その11
河原の土手を犬の散歩で通り過ぎる人を、じっと見ている。その小さな瞳は輝いていた。少し小走りにそれに向かっていく。
「そんなに走っちゃだめだよ」
隣にいた男性は制止させる。
「パパ、おいぬさん」
気持ちの良い夕暮れ時で、水面は褐色に染まっていた。その川に石を投げている子供たちがいる。石が水面を三回跳ねていった。
「わぁ!」
今度はこっちに彼女の興味が移っている。
「すごいねぇ」
と言った思えば、今度は前から歩いて来た女性に細く小さい指を差す。
「赤ちゃんだよ。あれ」
女性は乳児を抱いていた。包み込むようなその表情は優しい。
男は女子を同じ様に抱き上げた。通り過ぎて行くまで、覗き込むように眺めている。
「赤ちゃんだよ、赤ちゃん」
「そうだね」
母親は二人に微笑み、軽く会釈した。
「すごいねぇ」
「君の生まれた時も、夕方だったよ」
女の子は父親を振り返る。
「ママ、がんばったね。すごいねぇ」
夕日に染まった顔があった。男は再び彼女を抱きしめる。
「逢いたいね」
小さい手がゆっくり動いた。それは先程と同じ様に道の中心を指す。
幼い頃に出逢った女の子と将来の約束をして、時を経て結婚した。そして結晶とも言うべきこの娘を授かった。
数年前なのに記憶が曖昧になっている部分が幾つかある。友人に聞くと色々な出来事があったらしいが思いだせない。まあ、この娘といると毎日が慌ただしく過ぎてしまい、どうでも良くなってしまっている。いや、彼女が忘れさせようとしているのか。
人生の不思議なことは、きっと忘却の中に存在しているのだろう。忘れなければならない記憶と忘れたくない記憶……。二つは混在しながら、何処かに心の奥底に仕舞い込んでいるだけなのだ。
「パパ」
手を引く小さい指が待っていた。
「ああ。帰ろうか」
夕日は次第に暮れかかっている。その川原の道に延びてくる陽に向かって、父親と娘の二人の長い長い影を作りながら……。




