その4
ゆっくりと見晴らしの良い本部がある公民館に足を踏み入れる。室内には誰もおらず、奥の炊事場で何やら数人の声が聞こえるだけだった。小部屋と広間があり、接待用のテーブルが並べてある。すで宴会は終盤のようで、酒やビールが口が開いたままだったり、新鮮な海の幸が盛られてあったろうな豪華な皿が、数枚の刺身を残して机に鎮座していた。中庭の方に役員や関係者が並んで花火の上がり、散り行く様を眺めている。
キノはそのまま室内に入り、大声を張り上げている小部屋に向かった。そろりと襖越しに中を確認する。
「いやー、花宗院殿の花火は大玉でも特注ですので、最後にしておきました」
大声を張り上げ、笑っている男の隣に花宗院大介がいる。だいぶ酔っている隣の男の肩叩きの行為にうんざりしながら、日本酒をちびちび飲んでいた。時折、勧められる酒に応対しながら、男は溜め息をついている。彼らに混ざってしまえば、大介も只の地元の男にしか見えない。ただ高級スーツ姿がかなり浮いてはいるが。
そっと伺う場を離れようと腰を浮かせた刹那―。
「これは、紀乃様。奇遇ですな」
キノは小さく声を上げ、驚いて思わず尻餅を付いた。後ろを振り向くと初老の男が深々と頭を下げている。神経を尖らせていたのに、気配を全く感じなかった。
「あなた、花宗院の……」
「平井で御座います」
男は微笑む。軋むはずの廊下が音を鳴らしていない。
「おや。いつの間に、そんなに髪が伸びましたか?」
平井は亜紀那と同様で油断の出来ない人物だ。大介の側近をこなしている、凄腕の用心棒とも言える。
「紀乃様、つかぬ事をお聞きしますが」
キノは「きた!」と思い、身を固くして構えた。その表情をいち早く平井は察知する。
「真琴様は、ご一緒ですな」
すでに核心を突く。
「旦那様が連絡がつかないと、とても心配されておられました」
「そ、そうですか」
血眼になって探している様子が、容易に想像できた。
「平井さん、聞いていい?」
「何なりと」
「ここの花火のスポンサーはいつから?」
平井はキノを見据える。
「丁度一年前にもこちらに寄りました時、上がっていた花火が大そう気に入られたようでした。そのまま町長に、来年の花火大会のスポンサーとして出資することを決められました」
厚い手帳を取り出して、ページを捲り指で確認する。
「一年前に……」
ここへ来たのは単なる偶然だった。マコと一緒に見たかったのだろう。こんなにも愛されているマコのことに、少し嫉妬と羨望を感じられずにはいられなかった。キノにはそんな家族など、いない。
「もちろん、紀乃様と真琴様と」
平井が細笑むとキノは口を閉じた。まるで心を読まれている台詞のようだ。
「紀乃様、旦那様にご挨拶されますか」
「いや、今は」
室内にある時計をチラリと見る。
「時間が気になりますかな」
男も胸ポケットの懐中時計を確認した。
「そうそう、もうじき花宗院グループの花火が上がる時間で御座いますね。ご存知でしたか」
と言うことは、この肝心な花火を止めることになるのか。
襖の向こう側が騒がしくなる。町長が無線機を持って叫んでいた。
「おい! 屋敷さん! しっかりしてくれよ、スポンサーの皆さんがお待ちかねだぞ!」
男は興奮気味だ。
「はて、花火にトラブルでしょうか?」
平井の勘は鋭い。キノはそれが屋敷に頼んだ事だと直感した。
「それはよいとして、紀乃様がここにいる理由がわかりません。何故、ここに?」
焦らす質問にキノは困った顔になる。
時間がない。
「おおい、団長! 大会長は、どうした!」
またしても、町長は無線機に向かって、叫んだ。
「すんません! 大会長ここで酒飲んで、潰れましたわ! 町長ちょっと来て下さいよ!」
笑い声が聞こえる。
「何だと! スポンサーさんを置いてか!」
団長の協力が得られていた。
「全く、何やっとるんだ。申し訳ありません。花宗院殿、ちょっと席を外します」
深く頭を下げると、足元をふらつかせながら公民館から出ていく。これでマイク周辺は手薄になったはずだ。
キノは喉を鳴らす。
「しかし……」
目の前の平井が気になってしようがない。男はきっとこの騒動の元に感づいているはずだ。
「紀乃様」
そう、言い掛けた時だった。
「平井! おい、平井はおらんか!」
立ち上がった男は、するりとキノを通り過ぎ、襖を開けて花宗院のもとに駆け寄る。
「花火の持注大玉はどうなっとる? ここで呑気に酒を飲んでいる場合ではないぞ」
コップの酒を一気に飲んで机に音を鳴らして置いた。幾分、頬が膨れている。
「旦那様、大丈夫でございます。本日のお仕事の予定はございません。ご安心を。心ゆくまで、御堪能くださいませ」
平井の返答の後、俯く。
「面白くないぞ、こんなところ。真琴も誰もいないのに」
キノの耳に響く、真琴、マコ。
決心して、目の前の襖を蹴飛ばして飛び出した。蹴った襖が覆い被さるように大介の背中に当たる。テーブルと襖の間に挟まれた。
その襖を踏んで、飛び出した。
時間がない。
キノはマイク席を目指す。
「紀……」
平井は声を掛けるのを止めた。キノは襖の上を飛び越える。先に見晴らしの良い部屋が、もう一つあった。マイクが二つ、テーブルの上に整然と置かれて並んでいる。キノはその一つを取リ上げた。隣にあるアンプの電源を入れて、音量を上げる。隣にあるマイクとのハウリングで大きな振動と音を立てた。キノは耳を押さえ、一つを部屋の中に放り投げる。
そしてキノは大きく息を吸った。マイクを力一杯握り締める。
想いを込めて、今、君に伝えたい。
「マコー!!!!」