第240話 憐みの法令
ここはフランスの王宮。
その日、宰相リシュリューは頭を抱えていた。
彼の目の前にあるルイ王の置手紙に曰く。
「日頃の激務に疲れたので、王の権限により、しばらく自分にご褒美・・・じゃ無くて休暇を与える事とした。なので探さないように。溜まった書類の決裁は、全面的に宰相に委任する。国王ルイ・ド・ブルボン。宰相リシュリュー殿へ」
「どーすんだ、これ」
そう溜息をついて呟くリシュリューに、彼の部下は「どうしますか?」
リシュリューは言った。
「どうせまたホストクラブにでも入り浸ってるんだろ。とにかく権限を委譲するという命令書もある事だし、未決済の書類を片付けるぞ」
数人の役人に手伝わせて、書類の山を分類し、処理していくリシュリュー。
そんな上司の様子を見て、役人の一人が言った。
「始めから宰相の仕事にした方が良かったんじゃないですか?」
「国王が有能でちゃんと仕事してますって体裁が無いと、絶対王政として格好がつかないんだよ」
そう身も蓋も無い事を言リシュリュー。
やがて、処理の進む書類の山の中から、一枚の法律施行命令文書が出てきた。
諸々の承認手続きが完了して、後は王の決済を待つばかりの状態だ。
リシュリュー宰相とその部下たちは、その処理に頭を悩ませた。
「これ、五年前の法案だよね?」と一人の部下が・・・。
「未決済書類の山に埋もれて、五年間たな曝しかよ」と、更にもう一人の部下が・・・。
「で、どういう法律だ?」とリシュリュー。
一人の部下が表題を呼んで「げい類憐みの令・・・だってさ」
別の部下があきれ顔で「アレだろ? 鯨は人間の次に賢いから殺すのは殺人と同じ・・・とかって、東の島国に対する嫌がらせだよ」
「"緑豆真理教"とか"海の犬同胞団"とかいうテロカルトの教義じゃないか」と、更に別の部下が・・・。
リシュリューもあきれ顔で「そんな変な宗教のために鯨類憐みの令・・・って、何でそんなものを?」
「そーいえば聞いたような気がする。王様の祖先の祟りがどーだとか」と、彼の隣に居た部下。
「それで変な勧誘受けてズブズブ関係に?」と、その隣に居た部下。
そんな取り留めの無い事を好き勝手言う部下を他所に、リシュリューはそれに気付いて言った。
「いや、違うぞ。条文読んでみろ。このゲイってのは同性愛者の事だよ」
「つまり王様自身がホモだから?」と一人の部下が・・・。
「公私混同な気もするが」と、その隣に居る部下。
別の部下が「けどLGBTはポリティカルコレクティブだよね」
「ポリコレ棒で綱紀粛正?」と、更に別の部下。
「けど、性的少数者の権利の保護は大事だよね」
決済手続きを終えて施行へという流れになる。
その趣旨は大きく三つ。
第一に、同性間の結婚を認める。
第二に、性的嗜好を理由に解雇や処罰や規制をしてはいけない。
第三に、ホモという言葉は差別語なので、口にしてはいけない。
その内容が発表されると、大問題に発展した。幼い子供を持つ親からの苦情が殺到したのである。
パリのコーヒー店に集まる客たちの間で、多くの批判意見が飛び交う。
「ロリコン不審者に職質するな、って事ですか?」
「三十台後半で太って眼鏡かけてキャラ物のTシャツ着を来た奴が野放しになるのは、幼い子供を危険に晒す人権侵害だ」
「いや、それを理由に逮捕するのも人権侵害な気がするが」
更に、同性婚を認めるべきではないと主張する強硬な反対派が現れた。
宰相の執務室で頭を抱えるリシュリューに、あれこれ言う部下たち。
「そういう保守的な奴はどこにでも居るよ」
「まさかマザームーンとか言うカルトの二代目じゃ無いよね?」
リシュリューは頭痛顔で「いや、あの家庭がどーとか言うのは、民族ヘイトな教義で全財産寄進しろと信者を脅す邪教が、自分達の危険な本性を誤魔化すために言ってるだけの、心にも無い建前スローガンだぞ」
すると一人の部下が困り顔で「それが、反対しているのは三銃士の人たちでして」
銃士隊が乗り込んで来る。
アラミスは、困り顔のリシュリューに、凄い剣幕で食ってかかる。
「シュリューュー閣下。あなたは王をそそのかして、アンヌ王妃と離婚させて、男性の恋人を王妃に迎えさせるつもりですよね?」
更にポルタスが「いや、あなた自身が王妃になろうとしているんじゃ無いですか?」
アトスが「やっぱり、離婚を認めるフランス国教会を作ったのは、それが目的だったんですね?」
リシュリューはうんざり顔で「いや、違うから」
そんな三銃士に反論しようと、衛士隊が乗り込んで来る。
隊長は、リシュリューを庇うかのように、三銃士たちの前に立ちはだかると「お前等にリシュリュー閣下の野望の邪魔はさせない」
リシュリューは慌てて「だから違うって」
一人の衛士隊隊員が「我々は閣下と国王陛下の恋を妨げる事を許さない。賛同する署名もこんなに」と言って分厚い署名の束を掲げる。
その署名の束を見て、リシュリューは困り顔でその隊員に「これ集めたの、ポンパドール夫人だよね?」
「あの腐女子がぁ」と悔しがるダルタニアン。
ポンパドール夫人が乗り込んで来る。
「閣下、男性同士の恋愛を、どうか恥じないで下さい。ホモが嫌いな女は居ません」
アラミスが「そりゃあんたの趣味だろ」とポンパドール夫人に・・・。
すると三銃士と一緒に居たコンスタンツが「署名なら反対派をこんなに集めました。貴族たちはみんな王妃様の味方です」と言って分厚い署名の束を掲げる。
「いや、だから・・・」とリシュリューは頭を抱える。
「私は離婚は嫌です」
そう言いながら、アンヌ王妃が乗り込んで来る。
「アンヌ王妃。そんなにも陛下のことを」と、リシュリューも感動顔。
「せっかくルイ王子が生まれたのに、離婚して国に戻ったら、王太子としてこの国の残るこの子と離れ離れになってしまう」とアンヌ王妃。
リシュリューは残念顔で「ルイ王への夫婦愛って訳じゃ無いのね」
すると、アンヌ王妃について来ていた幼いルイ王子が王妃のドレスを握って「母様、ぼく、父様と母様と三人で居たい」
「いい話だなぁ。やっぱり略奪婚は駄目ですよ」と三銃士たちは口を揃える。
リシュリューはますます困り顔で「いや、誤解だから」
「こういうの、止めませんか」
そう言いながら、エンリ王子が乗り込んで来る。
「エンリ王子が何故ここに?」
そう驚き顔で言うリシュリューに、エンリ王子は言った。
「アンヌさんから連絡を受けて駆け付けました。宰相であるあなたがルイ王夫妻を離婚させて自分が王妃になろうというのは、フランスの問題で外国人の我々には無関係です。けど、あの時、王は言いました。自分にも選ぶ権利はあるって。あなたは男性ですが、王は有能だから重用しているだけで、彼の好みではありません」
リシュリュー、溜息をついて「いや、あの時私も自分はホモじゃないと言いましたよね? 全部誤解だから。私を何だと思ってるんですか?」
事情を説明するリシュリュー。
「要するに、王が行方をくらませている間の未決済書類を丸投げされたと?」
その場に居た全員があきれ顔で溜息をつき、そう言うと、リシュリューは言った。
「苦労して片付けた五年分の書類の山から出て来た施行命令で、私の都合とか無関係なので」
すると感動顔のアーサーが「あの、リシュリューさん、あなたの爪の垢を分けて貰えませんか。煎じて王子に呑ませたい」
エンリ王子は膨れっ面で「俺も書類が溜まってるってんだろ? 仕事が遅くて悪かったな」
リシュリューも困り顔で「いや、そんなので仕事が早くなるなら、ルイ王に飲ませてますよ」
「けど、この件・・・」
そう呟くエンリは、一呼吸置くと「これ、王が帰ってからにしません?」
リシュリューは言った。
「これだけ苦労して最後に残った一枚なんで、完全を期したいです」
「本当に五年分処理したのかよ」と溜息をつくタルタ。
アーサーはリシュリューの手を執って「やっぱり爪の垢を」
「それはもういいから」と困り顔のリシュリュー。
一連の馬鹿騒ぎに結論を出すべく、エンリは提案した。
「だったら問題になる条項は削ったらどうです? 必要なら王が戻ってから改正すりゃいいでしょう」
「それで行きましょう」と、その場に居る人たち。
とりあえずの問題先送りに彼らが安堵の表情を見せる中で、エンリはふと脳裏に感じた疑問を呟く。
「けどこれ、性的少数者の権利と言う割に、憐みとか、上から目線過ぎじゃ無いのかなぁ」




