第169話 偽物の正義
南方大陸東岸のアラビア人植民市キルワとポルタ人植民市トガル。
二つの都市の争いを解決したエンリは、この海域に侵入して彼等の船を襲うゴイセンの巨大艦を破った。
奪った巨大艦と多数の捕虜を土産にトガルの港に凱旋するエンリ。
港に係留した巨大艦と、その乗組員だった多数の捕虜。
二つの都市の代表たちを前に、善後策についてあれこれ言うエンリ王子たち。
「あの捕虜、どうしますか?」とアーサー。
「海賊は縛り首が常識よ」とニケが容赦ない物言い。
エンリは困り顔で「それは無許可の海賊の場合だ。彼等はオランダから特許状を貰ってる私掠船だからなぁ」
そして、その場に居る街の商人たちを見て「それに奴等の事もあるし・・・」
二つの街の商人たちは声を揃えてエンリに迫る。
「海戦で船を沈められた我々の被害はどのように補償されるのでしょうか?」
エンリは彼等に言った。
「捕虜たちを人質にして雇い主に身代金を要求出来ます。相手は東インド会社という会社組織で、資金はふんだんにある。あの、金にあかせて建造した超大型船を見れば、身代金を惜しむ相手ではないとお分かりでしょう」
するとニケがノリノリで「私が交渉役になってあげるわ」
「それで上前はねる気だろ。それ却下ね」とにべも無いエンリ。
ニケは口を尖らせて「私を何だと思ってるのよ」
エンリは小声で仲間たちに言った。
「交渉は奴等の自己責任だ。そもそも乗ってるのはゴイセンの中でも下っ端の海賊で、下手すりゃ見殺しにされ兼ねない奴等だものな」
アーサーが「それに、下手すると王子の作戦のせいだとか言われ兼ねないですからね」
そしてアーサーはエンリに訊ねた。
「それで、あの船はどうするんですか?」
エンリは暫し巨大艦を眺めると「ポルタに持ち帰って海賊学部の造船科に調べさせるさ。魔導戦艦の開発で生まれた技術をいろいろ使ってる筈だからね」
船内を調べるエンリ王子たち。
鉄格子の入った留置室に一人の男が居た。
「あなたは?」
そうエンリに訊ねられて、彼は名乗った。
「イギリスの海軍魔導士官でオルコット大佐といいます。私たちはここに来る前の奴等と戦って捕虜になっていたんです」
するとアーサーが彼に「あなた、以前時計塔に居たオルコット教授では?」
「ご存じでしたか」とオルコット。
「あの時の生徒でブラバッキーという女生徒が居たのを憶えていますか?」
そうアーサーに訊ねられて、オルコットは「彼女は年の離れた男性と結婚したと聞きましたが」
アーサーは言った。
「インドに居て、ヒンドゥーの賢者の元で修行していたのですが、そこを出てここに来て、現地人の部族を煽って戦争を」
「何と・・・」
インドからここに至るまでのブラバッキーの行動を説明するエンリ王子。
オルコットは溜息をつくと、エンリにブラバッキーの説得役を申し出た。
「私が彼女に話してみます」
オルコットはトガル警備所の留置室へ。そこに居るブラバッキーと向き合う。
そして「ブラバッキーさん、私を憶えていますか?」
「時計塔魔法学校降霊科のオルコット教授ですよね?」とブラバッキー。
オルコットは問うた。
「あなたが年の離れた男性との不幸な結婚から逃げ出して、インドで修行した後、ここで現地人同士の戦争に関わったと聞きました。何故こんな事を?」
ブラバッキーは「生き物を殺すのは罪です。地獄に落ちる行為です」
「罪とは何ですか?」
ブラバッキーはその問いかけに一瞬戸惑う。
そして「それは・・・神に背く行為です。人は神によって神の目的のため、神の意に沿うように作られた」
「人は他の命を食べて生きるよう、出来ていますよね? 人が他の命を食べる事は、神の意に沿う事なのですか?」とオルコット。
「それは・・・」
オルコットは毅然と言い放った。
「地獄など存在しません。あれは"法を侵せば公が罰する"という人間社会の約束事を元にした空想です」
「ですが、悪い事をすれば悪い報いが来るという、因果の法則があります」とブラバッキー。
「因果とは、誰かの意図とは無関係に、原因から結果へと自然な流れによって至る道筋です。悪い事とは何ですか? それがどういう道筋で、どういう悪い結果をもたらすか、具体的に言えなければ因果ではない」とオルコット。
「人を傷つければ恨まれます」とブラバッキー。
「だから恨まれるのは常に恨まれた方が悪いと? ですが、世の中では人によって何を恨むかは様々ですよ」とオルコット。
「けど、人は何かされたら恨みますよね? そして報復を望む。それは正義ではないのですか?」とブラバッキー。
オルコットは言った。
「人が恨むのは"悪意によって傷つけられたから"ばかりではありません。"傷ついた"と思うような不都合が起きたから、"その原因を作った"と自分が感じた誰かを恨む。そして現実には、その不都合の原因は複数ある。そしてその原因の一端が自分自身にある場合も多い。だから時には直接的には無関係でも、単に間接的に"関係している"という理由で責任を擦り付ける。"ズブズブ"という感覚表現で周囲の感情を煽って同意を求めたり、"通行証を出した"とか"悪質な業者を取り締まった"とかいうのを"関係"という言葉で括って、あたかも悪質行為の当事者であるかのように強弁したり・・・」
「それは・・・」
「そうやって、嫌いな相手や、報復しやすい相手に責任転嫁して、見当違いな恨みを向けたりする。或いは"その状況の中で当たり前な行動をとった"だけの相手や、"悪意とは無関係に権利を行使した"だけの相手を、或いは"自分に特別な配慮しなかった"というだけの事に対する逆恨みなど、到底正義とは言えないようなものも多い。違いますか?」とオルコット。
「それは・・・」
「人は何故報復を望むのでしょうか? その加害によって奪われた尊厳を取り戻す・・・というのは自然な事です。加害とは実力を以て相手に害を強いる事で、その害を、もしくは相手を害する権利を相手に受け入れさせる事で"支配する関係"が生じます。だからその尊厳の回復とは本来、妥当な物質的返還と、その加害の行為・・・本人の人格ではなく"支配を意味する加害行為"そのものを否定する事で"相手との対等"を互いに確認する。それによって、一方的な加害により支配される関係が生じてしまう事に対する危惧を解消する。それは本来、力ではなく正当性によって実現されるべきもので、だから司法やルールによるような公による解決が成される。だが、それで満足しない感情が暴走する場合がある。それは何故なんでしょうか?」とオルコットは問う。
「・・・」
「自分に"その害を防ぐ力"が無かった事を恥じ、そうではない事を証明するために、相手に害を返そうとする。それで加害は抑止されるから、社会はそれを基本的に正しいと認識するのでしょう。これが自力救済です。しかし、"支配する者とされる者に分かつ"事を当然とする古いタイプの認識の中で、自分が"支配する側"に立つ"相手より強い存在"である事を示すため、何倍もの害を返そうとして、その結果、報復が報復を呼ぶ」とオルコット。
「・・・」
オルコットは語った。
「かつて世界は争いの巷だった。そして争いの種は無くなりません。他者から害を受けたなら、そうした関係を正して害を止める事は権利です。そのために抗い、その意思として"怒りの感情"は有る。そして抵抗すれば相手は痛みを感じて、それで相手も"争いの解消の必要"を感じる。だから"寛容"と称して、"相手によって現在行われている加害"を簡単に"存在しない事"にするのが道徳だと詐る人も居ますが、そうはいきません。そして、自分達が"過去において被害者"だったからという理由で、公の場での処理を終えた相手に一方的に憎悪をぶつけ、そのために嘘で相手を中傷するのも加害です。そうしたものに抗う権利を否定し非難するのは"権利の侵害"であり、"加害の持続"に加担するという意味では加害の共犯です」とオルコット。
「・・・」
「こちらへの攻撃に固執する相手には、抗わなくてはいけない。それを手控える事は友好でも平和でも無い。ですが、"真っ当な相手との協力"は常に必要です。だから社会の中では、争いとそれに伴う恨みを公の枠組みで処理する仕組みが生まれ、争いの少ない、恨む必要の無い世界へ向かって我々は進歩している。その仕組みの中で、公が争いを裁き、処理する"司法"が整備された。国と国との関係で言うなら、戦後処理の条約を含む国際法です。それによって真っ当な人は恨みを解消し、"支配され加害される関係"が解消され"対等"が回復した事を確認します。そうです。進歩した社会とは誰が支配するか・・・では無い、"全ての人が対等な立場を有する社会"です」とオルコット。
「・・・」
オルコットは語り、そして問う。
「ですが中にはそうした処理による解決を受け付けず、仲間同士で他国への恨みを煽り合い、過去の歴史を捏造して公教育で幼い子供に憎悪を植え付け、偏見即ち"イドラ"を集団で組織的に蓄積し、人工的に新たな恨みの種を増やし、拡大して、相手を害し続ける。そんな事を以て"正義による報復"などと妄言する人たちが居る。"被害者中心主義"などと称して、事実に対する歪曲や歴史の捏造によって維持された自らの"恣意的憎悪感情"を満たす事を"傷つけられた者への癒し"などと詐称し、相手に"共感"という美名で、それへの奉仕を求め服従奴隷化を強いる。それに対する当然の反論に"ヘイトスピーチ"などと不当なレッテルを貼り、抵抗する権利を行使する人たちに"ネ〇〇ヨ"という意味不明なレッテルを貼って、相手の論理に向き合う事を拒んで暴走する。それは悪質な支配欲です。そんな彼等と普通の人たちの違いは何ですか?」
「それは・・・そういう発想の人たちだから」とブラバッキーは俯きつつ答える。
そしてオルコットは語り、そして問うた。
「そうです。そのような伝統的思考様式を変える事の出来ない、或いはそうした人達との対人関係を通じて染まってしまった残念な人達が、"回復された対等"を受け入れず、自らが"相手を支配する立場"を得ようと争いを続ける。そのために"被害者中心主義"だの"報復の正義"だのという有り得ない価値観を強弁し、その内容の是非を度外視した"自らの感情の満足"を目的視して他人に奉仕させる事で他人を支配しようという、"支配"という価値観に捕らわれた人たちです。そして彼等が元々そういう人たちなのは、恨まれた方の罪ですか?」
「それは・・・。けれども、そうではない普通の人だって恨みはします。そして彼等を悪意を以て傷つけた人は悪人です」とブラバッキー。
オルコットは言った。
「その"恨み"を含めて解消するのが公的な問題処理ですよ。そのため公法は刑を定め、補償の内容を決める手続きを定める。その公法を前提として、人は行動する。過去にはそうした公法に欠陥があったとして、その中で起った事に不満と恨みを持つ人たちも居るだろう。それが公法の発展によって否定されて新たに加害と認定された場合、そうなる前の出来事に不満を持って報復を望んだとしても、過去の公法に従っただけの人を、果たして悪人と言えるでしょうか?」
「それは・・・。ですが、公的な問題処理では、例えば過去36年間支配されたとして、同じ期間相手を支配できるか・・・と言ったら、出来ませんよね? それでは、やったもの得という事になるのでは?」とブラバッキー。
「目には目を・・・というのは最も原始的なルールで、通用しないのは当然です。その"支配された過去の時代のルール"が、それを肯定するものだったとしたら、れを今、加害と感じる事を理由に相手を悪として認定する事すら是非を問う必用がある。それが将来不法なものとされる事を知らない以上、その人も他の人たちも、自分がそうされないよう努力していた筈です。そしてその支配の原因の一端が、支配された側が作った部分もあるとしたら。例えば"不利な契約を強いられた"とか言って無暗に契約を破ったり、テロに走るなどの行為で"更なる介入を招いた"とか。そういった出来事が積み重なった結果としての支配だったとしたら?」とオルコット。
「それは・・・害を受けた側の愚かさですよね。けれども愚かさとは罪なのでしょうか? 例えば事故が起きた時に相手に礼儀として頭を下げたら、或いは害を被ったと泣いてみせる相手に同情して"すみません"と言ったら、自ら加害者だと認めて謝罪したのだと、付け込む口実を与えた自業自得だと主張する人も居ますよね?」とブラバッキー。
「そういう強弁は暴力団みたいな人達がやりますが、同じではありません。先ほどの条約破りやテロは、被害者意識による害意による愚行であり、その点でそれは罪です。それに対して、あなたが言った例での愚かさ、つまり憎悪による謝罪要求を受け入れてしまうといった類は、例えばある民族の立場で・・・といった場合、憎悪の対象である"同じ民族の人"は"謝罪者が受け入れた憎悪"に巻き込まれた被害者であり、"謝罪した者の愚かさ"は彼等にとっては罪です。だが、その謝罪自体は要求者に対しては"善意の愚行"であり、その害はその"謝罪の要求者"がそれを受け入れられた事により増長し、都合よく解釈して相手を支配する口実にしようとするものだ。故にその罪は"謝罪の要求者"が負うべきものです」とオルコット。
「・・・」
「更に、自力救済には相応のコストが必要です。その"過去の支配"もまた、支配した側にとっての自力救済なのですから、そのコストの分の差し引きで"相手から得た物"は少ない筈で、問題処理の中で差し出す物が少なくても、"やった者得"という事にはなりません」とオルコット。
「ですが、過去のルールが支配を許容したとして、それをしない道もあった筈です。"相手を思いやる気持ち"を以てそれを選べば、恨まれる事も無かった」とブラバッキー。
「ルールというのは"するかしないか"だけではなく、"そうしなくても良くなるための仕組み"はあるのか、"自分がそうされないため"に何が必要か・・・も含めた、その世界全体を動かすシステムなのですよ。そして"そうならない"ために必要なものとは、"強くなる"という事より、むしろ合理性とルール順守の精神こそ求められる、そういうルールが存在していたとしたら・・・。支配されたという経過の中で彼等は、それをきちんと受け入れたのか。受け入れていれば支配される事も、そして恨む必要も無かったのではないのか」とオルコット。
「・・・」
「そもそも"恨む・恨まれる"と言いますが、その過去において"支配された"事を恨む側は、その過去において"支配という関係性"そのものを本当に否定する"理念"を持っていたのか? 相手を思いやって、どちらも支配される立場に落ちないように・・・などと考えていたか? そうではない筈です。そんな人たちが、相手に対しては思いやりを期待するなど、甘えです。平和な世界にとって必要なのは"理性に基く対等"であって、"思いやりを求めるような甘えた感情論"ではない。甘えと恨みは表裏一体で、集団の中で憎悪教育によって煽動されて、そうなる。そうやって暴走して戦争に走るのです。それを責任転嫁するのは間違いです」とオルコット。
「・・・」
「戦争は心の中で生まれる。だから"心に平和の砦を築く"べきだと言った人が居る。そんな中で"平和を願う少女の像"と称して、歴史を捏造して"記憶"と称した史実を歪めた物語に基いて像を作り、他民族へのヘイトを煽ってヘイトスピーチを叫ぶ拠点とする。それは"心の中に築く戦争とジェノサイトの砦"です。他民族に対して肥大化させた復讐心に依る憎悪を叫ぶ国粋軍国主義者が、口先で平和主義の名を騙る。その憎悪の対象を悪人と呼ぶ。本当の悪人はどちらなのか? 彼等が"憎悪の対象"に対して強いようとしている不幸は、本当に"自らが原因"と言るのか?」とオルコット。
「・・・・・・」
そしてオルコットは問い、語った。
「そして、そもそも悪人とは何ですか? 悪しき行動を成した事を以て、人は彼を悪人と呼ぶ。けれども自分勝手な人は、先ず誰かを悪人と規定して、"その人が成した行為だから"という理由で悪と規定して非難する。そして"その認識を裏書きする"ため過去を捏造しておいて、それが捏造だと指摘されると"事実かどうかは問題ではない。反省するなら嘘をも受け入れる筈だ"などと放言する。そして、例えば"彼等が過去に誰かを支配した"という事実を認識しろと。それで相手を悪人と一方的に規定すれば、絶対悪として全否定できると思っている。それによって"その支配の内容は無関係だから検証すべきでない"とか、問題の公的処理が終わっても"相手は悪人として差別され続けるべきだ"とか強弁する。けれども"真実あるべき評価の在り方"はそうではないから、その支配の内容を不当に誇張するため歴史を捏造し、完了した問題処理を"問題処理ではない"と強弁するのです。そういう卑劣な行為は、悪人という概念を先立たせる事で他者の尊厳を奪えると思っている、彼等の発想様式の間違いによるものです」
「それは・・・。けど、みんなで否定すべき悪人というのは存在しますよね?」とブラバッキー。
「それは、現在進行形で誰かを一方的に悪意をもって加害している場合ですね。先ほど言ったような"歴史捏造による中傷"も含め、加害を先ず止めるため、加害しているその"誰か"の"行為と思考"は否定される必要がある。そして相手がそれを受け入れて、それを止めたなら、"双方の立場"を考慮した"処理"の段階に入り、処理が終われば対等です。にも拘わらず、"その状況を終える事"を拒んで、相手に対する絶対悪認定に固執し続けるなら、そこに理性は存在しない。そこには惰性的な憎悪感情の暴走があるだけです。"過去に被害者だった"という"立場認識"で相手を支配する欲望を満たして貰えないから"不満を感じる"・・・などというのは"被害"では無いし、リベラルと称する人達が言うような"人権が侵害された状態"でも無い。そしてもちろん、それに抗うのは"加害"ではありません。"被害者中心主義"とか"被害者の傷ついた心を癒すためなら"とか言うのは、その暴走した憎悪感情の正当化、即ち"人権の偽物"であり"正義の偽物"です」とオルコット。
「・・・」
そしてオルコットは本題に入った。
「地獄とは人を苦しめるために神が意図して作り出した物・・・という事になっている。それは"自然な道筋"とは異なる悪意の産物であり、因果とは別の物です。それを混同するのは間違いです。本当の神はそんなものは作らない。もし人を苦しめる意図でそんなものを作る霊的知性体があるとしたら、それは神ではなく悪霊です。そして悪霊は滅ぼされなくてはならない」
「けど教皇庁の唯一神の聖典にだって地獄は記されています」とブラバッキー。
「如何なる宗教であっても、地獄で信者を脅すものは邪教です」とオルコットは断言した。
「それでお布施を要求するのは、確かにそうなのでしょうね。ですが、悪事を防ぐ抑止という面はあるのでは?・・・」とブラバッキー。
「では、食用の家畜を含む生き物を生業として殺すというのは、抑止すべき悪なのですか? 公法による刑法の規定は、それをルールとして受け入れた社会に属する者どうしの契約であり、それは互いの権利を認め合う事で成り立つ。人は互いの権利を認め合います。ですが、動物は他の動物の権利を認識しますか?」とオルコット。
「それは・・・。けれども命は価値の根源です」とブラバッキー。
「では何故、命は価値の根源なのですか? それは価値は人の精神による認識によって成り立つ。だから人の存在そのものである命が基だという事ですよね? つまりその根拠は心による思考の働きの問題で、動物を含めるものではありません。そして、ただ命があれば、生きてさえいればいい・・・と言った考えは、東の果てのシーノ国の儒教という宗教、そしてその変形である"エンクス教"とか"主体教"とかいうカルト思想と同じ。その"民には食さえ与えればいい。全ての人民が毎日白米と肉のスープを食す事が出来たら、そこは地上の楽園で君主は聖者である。誰が腹一杯食えるかが全てだ"・・・などと言った思想は、民の個としての価値認識の自由を否定する。それもまた価値の根源の否定ではないのですか?」とオルコット。
「それは・・・」
オルコットは言った。
「先ほど言った、"支配する者とされる者に分かつ事を当然とする認識"の基では、相手を支配する優位を求める。それは力や富や地位だけではない。特に宗教の基では、道徳性と称するものを物差しとした"道徳的優位"なる物を強弁して他を見下ろす立場を主張する」
「そんなの道徳じゃない!」とブラバッキーは思わず叫んだ。
「それが、対等の理念を知らない彼等には理解出来ないのですよ。そして他者より少しでも優位に立とうと、罪の基準をどんどん下げて、他人の行為を罪の範疇に含めて断罪し軽蔑する対象に押し込めようとする。その結果、牧畜民が家畜を、農耕民が害虫を、捕鯨漁民が鯨を殺す事を、"人を殺すのと同じ"だなどと勝手な基準を設定して争いを仕掛ける暴挙に走る」
そう指摘するオルコットに、ブラバッキーは「それが菜食主義だと?」
「そうです。誰かに関わる特定の何か・・・例えば旗とかを、"他の何かと同じ"などと突然言い出して排斥するような、悪しき支配欲故の妄言です。確かに無駄に遊び半分で生き物を殺すのは不健全です。犬や猫を殺して、自分がそれに対して優位に立っていると感じようというのは、心の病んだ人です。けれども食用の家畜や漁民の漁労対象を"人と同じ"と強弁して、それを食べる民を非難する事で優位に立っていると感じようというのは、同じくらい病んでいます」とオルコット。
ブラバッキーは反論したかった。
だが、反論は不可能だと彼女は感じていた。反論に必要な論理が無い。それは彼が正しいという事なのだと。
彼女は言いたかった。"それでも菜食主義は正しい"と。だが、それが既に否定され崩壊した主張だ。
それを"壊れたテープレコーダー"の如く繰り返すのは、論破された事を認めたのと同じだと・・・。
「先生は何故そんな事を?」
そう問うブラバッキーに、オルコットは毅然とした口調で言った。
「論理が必然的に導いた結論に過ぎない」
ブラバッキーは自分を閉ざしていた闇が消えていくのを感じた。
差し込んだ光がそれらの真の姿を照らし、自分が頑なに信じていたものが、音を立てて崩れ落ちる。
そして視界が一気に広がる。
彼女は言った。
「そうですよね。聖書に書かれた事が必ずしも正しい訳じゃ無いんですよね。インドの聖典には聖書とは別の神の事が記されていました。けれども、それが正しいとも限らないのですよね?」
するとオルコットは意外な事を彼女に打ち明けた。
「実は私は出会ったのです。本物の神に・・・」
オルコットに伴われて出て来たブラバッキーは、憑き物が落ちたような晴々とした表情を見せた。
「菜食主義なんて間違ってました。私はオルコット先生について行きます。先生は素晴らしい人です」
「それは良かった」と言ってエンリたちは、肩の荷を降ろしたような安堵の表情を見せた。
だが・・・・・・・・。
ブラバッキーが更に言った、その言葉で、エンリとその仲間たち唖然。
「聞いて下さい。先生は本物の神に出会ったのです」
「はぁ???????????????」
エンリ、ドン引き顔でオルコットに「そうなんですか?」
オルコットは目一杯の陶酔顔で、それを語り始めた。
「神は天を駈ける円盤状の乗り物の中に居ました。彼等は天上の星々に住んでおり、かつて遥か昔に我々の世界を創り変え、我々に知性を与えた。私は夜道を歩いている時、いきなり宙に浮かび、吸い込まれるようにその船に招かれました。神の姿は子供くらいの背丈で異様に頭が大きく、大きなつり目と小さな口・・・」
「アーサー、これって」と隣に居る部下に尋ねるエンリ王子。
アーサーは目一杯のあきれ顔で「UFOとかいう、よくある幻想話ですね」
とてつもなく残念な空気が漂う中、オルコットの妄想話は延々と続き、ブラバッキーは感激の眼差しでそれに聞き惚れる。
アーサーは溜息をついて言った。
「オルコットさん、ああいうの以外について話す分には、聡明で論理的な人なんだけどなぁ」
そしてリラは心配そうに「ブラバッキーさん、病状悪化してません?」
エンリたちがトガルを離れる事になった。
キルワの市長の所に挨拶に行くエンリ王子と仲間たち。
「今後とも平和的な関係を続けたいものですね」
そう言って市長が差し出した握手の右手を握り、エンリは言った。
「同感です。無許可のポルタ海賊は大勢居て、我々も手を焼いている。そういう奴等はどんどん捕まえて下さい」
すると市長は「昔にもユーロの海賊が来た事があります。平和的な人でしたけど」
ジロキチが「昔って、俺たちが来る前?」
タルタが「それって、もしかしてバスコの事なんじゃ・・・」
エンリ王子は思わず身を乗り出して市長に尋ねる。
「その人の拠点にしていた所って解りますか?」
「洞窟がありますけど」と市長は言った。
市長に案内されてバスコが拠点にしていた洞窟へ。
洞窟の奥に宝箱があり、中に一枚の地図があった。
その地図を手にエンリは叫んだ。
「南方大陸東岸の秘宝ゲットだぜ」
リラはあきれ顔でエンリに「それ、毎回やるんですか?」
少しの間、投稿を休止します。続きはまたそのうち。




