第128話 愚行の女神
魔導船建造のため東インド会社の造船所に囚われていた八人の技術者を救出したエンリ王子たちは、マキシミリアン公を破ったオレンジ公の軍に追われ、逃げ込んだ森で小型船を作り、オランダを脱出。
その時、彼等を包囲したオレンジ軍を無力化させたのは、エラスムスに憑りついていた愚行の女神モリアエだった。
海上をポルタへ向かうエンリたちの小型船。
鏡の中に戻っていた女神モリアエは得意顔で能書きを並べる。
「やはり最後にものを言うのは女神の加護よね。人は自由を求め、そして自由とは"賢くなければ"という強迫観念からの解放。それこそ人の心の幸せよ。それを知らないで哲人賢者を名乗る無知な学者気取りに騙された者達を解放するのがこの私、自由の女神モアリエよ。あの兵士たちだって、国家のために戦う事を強いられた哀れな弱者。彼等を私が解放したのよ。ほーっほっほっほ」
上から目線の女神の演説にうんざりする18人。
その時、リラが言った。
「あれってモリアエさんがやらせたんですよね?」
モリアエはドヤ顔で「そうよ」
「それって、女神様に強制されたって事なんじゃないでしょうか。それって本当に自由と言えるのかな?」とリラは疑問を呈する。
「彼らは賢くあるべきという価値観の奴隷だったのよ」とモアリエ。
エンリが言った。
「逆に、賢さという価値観に対する反発心の奴隷になったってだけなんじゃないですか? 昔の哲人は人は欲望の奴隷だと言った。欲望に抗う事が自由だと言われて禁欲を強いられたんですよね?」
「そうよ。だからそんな理屈で禁欲主義の奴隷になるのは不幸だと言うのよ」とモリアエ。
エンリは「それって、"欲望"と"賢さ"を入れ替えただけで、やってる事は同じだと思います。人には相反する気持ちがあって、そのどれが本質だとか優先すべきかで悩んで、それ以外を犠牲にするって事で極端に走る。けど、そうじゃなくて、いろんな思いに折り合いをつけて生きるのが人間じゃないでしょうか」
「そんな事は無いわ。賢さって、それ自体が目的じゃない。その結果として利益を得るために、賢くあろうとするのよ」とモリアエ。
「でも人は利益を得て幸せになるのを望む。それに向かう事で安心しますよね?」とエンリ。
「それが期待外れに終わって裏切られ、それで不幸を感じるのよ」とモリアエ。
エンリは「もしかして裏切られたんですか?」
モリアエは焦り顔で「な・・・何言ってるのよ。私は神様なのよ」
「本物の神様は自分に"様"なんて敬語をつけないと思いますけど」とエンリ。
「それは・・・」
その時、タルタがいきなり、その言葉を口にした。
「モリアエ夫人・・・・」
「誰だよ?」と怪訝顔で聞き返す仲間たち。
タルタは「いや、思い出したんだよ。どこかで聞いた名前だと」
その時モリアエは、柄にも無く怯えた声で「止めて」
そんなモリアエを他所にタルタは「確かテーベだっけ」
「止めてよ」とモリアエは更に怯えた声で・・・。
タルタは「どんな人だっけ・・・確か・・・」
「止めてーーーーー」
そう叫んで、鏡の中から女神モリアエの姿は消えた。
モリアエが見せた謎の反応に、「どうしたんだろう」と訝しむ仲間たち。
エンリが「タルタが言ったのって、古代ギリシャの話だよね?」
「そうだと思うけど」とタルタ
その時、アーサーが「この鏡、見てよ」
アーサーは鏡の裏に、銘らしきものを見つけて、それを読み上げる。
「テーベ紀645年、対スパルタ戦勝を記念す」
ジロキチが「モリアエ夫人って言ったよね? って事はあの神様、元は人間の霊?」
アーサーは「神様というより、宝具精霊なんだろうね。この鏡に憑りついた・・・」
「召喚したんですよね?」とリラ。
エラスムスは「骨董屋で自由の女神を召喚する聖遺物とか言われて買わされたんです」
「人の霊が精霊になる事なんてあるの?」とニケ。
アーサーは言った。
「英霊の座に居る精霊はみんな元は偉い人の霊ですよ。何かの強い想いを残して死んだ人の想いが、何かの概念と結びついて精霊界に住み着くって事は、よくある事なんです」
ポルタの港に着くと、カール王子はノルマンへと帰還。
エラスムスはモリアエ夫人の件を調べるべくイタリアへ旅立ち、ポコペン公爵の屋敷に居る賢者レオナルドの蔵書を調べた。
八人の技術者はポルタ大学の海賊学部造船科で、魔導推進機関の開発を再開した。
だが・・・。
「結局、あの魔導機関って・・・」
造船科の研究工房で試作品を前に、そう問うエンリ。
造船科の教授は「風とか無くても船を動かせるんだが、魔力消費が激し過ぎるんですよ」
「元はイギリスで建造された魔導戦艦の技術なんだよね?」とエンリ。
教授は「あれは聖杯から無尽蔵に魔力が供給されていたから動けたんですけど、普通に魔石とかに蓄えるレベルの魔力だと、たちまち魔力切れを起こします。魔力量の多い人が供給する仕様で作ったりしたら、吸い上げ過ぎて死ぬレベルですね」
「役に立たないじゃん」と言ってエンリは溜息をついた。
やがて、エンリの所にエラスムスからの手紙が届いた。
仲間たちが集まって、手紙の封を開け、エンリが読み上げる。
手紙に曰く。
「モリアエ夫人の件ですが、イタリアであちこちの亡命賢者の蔵書に当たり、オッタマの首都になっているコンスタンティノでギリシア語文献を調べ、最後はアラビアの知恵の館で、シーナー館長の助けを得て、ようやく彼女の苦悩に満ちた生涯の実態に辿り着く事が出来ました」
モリアエ夫人は、有力な指導者を得て周辺の都市国家に支配を広げたテーベの裕福な農場経営者の妻として、恵まれた生涯を送る筈だった。
だが、商才ある夫がオリーブ油の交易で上げた利益は、彼女がブランドの衣服や装飾品の購入、他の都市国家へのグルメ旅行や巡礼旅行に際限なく注ぎ込み、家の財政は傾いた。
家族からの苦情は絶える事無く、周囲の視線も厳しくなったが、彼女の消費は買うもの自体より、お金を使う事そのものに快楽を感じる事にあったため、その散財は止まる所を知らず、家族や周囲からの非難に耐えられなくなった彼女は、やがて巡礼旅行で立ち寄ったダイケーという都市国家に拠点を置くカルト宗教の勧誘を受けて信者となった。
そのカルトは自国を支配するテーベを、自国に奉仕すべき妻の国とする危険な教義を以て、テーベ人信者に過大な寄付を求めた。
自身の家庭的不幸を祖先の祟りと脅された彼女は、教団に依存して全ての財産を教団に寄進し、彼女の夫は病死し長男は絶望して自殺。
そして彼女の次男は教団を恨んだが、その怒りはやがてあらぬ方向へ向かった。
というのもこの教団は、テーベに支配された自国と同様の立場にある都市国家に多くの信者を集め、テーベの指導者はそれらの国との関係上、各国の指導者の求めでそのカルトの式典に祝辞を送る破目になったのである。
彼は味方も多かったが敵もまた多かった。そして多くの敵が彼を非難し、殺意を叫んだ。
そんな状況の中でモリアエ夫人の次男は、ある自称学者がその政治家に対して「奴は人間じゃない。叩き切ってやる」と叫んだ事を耳にし、一方でその政治家が教団の儀式に送った祝辞の話を聞いた。
「奴は教団と繋がりがある。あの教団は奴がのさばらせたんだ。奴を殺して復讐としよう。そうすれば奴の敵が自分を守ってくれる」
そう考え、彼はその政治家を暗殺した。
彼は処刑され、暗殺者の母親としてモリアエ夫人は悲惨な最期を遂げた
「思いっきり愚行で不幸になったんじゃん」
手紙を読み終えたエンリ王子たちは、そう言ってあきれ顔で溜息をついた。
アーサーは「それで愚行は人の本質ねぇ」
「こういうの、開き直りって言うんだよね」とジロキチは言った。
手紙によると、あの鏡は「モリアエの鏡」と呼ばれる厄介物として、あちこちに転売された。
それは皮肉にも、彼女の息子が殺した政治家の功績を記念したもので、そして彼女が最後に持っていた遺品だったという。
イタリアに戻ったエラスムスは賢者レオナルドと協力して鎮魂の儀式を行い、鏡から彼女の魂は去ったという。
「こういうのを成仏と言うんだよね」とタルタ。
「死んでからも盛大に迷惑をかけまくってたもんなぁ」とカルロ。
「けど、良かったね、モリアエさん」と、リラはしんみりと言った。
するとエンリは「それより手紙、続きがあるんだが」
そしてエンリは手紙の続きを読み上げた。
「あちこちの文献を調べているうち、同じ文献でも内容に大きな違いがある事を知りました。例えば私たちが使っているラテン語の聖書ですが、"人間は馬鹿だ"と書いています。ところが、より原典に近いギリシャ語版では"人は愚かである"と書かれているんです。長い歴史の中で翻訳と書写を繰り返すうちに、間違いが生じたものと思われます。そこで私は、これから研究を続け、本来の姿に正した形の聖書として出版する事を生涯の目標としたいと考えています」
ジロキチは「なあ、"人間は馬鹿"と"人は愚か"、どう違うのかな?」
カルロは「偉い人の言う事は解らん」
イザベラは赤ん坊とともにポルタに来ていた。
赤ん坊をあやしつつ、イザベラはエンリの部屋で、夫が語るオランダでの冒険の話に耳を傾けた。
愚行の女神の能力で敵軍の兵士が好き勝手やり出して統制が崩壊した話を聞いて、イザベラは言った。
「面白い話ね」
エンリは「けど、自国側がそうなったら、どうする?」
「ある意味結構な事じゃないかしら。支配者としては国民を騙し放題で好き勝手出来るもの」とイザベラ。
エンリは言った。
「けど、商売も産業も駄目になるぞ。国民が自国のために行動せず、他国に騙されて、いいように操られるようでは国も社会も駄目になる」
「人は賢くあろうとするわよね。けど賢さとは何? 自分のためにどうすればいいかを考える事よね? けど自分って自分の国? それとも自分自身? 自分自身のために国の立場なんか知った事か・・・って思ってる人は、他国に容易に操られるわね」とイザベラ。
「怖い話だな」
そう言うエンリにイザベラは言った。
「いいえ。こんないい話は無いわよ。イギリスでもフランスでも好き勝手に操って世界を支配できるもの。ほーっほっほっほっほ」
「怖ぇーーーー」と言ってエンリは肩をすくめた。
やがてエンリの元に、オランダから追われたブルゴーニュ公マキシミリアンが復帰するとの知らせが来た。
「何でまた?」
そう疑問顔で言うタルタにエンリは「女性たちが要求したんだそうだ」
「彼、イケメンだからなぁ」とアーサー。
エンリは「実はこれで三度目なんだそうだ。まあ、領主といっても、これまで以上の形式君主になるんだけどね。って事で招待状だ」
「イタリアに行ったエラスムスさんの所にも行ってるんですよね?」とリラ。
「招待状って何の?」とジロキチ。
「復帰記念コンサートだよ」とエンリ。
ファフは「コンサートって何?」
エンリは言った。
「歌って踊るんだよ。ジャニーとかいう吟遊詩人ギルドのマスターが企画したんだとさ」
エラスムスと合流してアムステルダムに向かうエンリたち。
現地に行くと、大きな仮設舞台が作られていた。
派手な衣装で舞台に立つマキシミリアン。夕闇の迫る中で宙に漂う光魔法の光球が舞台を照らす。
舞台の前では数千人の女性たちが微弱な光の魔力を宿したペンライトを振って黄色い歓声を上げる。
「みんな、ありがとう。君たちのお陰で僕はここに戻って来れました」
そう客席に向けて語る彼に向けて叫ぶ女性たち。
「マキシミリアン様ぁーーー」
「こっち向いてーーー」
「今日は感謝の気持ちを込めて精一杯歌います。これからも応援よろしくねー。愛してるよー」
そうマイクを持って叫び、そして大歓声の中で歌うマキシミリアン。
彼のブロマイドや二頭身人形を女性ファンたちに売りさばくニケ。
舞台の脇ではエンリたちとエラスムス、そしてマリア夫人。
彼女は、しかめっ面で言った。
「あんなに大勢の泥棒猫が。人の夫を何だと思ってるのよ」
「愚かよね」
「そうよ。名前だって憶えて貰ってないくせに」とマリア夫人。
「本当に愚かよね」
そう言う声に気付いたエンリが「誰?・・・」と言って振り向くと・・・。
そこに居たのは鎮魂の儀により消滅した筈の自称女神モリアエ。鏡から抜け出した人の姿で・・・。
「モリアエさん。確か成仏した筈では?」
唖然としてそう言うエンリたちに、モリアエは得意顔で言った。
「何言ってるのよ。私は女神よ。あの鏡の呪縛から解放されただけ。それより見てよ、あの女たち。彼が舞台の上でやってる営業スマイルを自分に向けてくれていると思って、あの喜びよう。あいつ等、ここのチケットとかグッズとか買うために働いてるんだって真顔で言ってるのよ。本当に愚かだわ。やはり愚かさは人間の本質。私はその本質を司る愚行の女神モリアエ。控えおろう頭が高い。平伏しなさい、拝みなさい。ほーっほっほっほっほ・・・ってどこに行くの? エラスムス。あなたが神学校でぼっちのいじられキャラだった頃から私はあなたの唯一のファミリアなのよ」
「勘弁してくれ」
そう言って逃げるエラスムス。追いかけるモリアエ。
「ファミリア・・・ねぇ」とあきれ顔で言うエンリ。
「愚行で家庭を食い潰す家族なんか願い下げだな」とジロキチ。
「まあ、目一杯甘やかしてくれる巨乳ツインテの女神様なら歓迎だが」
そんな能天気な事を言うカルロに、タルタが「誰の話だよ」
リラが言った。
「けどモリアエさん、愚行は他人に被害を及ぼすべきではないって言ってましたよね? あれって彼女が自分の家族に被害を及ぼした事への、彼女なりの反省だったんじやないでしょうか」
「そうなのかなぁ」とエンリ。
アーサーが「エラスムスさんが言ってたけど、彼女を騙したあの教団のスローガンが、家庭を大切に・・・だったそうだ」
ニケが「そんなの、本当の教団の悪意まみれな目的を隠す建前に決まってるんだけどね。やってる事は信者に家族の財産盗ませて家庭破壊じゃん」
「けど、そのスローガンと同じ政策を政治家が掲げたから、教団に支配されたズブズブ関係だって批判されたんだよね」とアーサー。
「そう言って政治家を批判するって、その偽スローガンを真に受けて、悪意まみれな本当の目的を隠すのに協力したって事だぞ」とエンリ。
その時、ジュネーブ教会の贅沢警察が会場に踏み込んだ。
「コンサートは中止だ。これは教会の教えに逆らう娯楽イベント。直ちに解散しなさい」
会場の女性たちが怒りを込めて、彼等に「何よあんた達」
贅沢警察、タジタジで「だから教会の・・・」
「私たちこのために生きてるのよ。邪魔しないでくれる?」と客席に居る女性の一人が・・・。
「だって教会の教えが・・・」と贅沢警察。
別の女性が「ジュネーブ教会が何よ。よくも私たちのマキシミリアン様を追い出してくれたわね」
周囲の女性たちも口々に叫ぶ。
「そーだそーだ」
「教会が解散しろ」
これには「何と罰当たりな」と贅沢警察、顔真っ赤。
女性たちは更に怒りのボルテージを上げた。
「知ったこっちゃ無いわよ」
「こいつらマキシミリアン様の敵よ」
「やっちゃえ!」
会場は暴動状態となる。
おろおろする舞台の上のマキシミリアン皇子。
そんな会場を眺めてエンリ王子は「どーすんの? これ」
「俺たち部外者だよね?」とタルタ。
「それに外国人だし」とニケ。
エンリが「下手に手を出すと内政干渉だよな」
そしてエンリたちは口を揃えて「しーらないっと」




