第198話 撤退戦の英雄
ロシア軍をデンマルクから追い出すエンリたち連合軍の戦いで、敗北を喫する事が不可避となったロシア軍本隊から離れたピュートル帝が、手勢を率いてノルマン首都を奇襲。
グスタフ王戦死の誤報で奮起した市民兵がロシア軍を押し返す中、港の沖合に多数の船が姿を見せた。
連合の救援軍を乗せた艦隊だ。
これを見たピュートルは部下たちに言った。
「そろそろ潮時だな。向うに残した本隊はどうなった?」
部下は「敵の注意がこっちに向いてる隙に追撃をまいて、ポーランドに入る安全ラインを越えたそうです」と報告。
ピュートルは生き残った兵を連れて海岸に出ると、数隻のゴイセンの潜水艦が浮上していた。
これに彼等は分乗する。
潜水艦は海岸線を離れ、水中に姿を消した。
ピュートルの部下たちは潜水艦の中で、安堵の表情であれこれ言う。
「ハンブルクの攻城戦に主力を残して、この少数でリューベックに来た時は、あの多くの兵を見捨てるのかと、本気で心配しましたよ」
ピュートル帝は困り顔で「こ・・・この俺がそんな薄情な事をする訳無いじゃないか、あは、あはははは」
ピュートルは回想する。
リューベックの港でイギリス海軍の目を晦ます算段をする中、憔悴したピュートルは呟いた。
「どうしようか。即位そうそう、こんな負け戦を仕出かして。撤退と言っても、行く先々に居るドイツ諸侯は全員敵に回って、食料も調達できない。後ろからは連合軍が迫って来る。プロイセンに裏切られてドイツ皇帝にも頼れない。敵の目を晦まそうにも、あんな大軍を率いていたら・・・。だから奴等を囮に使って、手勢を率いて逃げて来たが、隠密行動で本国まで逃げても、主力を失ったロシアは連合軍に攻め込まれる。敵を奥地に引き込んで補給路を断つ作戦なら撃退は可能だろうが、また焦土作戦って事になるよなぁ。モスクワだって焼く事になるよなぁ」
その時、一人の小さな女の子が、コーヒーの入ったカップをピュートルに差し出した。
「どうぞ」
ピュートルはそれを飲むと、少しだけ元気が出た。
そして「紅茶の方が好きだったんだが」
女の子は笑い、そして言った。
「ピュートル皇帝陛下ですわよね?」
部下たちが腰のサーベルに手をかけるのを、ピュートルは制した。
そして「君はドイツ領主の家の子だね?」
女の子は言った。
「エカチェリーナと申します。デンマルクの母の実家から帰る途中、ここに立ち寄りました。それで、ノルマンの都に攻め込まれるのですよね?」
「はぁ?・・・・・・・・・・・・」とピュートル唖然。
そして、部下たちが腰のサーベルに手をかけるのを、ピュートルは制した。
「どうしてそう思うのかね?」とピュートル帝。
女の子は言った。
「陛下は軍の主力を残してここに来られ、少数の兵を連れて船に乗ろうとしておられます。一見、主力の兵を囮にして自分だけ助かろうという卑怯者の行動のように見えますが、それでは軍の主力を失い、多くの兵が悲惨な最期を迎えます。ですが、ここで相手の首都に奇襲をかけ、敵の注意を引けば、敵は海軍を総動員して陸軍を乗せて救援に向かい、残された主力はその隙に本国へ撤退する事が可能となります。皇帝自らが囮になって兵たちを救う、素晴らしい作戦ですわ」
部下たち、怪訝顔で「そうなのですか? 陛下」
ピュートルは焦りの表情を必死に隠して、部下たちの前で演説する。
「そそそそうなんだよ。これから我々は敵の首都に切り込んで、兵たちを本国に逃がすための囮となる。生還する可能性は少ないが、代りになる皇帝一族はいくらでも居る。船長は船が沈む時、救命ボートに全員乗るまで船に留まる。私は祖国のために死ぬ覚悟はとうに出来ている。みんな、ついて来てくれるか?」
「もちろんです」と声を揃える部下たちの顔に精気が戻る。
そして一人の部下が「それで、ノルマンに奇襲をかけた後の撤退は?」
ピュートルは「ゴイセンの奴らを雇おう。彼等は潜水艦というものを持っている。オランダは戦線を離脱したが、これからもイギリスを牽制する対抗勢力は必要な筈だ。みんなで生き残るぞ」
「皇帝陛下万歳」と叫ぶピュートルの部下たち。
慌ただしく作戦の準備が始まるのを、幼いエカチェリーナは眺め、そして呟いた。
「皇帝が自ら囮になって兵たちを救う。何て崇高な自己犠牲でしょう。ピュートル陛下、あなたは一人の八歳の女の子の絶対の信頼を勝ち取ったのです。私も将来、あんな君主の居る国にお嫁に行きたい」
全く得る所の無い戦争だったが、敵地に孤立したロシア軍主力が無事に撤退出来たこの戦いは「リューベックの奇跡」と呼ばれ、ロシアにおいてピュートルの名声を大きく高めた。
そして彼が掲げるロシアの近代化を多くの役人が支持するきっかけとなった。
スパニアの援軍を当てにしてシレジアに進駐したドイツ皇帝軍は、プロイセン軍の反撃にあっさり破れて皇帝領に追い返された。
ポーランドではロシア兵による略奪が頻発し、ウクライナ奪還を叫ぶ貴族たちの勢力が強まって、ロシアとの関係が悪化した。
ウクライナでは独立を求める運動がロシアを悩ませた。
そしてノルマンは、南部二州を回復して独立したデンマルクと正式に条約を結ぶ。
調印の儀式を前に、カール王子はデンマルク公に言った。
「ノルマンが盟主という事で良いのですよね? その代わりデンマルクの完全な主権国家としての対等な立場を認める。あなたは今日からデンマルク王だ」
「それなんですけど」とデンマルク公。
「何かな?」
「彼等も独立国となる事を強く求めているのですが」
そう言ってデンマルク公が合図すると、一人の男性が入室した。
カールは彼を見て「フィンランド公・・・」
デンマルク公は言った。
「彼はノルマン半島に攻め込んだロシア軍を阻み、多大な戦果を上げました」
「そ・・・そうですよね」とカール王子。
「それと彼も」
そう言ってデンマルク公が合図すると、一人の男性が入室した。
カールは彼を見て「ノルウェー公・・・」
デンマルク公は言った。
「海峡戦から撤退し陸路へ転身した我々の上陸作戦を助けた」
「・・・やはり対等な立場に立ってこその友です。独立を認めましょう」とカール王子は造り笑顔を強張らせて・・・。
「それと彼等も」
そう言ってデンマルク公が合図すると、三人の男性が入室した。
カールは彼等を見て「バルトの領主たち・・・」
「我等、共にノルマンの神を頂く兄弟の国」と三人は声を揃える。
カールは困り顔で「いや、兄弟国なんて無いですよ。どこぞの半島国じゃないんだから」
「友の国ですよね。兄弟は選べないけど友人は選べる。だから信頼できる」とデンマルク公。
カール王子は涙目で彼等と握手を交わし、そして言った。
「そ、そうですね。我等はノルマン条約で結ばれた対等の独立国。そして信頼で結ばれた友の国だ。あは、あははははは」
カール王子は呟いた。
(どうしよう。ノルマン王国の領土、三分の一になっちゃったよ)
ロシアは列国との間に終戦条約を結んだ。
ポーランドに進駐していたロシア軍は撤退し、ポーランドでは貴族たちが議会で争う不安定な体制が続いた。
「辛うじて海軍の保有は認められたけど、結局、得るものは何も無かったですね」
そう側近が言うと、ピュートルは彼に言った。
「いいんだ。これで終わりじゃない。この内海の沿岸の奴らは独立した。同盟なんて所詮は一時の事だ。これから時間をかけて切り崩して、味方につけて、必ず再戦してやる」




