その9
「もしもし、きっ、キノちゃん?」
スマホから聞こえてきたのは、懐かしくも聞き慣れた千秋の声だった。
「どうしてる? 元気?」
少し畏まっている口調だ。
「……千秋か」
ベッドに横たわり、ぼんやりと天井を見つめている。今は彼女の声も遠くに聞こえている感じだった。
「この間、マコさんと逢ったのよ」
電話の向こう側は、最初の緊張が解けてきたようで、次第に声の張りや抑揚が違ってきている。
「そうか、千秋と逢ってたのか……」
「聞かなかった? どうしたの、元気なさそう」
彼女の心配気な声が、キノを我に返させた。
「ご、ごめん。今、なんだか調子が悪くて……」
ようやくキノは起きあがって、椅子に腰掛ける。
「それは、大変。もう切るよ」
「千秋。マコと逢ってた時、彼女、何か言ってた?」
キノのスマホを持つ手に力がこもる。
「もしかして、夫婦喧嘩?」
「そ、そんなこと、ないよ。ない」
キノは何故か必死に否定する。電話向こうの千秋は、色々想像していることだろう。
「別に普通だったよ。今までと同じ。キノちゃんこそ、変なこと考えてたんじゃない?」
「なんだよ、それ」
笑い声が聞こえてきた。キノは今、自分の気持ちが軽くなっていることに気づく。
「有名なパティシェのいるケーキ屋にいって、今の生活聞いてね。マコさん、凄く嬉しそうだった。本当に妬けちゃうくらいキノちゃんに、ベタ惚れなんだね」
「そ、そう」
今自分の顔を鏡で見たら、顔中が真っ赤になっていることだろう。
「キノちゃん。私、あなたに一番勇気つけてもらった。ちょっと乱暴なこともあるけど、それは男子だからね。でも、私、そんなキノちゃんが好きなの。姿や気持ちがどうなっても、一緒。今話をしていて、私にはいつものキノちゃんだと思った」
千秋の言葉のひとつひとつが、キノの心には優しく滲み入っていた。
「正直、この電話するの凄く怖かった。なんて言うか、話をするまで男子のキノちゃんに、ちょっと引いてた。でも今は抱きつきたいくらい逢いたくなちゃった。おんなでもおとこでも。最強で最高の、私たち仲間だもん」
電話越しに伝えられる、千秋の言葉に今のモヤモヤしている考えが、洗われていく感情を持つ。癒やされている。
「千秋、僕は変わらないよ。あの頃と同じだ」
「そうよ」
「ありがとう、千秋。僕も千秋が好きだ」
「レイズ王子から言われると、萌える」
きっと、はにかんでいるに違いない。キノはクスリと笑った。
わぁと声がして、扉が大きく開く。
「キノー!」
マコが飛び込んで来た。体当たりに近い状態でキノの懐に入る。体ごと椅子から落ち、スマホが何処かに飛んでいった。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね」
キノが抱き留めていると、彼女は両手を大きく回して強く抱き締める。
「ど、どうした」
「私、嫌な女でしょ。キノの困ることばかり、言って」
「そんな……」
腫れ上がったマコの顔を見ると、相当泣いていたのが伺えた。キノは言葉に詰まる。
「叱ってよ、キノ」
キノはマコの頬を両手で、優しく包んだ。親指で瞳に残る滴を拭う。
「もっと、キノのわがままを聞かせて、私を困らせて」
マコは体を押しつけた。彼女の淡い薄桃色の小さな唇が、何かを待っている。
「マコ、僕、決めたよ。おとこもおんなも関係ない。気持ちが大切なんだ」
彼女は頷いた。
「僕はずっと、マコが好き」
「私も」
瞳の中に互いの表情が映っている。
「だから、僕らは絶対離れない。どんなことがあっても」
キノはマコを抱き上げて、ベッドに乗せる。
「……何をする気」
転がっているスマホの画面は、まだ点灯していた。
「もし、もーし!!」
二人に伝わらない声が、ベッドの下で騒いでいる。
「何してる一! 聞こえてるぞー! おい、こらー! キノマコー!!」