第167話 異教徒と異教徒
アラビア人都市キルワとポルタ人都市のトガル。
その争いの元だった現地人の二つの部族の争いが収束した後も、二つの都市の対立は続いた。
その争いを調停する中で浮かび上がる、文化と宗教を背景とした取引ルールの違い。
そして、自らのルールの普遍性を主張するキルワ側に対するエンリの指摘が、相手を激怒させた。
「我々を侮辱する気か!」
眦を吊り上げて怒号を上げるキルワ代表に対し、エンリは毅然と言い放った。
「怒りましたか? ですがこれは議論です。議論とは互いの論理を突き合わせて、どちらの立場にも依存しない真実を探り出すものです。普遍とはそういう事であり、自らの名誉を誇るためでも、相手の名誉に忖度して仲良しごっこをするための物でもない。論理を示されてそれに論理で反駁する事が出来ないなら、相手の論理は正しいという事になりますよ。それが出来ずに感情を逆立てて名誉を傷つけられたと怒るなら、名誉を傷つけたのはそれを指摘した相手ではなく、指摘された真実とそれを作り出した自分たち自身です」
騒然とした場は一気に静まり、重い空気が立ち込めた。
その沈黙の中でアラビア人たちは冷静さを取り戻す。だが勿論、それは相手に対する同意を意味するものでは無い。
キルワ代表は言った。
「我々が、中華と称する人たちの自文化中心主義と同じとでも言うのですか?」
「自分たちが崇拝する神の権威をもって世界の中心であり普遍だと騙るという点では同じです。実際には世界に中心なんて無い」と指摘するエンリ。
「ユーロの教えだって、自分たちの崇拝を世界全体の創造主だと言ってますよね?」とキルワ代表。
エンリは「私はあんなものは信じない。神を名乗る魔的知性体なんていくらでも居ます」
隣に居るタルタがエンリの耳元で「スパニア国教会の首長がそんな事言っていいのかよ」
「あんなの政治の方便だ」と平然とタルタに言い放つエンリ王子。
そしてエンリはキルワ代表に言った。
「何が真実かを決めるのは論理と、その元になる具体的な根拠です。それに不服な者は自らの主張を、同じく論理を以て証拠立てて反論すればいい。けど宗教は教祖がそう言ったから、聖典にこう書いてあるから、そんな事を根拠にそれを真実だと言い張る。そこに論理は無い」
「けれども私たちの商業ルールは合理的です。ずっとそれでトラブル無くやって来れたのだから」とキルワ代表。
エンリは言った。
「そういう部分は確かにあるでしょうね。けれどもこういう事を知ってますか? 嘘を信じさせる最良の方法は、嘘に真実を混ぜる事だと。確かにミンの地は広く豊かで温暖で、実用的な文明知識も豊富だ。その周囲は砂漠だったり、寒かったり、暑かったり、海が広がる中に点在する島だったりする。けれども、さらに離れれば同様に豊かな土地と高度な文明を産み出した歴史がある。それに、砂漠にも寒地にも熱帯にも島国にも、その中で発達した高度な文化があります。あなた方の預言者が啓示として受けたと称する戒律は、アラビアの風土にそぐうという点では合理的なのでしょう。ですが例えば何故豚肉を禁忌とするのですか?」
キルワ代表は「豚は人と同じものを食べる。人と家畜が食べ物を奪い合うべきではない」
「ユーロの豚は人が食べられないドングリを食べます。ドングリは乾燥したアラビアでは生えない。つまりあなた方の預言者が説いた教えは、アラビアの風土に即したものではあるけれども、世界の様々な風土にそぐう普遍的なものではない」
そう反論するエンリに、キルワ代表は語気を強めて「それは我々にとって神への冒涜だ」
「あなた方にとってはそうなのでしょう。それは、あなた方以外の人たちにとっては違うという事を意味します。あなた方は異教徒の存在を認めないのですか?」とエンリ。
「我々の教えは寛大です。信仰は自らが選ぶべきもので、強制されるべきではない。だから我々が統べる地では多くの異教徒が共存します」とキルワ代表。
エンリは「その考えは正しいと思いますよ。けれども生活の全てを宗教的戒律で規定し、社会の多くをそれを前提としたものとするなら、異教徒にとって暮らしにくい社会となります。商売は信仰を同じくする者との取引を前提としている。それは実質的には異教徒を認めていないのと同じです」
「では、どうしろと言うのですか?」
そう問うキルワ代表に、エンリは提案した。
「商売のルールを決めませんか? アラビア商人とユーロの商人が円滑に取引するための。そこに、あなた方のルールの中で合理的なものは、どんどん取り入れていけばいい。人と神との契約ではなく、人と人との契約を作るのです。対等な人どうしの契約であればこそ、理性で守る価値がある。それが神との契約では無いから有限だとか破っていいとか、そんな考えは理性ある文明人にあるまじき愚か者の妄言だ」
アーサーが「どこぞのドイツ人神父は、神との契約だから神聖で時効が無いとか言ってましたけど」
「そんな中世の遺物は世界の進歩を妨げる足手纏いだから、どこかに埋めてしまえばいい。どうせ変な銅像とか作って偽物の人権を唱えて民族偏見を煽る宣伝に加担する屑共だろーが」とエンリ。
そしてキルワ代表は言った。
「ですがエンリ王子。これまでアラビアにはユーロの先を行く文明があった。今、ユーロは新たな文明を切り開き、我々の先を行こうとしている。このまま行けば、あなた達は世界の文明を主導する立場に立つだろう。その時、あなた達の子孫は、自分たちユーロの信仰こそ普遍的な世界宗教だと言うのではないのですか?」
エンリはそれに答えた。
「もしその時代に私が居れば、それは間違いだと言います。神という架空の存在に普遍など無い。そして彼等が自らの信仰を保つために、そんなものはそもそも必要無い」
こうして、トガルとキルワ、双方の商人の対話が始まった。
商館のテーブルで向き合うポルタ商人とアラビア商人たち。エンリ王子たちが仲裁する必要は、もう無い。
キルワのアラビア商人が言った。
「では先ず、契約書の書式を決めましょう」
「どのようにしますか?」とトガルの商人。
キルワの商人はドヤ顔で「前文に大きく"神は偉大なり"と」
思いっきり残念な空気が漂った。
そしてトガルの商人たちは、困り顔で「それは要らないから」
キルワとトガル、宗教を異にする二つの都市の対立は沈静化した。
残された問題は、菜食主義を掲げて現地人のナベ族を煽ったブラバッキーの処遇だ。
彼女は街の警備所の留置室に居る。
エンリたちが警備所で、彼女についてあれこれ話す。
「元々、どういう人なんですか?」と問う街の警備長。
「インドの山奥で修行してたんですよね」とリラ。
「それでダイバダッタの魂をどうとか?」と警備長。
アーサーが頭痛顔で「それは違う人の話」
「とりあえず、師匠のガンディラさんに話を聞こうよ」とエンリが言い出す。
通話の魔道具でヤナガルの植民都市に連絡し、ガンディラを呼んで貰った。
通話に出たガンディラは言った。
「実は彼女、怪しげな教団の信者になって貯金全部寄付してしまいまして。心配して実家に送り返そうと、商人に預けたのですが、途中で行方をくらましてしまいまして。彼女を見つけたら知らせて貰えたらと」
エンリが「南方大陸東岸のトガルに居ますよ」
「それは良かった。彼女はそこで何を?」とガンディラ。
エンリは言った。
「ナベ族という現地人部族を煽ってフタ族という牧畜部族と戦争を」
ガンディラ絶句。
通話を終えると、エンリは訊ねた。
「なあ、アーサー。彼女の実家って、どんな人たちなんだ?」
「ロシア人の亡命貴族ですよ」とアーサー。
「皇帝の圧政に抵抗でもしたのか?」とエンリ。
「軍人としてウクライナに派遣されて問題を起こしたんです」とアーサー。
「支配されたウクライナ人に同情して?」とエンリ。
「抵抗派の信用を失墜させるための偽旗作戦の嘘がバレて責任を取らされまして」とアーサー。
残念な空気が漂う。
エンリは言った。
「とにかく実家に送り返そう」
その時、港に詰めていた警備員が飛び込んで来て報告。
「大変です。キルワの奴等が暴れていまして」
「またかよ」とエンリたち唖然。
彼の後からキルワ商人たちが乗り込んで来た。
「ユーロの船に砲撃された。あれはあなた方の船ですよね?」
エンリは頭を抱えつつも、とりあえず状況を確認。
「いろんな商人が居るからなぁ。どんな船でしたか?」
「大きな船です」とキルワ商人。
「いや、大きくなければユーロからここまでは来れませんよ」とエンリ。
「あなたの船の五倍はあります」とキルワ商人は答える。
エンリは「容積で五倍となると、かなりの大商人だな」とアーサーに・・・。
するとキルワ商人は「いえ、全長で五倍です」
「・・・」
「それと、鉄の防護板で覆われて」
そう付け足したキルワ商人の話で、ジロキチが「ジパングの安宅船かな?」
リラが「秀吉さんがこんな所に?」
「赤と白と青の旗を掲げていました」とキルワ商人。
タルタが「それ、ポルタの旗じゃないのか?」
エンリは机を叩いて「俺の苦労を台無しにしやがって!」
「どう責任を取るおつもりか!」とキルワ商人が迫る。
「どうしよう」とエンリは仲間たちと顔を見合わせる。
するとアーサーが、そのキルワ商人に「ちょっと待って。それって青の右に白があって、その間に赤い模様ですか?」
「いえ、三色が縦に並ぶ横縞でした」とキルワ商人。
「違う旗じゃないか。何だよ紛らわしい」と、エンリは溜息をつく。
アーサーが「三色の旗なんてそこら中の国が使ってますけどね」
「けど、どこの船だろう」とエンリの仲間たちは顔を見合わせる。
ニケが「オランダじゃないの?」
エンリは、なるほど・・・といった表情で「ゴイセン海賊団か! 艦隊では植民市の港に入れない。だから大掛かりな船を一隻作ったと」
そしてエンリはキルワ商人たちに言った。
「という訳で、俺たちと関係無いんで、好きに沈めちゃって下さい」
するとキルワ商人たちは「そう来ると思ってオッタマの艦隊が迎撃に出ました」
エンリ王子たち唖然。
そして「ポルタの船じゃないって解ってたのかよ」
その時、また一人のキルワ商人が駆け込んだ。
「大変だ。オッタマの艦隊が全滅した」
「どうします?」とアーサーがエンリに・・・。
エンリは言った。
「放っておこう。うちが被害受けてる訳じゃないんだから」
今度は一人のトガルの商人が駆け込んだ。
「大変です。キルワから戻る途中のポルタ商人の船がゴイセンの大型船に撃沈されました」
思いっきり残念な空気が漂い、そしてエンリ王子は言った。
「俺たちでそいつを迎撃するぞ」




