第119話 不可触な賤民
カースト制。それはインドに古来から伝わる、宗教が定めた身分制。
神官階層のバラモン、王侯武士階層のクシャトリヤ、商人階層のバイシャ、労働者階層のシュードラ。
それらは更に多くの階層に細分化され、各地で独自の集団を作って上下関係を保ちながら共存し、異なるカーストとは会食や婚姻など様々な交わりが戒律で禁じられている。
そしてその四つのカーストの更に下に位置し、厳しい差別を受けているのが不可触賤民のダリッドだ。
植民都市と協力するヤナガル王国を助けるためインドを訪れたエンリ王子たちは、二度目の戦いで敵ムガール軍の奇襲を受け、苦戦する。
切札であるリラのセイレーンボイスが効かない原因は、ニケが敵に内通し秘密を洩らしたためだった。
追求されたニケがエンリたちを案内したのは、ダリッドたちの居住区。
「あ、お姉さんだ」
ニケの姿を見て歓声を上げた10才ほどの男の子に、ニケは「こんにちは、チャンダ君」
男の子とその母親の家に招かれて話を聞いた。
母親は「本来ならお茶でもお出ししたい所ですが、同じカースト以外の人との飲食は禁じられていまして」
「あの・・・不可触って?」と、おそるおそる尋ねるリラ。
カルロが「いや、解ります。女性の体に気安く触るなって、よく言われますんで」
エンリは彼に「お前は胸とか触り過ぎだ」
母親は「そうじゃなくて、私たち、穢れていますから、それが上位カーストの方に移ってはいけないと・・・」
「あの・・・穢れって何ですか?」とリラ。
「アレだろ? 目に見えない汚れみたいな」とカルロ。
タルタが「いや、汚れらなら洗えばいいだけじゃん」
アーサーが「北を流れる聖なる大河で沐浴して・・・ってのはあるけどね」
「いや、あの河は牛の死体とか流れてたりするぞ」とジロキチ。
「宗教で言ってるだけの話だろ」と言って溜息をつくエンリ。
「そうではなく、私たち自身が穢れなんです」と母親。
タルタは「それはおかしいだろ。あんたら目に見えるじゃん。穢れは目に見えないんじゃないの?」
「宗教で言ってるだけの話だろ」と言って溜息をつくエンリ。
そしてエンリは「結局、そういう家に生まれたってだけだろ。本人は何も悪い事をしていないじゃん」
「いえ、これは前世で悪い事をした報いなんです」と母親。
「・・・」
「宗教が言ってるだけの話だろ」と言って溜息をつくエンリ。
アーサーは「まあ、悪い事をしたから地獄に落ちるってのは、どの宗教でもあるけどね」
「で、そうならないようにお布施を・・・ってんだろ? それで地獄で信者を脅すってのは、どんな宗教であれ、邪教だよ。それは唯一神の教えだって同じさ」とエンリは捲し立てる。
「スパニア国教会の首長がそれ言っていいのかよ」とタルタ。
「それは言わない約束だろ」とエンリ。
残念な空気が流れ、全員、溜息をつく。
そしてエンリが言った。
「結局、前世の罪だ何だってのは、太陽や雷を神話で説明するのと同じさ。身分ってのはどこでもある。今は農民は随分自由になったけど、昔は領主の奴隷だった。もっと昔は国民全部が王の奴隷だった。そういうのが何なのか解らないから、宗教が適当な事を言って説明したつもりになってる。けど、人が理由を知ろうとするのは、それによる不幸を回避するためだよ。それで説明したら正当化したつもりになって、さらに差別が酷くなるとか、おかしいだろ」
ニケは「そうなのよね。そういうのから逃れるために改宗する人って居るのよ。だから、ここがムガール領になって、アラビアの教えの国になれば、差別が無くなる。違うかな?」
エンリは「つまり俺たちが戦争で負ければいいと? そりゃ駄目だろ」
城に戻ってヤナガル王に問うエンリたち。
ヤナガル王は言った。
「ここがムガール領になっても、差別は無くならないだろうな。ムガール支配下の北部でもそうだ。領主は改宗しても領民はヒンドゥーの教えを守り、カーストも変わらない。300年前にペルシャから来た異教徒の国が北部を統一できたのは、改宗を強制しなかったからなのさ。強制しようとすれば抵抗がおこる」
「王様自身はカーストによる差別をどう思いますか?」とエンリ。
王は「正直、ああいうのに拘っていては戦争に勝つのは難しいだろうな」
「ダリッドを保護する事は出来ませんか?」とエンリ。
「それは難しいと思う。ここは異なる身分を分かつ事を前提とした社会なのだ。差別を逃れるために改宗する者は居る。だが、改宗していない者との争いが起こる」とヤナガル王。
エンリは言った。
「身分というのはどこの世界にもあります。ポルタにも、王侯貴族と商人を含む平民との違いはある。けれども今、王は形だけの、商人の国になろうとしています」
ヤナガル王は目を丸くして「何故そんな事をするのだ?」
エンリは「その方が国が発展するからです。民衆が国の方針に意見を言える事で、自らがその国の主として、外敵に抗い国を大きくする主体としての意識が生まれる。対等な国民の一人としての自覚が、同じ目標を持つ民のまとまりとなって、大きな力を発揮します」
ヤナガル王は暫し考え、そして言った。
「なるほどな。国を束ねるのは宗教ではなく、その国の主としての自覚という訳か。商人の中にはアラビアの教えに改宗する者も居る。向うから来るアラビアの商人との取引が円滑になるという理由でな」
翌日、ヤナガル王は、家来たちを集めて言った。
「私はアラビアの教えを受け入れ、改宗しようと思う」
驚く家来たち。そして大臣が言った。
「ムガールの異教徒に屈服するというのですか?」
将軍も「王よ、どうか再考を」
役人たちも「周辺の国々は抵抗を続けています。彼等を裏切るのですか?」
そんな彼等を制して、王は言った。
「形の上でムガールに服属する事で、我が国は平和となる。だが、軍役と貢納は受け入れない、あくまで自由の国として、外交の上での服属だ。それを彼等に認めさせる。それでも祖先は私に腹を立てるだろう。それは甘んじて受け入れよう」
「王よ・・・」と言って俯く家来たち。
ヤナガル王はムガール側の代表と交渉した。
そして・・・交渉は決裂した。
交渉結果が伝わり、王宮には残念な空気が流れた。
エンリたちにも、その話が伝わる。あれこれ言う仲間たち。
ジロキチは「そりゃ軍役も貢納も拒否って言うんじゃ・・・」
「けどさ、ムガール皇帝は、全インド支配という体裁に近付けるし、宗教エリアを拡大したって言い張って自分の功績に出来るんだぞ」
そう言うエンリにアーサーは「それは身も蓋も無さ過ぎでしょ」
そしてムガール軍による総攻撃の日は近づいた。
そんな中でブラバッキーから連絡が来た。
連絡を伝えるアーサーは言った。
「タルタに来て欲しいと彼女の師匠が言ってるそうだが」
「中二病話はもう聞きたくないなぁ」とタルタ。
「怪しい宗教勧誘も要らないよね」とカルロ。
「そうじゃなくて、部分鉄化を実現する術式が完成したって言うんだ」とアーサー。
タルタがブラバッキーの居るガンディラの修行場に行く。
板の間で敷物の上に座るタルタに向き合うガンディラ。
現地語の呪文を唱え、印を結び、しばらく瞑想に入る。印を結んだ手に魔力が宿る。
やがて眼を開けると、謎の液体の入った器に指をつけ、その指をタルタの額に。
そして「ここに意識を集中して下さい。何を感じますか?」
タルタは感覚を研ぎ澄ます。そして「暖かい光が・・・」
「それがチャクラです」とガンディラ。
ガンディラはタルタの額から指を離し、彼の前に両手を翳す。
そして「あなたの体のある空間を感じて下さい。回りに何が見えますか?」
「回りに妙な風が見える」とタルタ。
「それがオーラ。そのオーラが流れているのが見えますか?」
「何となく」
そう言うタルタに、ガンディラは「それがプラーナです。それに意識を集中して、はっきり見えるよう心を澄ませて下さい」
タルタの額に両手を翳すガンディラ。
そして「額のチャクラに意識を集中し、その前に満ちたオーラを吸い込む事をイメージして下さい」
額からオーラが吸い込まれる事を感じるタルタ。
ガンディラは言った。
「あなたが鉄化する時の記憶を辿ります。あなたを鉄化させるものは何ですか?」
「熱い湯のようなものが沸騰している」
そう答えるタルタに、ガンディラは「それが今、額のチャクラの前にあります。あなたはそれを吸い込む。それであなたの頭部に満たして下さい。・・・では鉄化を」
タルタの体を残して頭部だけが鉄化した。
そして数日後。
戦いが近づく中、エンリの仲間たちが、各自の用事で街に出る。
残った仲間が、彼等についてあれこれ話す。
「タルタの奴は今日も泊まりだそうだ。部分鉄化の練習だとさ」とアーサー。
「ファフは?」
そう問うエンリにリラが「ニケさんについてダリッドの地区に居るそうです」
チャンダの母親と数人の男性が、ニケと話している。全員がダリッドだ。
その間、ファフはチャンダと居た。
「お前、クシャトリヤだよな?」とチャンダはファフに・・・。
「違うよ」
そう答えるファフにチャンダは「けど、貴族の奴等と一緒に居るじゃん。だったらクシャトリヤだ」
「ファフ、人間じゃないの」
そう答えるファフにチャンダは「人間じゃないなら何だよ」
二人で人気の無い所に行き、ドラゴンに変身するファフ。
チャンダは目を丸くし、そしてテンションMAXに・・・。
「お前、かっこいいじゃん。空、飛べるのか?」
「乗せてあげるね」
そう言うと、ファフはチャンダを乗せて空を飛ぶ。
ドラゴンの頭の上で水平線の向こうを見晴らし、チャンダは言った。
「世界って広いんだな」
ファフは「そうだよ」
「果てはずっと遠くにあるんだよな」とチャンダ。
「世界に果てなんて無いって主様が言ってた」とファフ。
「主様って強いのか?」
そう問うチャンダに、ファフは「剣術の練習して、すごく強くなったよ」
チャンダは眼を輝かせて言った。
「だったら俺も剣術をやる。それで大きくなったら、ファフちゃんたちみたいに海賊になって、世界中に行くんだ」




