな挨拶をかわすルイ王子とアントワネット。
そして彼女は、いきなりルイ王子を殴った。
周囲の人たち唖然。
壁際に吹っ飛ばされて、ルイ王子唖然。
そして「僕、何か姫を怒らせるような事、した?」
教育係のメルシー伯に小一時間説教されるアントワネット姫。
「何故あんな事をしたのですか?」
「男性と仲良くなるにはどうすればいいかと相談したら、ああするのが一番だと教えられましたの」と姫は答えた。
「誰がそんな事を?」
困り顔でそう訊ねるメルシー伯に、姫は「護衛のオスカルよ」
メルシー伯は頭を抱えて姫に言った。
「とにかく、そういう事は女性がやる事ではありません。暴力ヒロインというのはただのギャグで、漫画やアニメの中だけです」
ルイ王子に謝るアントワネット姫。
「ごめんなさい、ルイ殿下。ああすると男性と仲良くなれるって言われたの」
「姫は僕と仲良くなりたいの?」
そう問う王子に姫は「もちろんですわ」
「けど、君はフェルゼンが好きなんだよね?」
そう王子に言われて「それは・・・」と言葉を詰まらすアントワネット姫。
オスカルに事情聴取するアンドレ。
「隊長、アントワネット姫に何を教えたの?」
「男と仲良くするにはどうしたらいいかと聞かれて、拳で語るのが一番だと答えたのだが、何かまずかったか?」とオスカル。
アンドレは頭を抱えて彼女に言った。
「いや、そんな軍隊脳を五歳の女の子に吹き込んじゃ駄目でしょ。大体、あの子が男性と仲良くするって、あなたが隊員と酒飲んでわいわいやるのと違いますから」
「どう違うんだ?」とオスカル。
「恋愛ですよ。ルイ王子とかフェルゼン相手の」
そうアンドレに言われ、オスカルは「いや、私は恋愛とか無関係だぞ。そんな私に何を聞きたいというのだ?」
アンドレ、溜息をついて「いや、あんたモテてるだろうが」
「モテてるって隊員とかに? 冗談きついぞ。私みたいな上官女が部下からどう呼ばれるか知ってるか? 全身義体の女少佐なんて、仇名がゴリラ女だぞ」
そんなオスカルに、アンドレは更に溜息をついて「いや、そういう他所のアニメの話はいいから。で、あなたはフェルゼンをどう思ってるの?」
「いい奴だな。顔もいいし、腕もたつし、根性もあるし、礼儀正しいし、それに若くて弟が居たらあんな感じかな・・・と」
そう答えるオスカルに、アンドレは「そのフェルゼンが君の事を好きだってのは?」
オスカルは言った。
「勘違いだろ。私のような男女を好きになる奴など居るものか」
次の日、副官のジェローデルがオスカルに言った。
「仕事が終わったら伝えたい事があるのですが」
オスカル、怪訝顔で「いや、言いたい事があるなら、今言えばいいと思うが」
「ここではちょっと」ともじもじするジェローデル。
「人に聞かれたら不味い事とか?」
そう不思議そうに問うオスカルに、彼は「まあ・・・」
するとオスカルは「私は気にしないぞ。つまりアレだろ? 夜間警備の当番で私が作った夜食が砂糖と塩を間違えて、酷い味だったって件」
「違いますよ」
オスカルは「間違えて男性用のシャワー室に入った件」
「だからそういう残念系じゃなくて、もっと真剣な話で」と溜息をつくジェローデル。
「まさか姫殿下に対する陰謀とか」
そう真剣顔のドアップで迫るオスカルに「いや、もっと個人的な話ですから」とタジタジのジェローデル。
その日の仕事が終わって、待ち合わせの場所へ行くと、ジェローデルが一帳羅のスーツを着て髪を整え、大きな花束を抱えて待っていた。
そして「あの・・・オスカル隊長。これを」と彼は花束を差し出す。
「これって・・・」
唖然とするオスカル。
やがて彼女は一呼吸置くと、ジェローデルの肩をポンポン叩いて、言った。
「そうか。お前はいい奴だな」
「あの・・・」
「つまりアレだろ? 街角の花売り娘が、全然花が売れずに困っていて、見兼ねたお前は有り金叩いて、売れ残りの花を全部買ってあげたと。それで今月ピンチなんだよな。金なら貸してやる。いくら必要だ?」
そう言うオスカルに、ジェローデルは「いや、違いますから。何でそんな斜め上な解釈するんですか?」
「だってこれじゃまるで、この私に愛の告白してるみたいな図じゃないか」と、オスカル困り顔。
「いや、まるでじゃなくて、これは愛の告白です。オスカル隊長、俺、あなたの事が好きです。俺と付き合って下さい」と真顔で迫るジェローデル。
「付き合うって・・・」
「言っときますけど、買い物に付き合ってくれとか、チェスの練習に付き合ってくれとか、そういう話じゃないですからね」と釘を刺すジェローデル。
「返事は、今じゃなきゃ駄目か?」
そんなオスカルにジェローデルは「何時までだって待ちます。十年でも二十年でも」
オスカルは困り顔で「いや、それだとお前、婚期を逃すぞ」
とりあえず保留という事で話を打ち切り、その場を後にするオスカル。
そして・・・。
「ああ、びっくりした。けど、本気で私を好きになる奴が居るなんて。けどジェローデルかぁ。改めて考えると、悪くないな。顔もいいし、腕もたつし、根性もあるし、礼儀正しいし、いつも尻尾を振ってついて来る犬みたいで可愛いというか。・・・まてよ? 最近同じ言葉を口にしたような気が・・・」
そんな事を呟き、オスカルは記憶を辿る。
そして・・・。
「私って本当にモテてるんだろうか。だとしたら、フェルゼンが私の事を好きだってのも・・・」
思わず口元がにやけるオスカルを見て、隣に居るアンドレが怪訝そうな顔で言った。
「何か嬉しい事でもあった?」
オスカルは慌てて「なななななな何でも無いぞ」




