その7
タ刻、キノとマコは並んで歩いていた。今日は一緒に帰りながら、買い物をする予定である。学校では極力、2人は一同級生として接していた。2人にとって現状の関係が知られても、別に気を揉むことはない。周囲へ影響を学校側が配慮しているようだった。
だが、2人とも前高校同様に校内では人気があり、何かと目立つ存在だ。ついこの間は、新聞部主催の校内学生投票で、『ベストカップル賞』に選ばれてしまっている。そのせいか一緒にいると、何かと囁かれてしまい、普通に振る舞うことが難しくなっているのも現実だった。キノはいっそのこと、包み隠さず言ってしまおうかと考える時もある。一方マコは別段気にしている様子はなく、キノはその度に彼女の肝の据わり具合に感心していた。
「今日は何にしようか」
駅前のスーパーマーケットに寄り、カートを押しながらマコは訊ねた。
彼女の笑顔は可愛く、ついキノは見とれてしまう。ベストカップルと言われるのも満更ではないのだ。自分はともかく、マコの可愛いい笑顔だけは、二度と放したくないのが本心であり、信念でもある。
「ん、どうかした?」
マコの瞳が間近にある。キノは心臓が高鳴ったのを感じた。
「な、なんでもない」
二人はあれこれと言いながら、食品や商品を手にとって楽しんでいる。
「キノ、シャンプー切れてたから、いつもの持ってきて」
と、駒使いもさせられながらも、笑顔で応えるキノだった。
「花宗院先輩」
背後から呼び止められる。
「お、緒方君……」
一人の男子が立っていた。「緒方 周』、前高校の1年後輩である。
「お久しぶり。あなたもこんなところに、来るんだ」
「あ、あの……」
マコは笑って言ったが、彼の声は真剣で少々震えている。
「何かあったの?」
「鈴美麗先輩と連絡取りたいんです」
マコは考え込んで、ひとこと言った。
「ダメ」
その場から抜け出すために、カートを押して歩きだす。
「先輩、お願いします」
「緒方君、あなたはもうキノとは別れてるんでしょ。さよならしてるんだよね」
緒方はカートを掴んだ。マコの動きが封じられる。
「どんなに頼んでも絶対、ダメ」
彼のカートを持っている手が、震えていた。
「……逢いたがっているんです」
「え?」
見直す緒方の顔が俯く。
「鈴美麗先輩に、空が逢いたがっているんです」
「空……、確か、緒方君の妹さんね。それは、どうしてもなの」
「……どうしても」
緒方の目は生気があるような無いような、不思議な感じだった。
「あいつ……、今、体の調子がかなり悪いんです」
背後で物が落ちる音がした。驚いてマコは振り返る。
「キ……」
マコは言いかけて、慌てて口籠もった。
「そ、空ちゃんが……」
その言葉に緒方は、不思議そうな顔でキノを見つめる。
「……あなたは」
「わ、私の彼氏よ」
マコは応えたが、緒方には聞こえてなかった。彼はなおもキノを見つめている。恐らく何かしら、その容姿と風貌に女子の時の面影を感じているのかも知れなかった。
「緒方、空ちゃんの具合、そんなに悪いのか」
キノも彼を直視している。
「あなた、何処かで……、逢ったような」
「お、緒方君。ほら、芦川先生の個展会場のトイレの前でこの人と、逢ってるから」
マコはキノと緒方の間に、滑るように割り込んだ。キノはその場に停止したまま動かない。
「緒方……」
「は、はい」
男の目はマコを通り越して、キノから離れない。悟られてはいけない状況をマコは回避しようと慌てて、キノの方を向き体を後ろに押し戻した。
「キノ、緒方君、知らないんだからね。あなたが男に戻っていることも、私と結婚していることも」
「わかってる」
「わかってない。あなた、おんなキノの時みたいに、彼に話しかけてる。誰だかわかったら、緒方君や妹さんに迷惑かかるよ」
キノはマコの手を避け、緒方に向かう。
「そんなことよりも、空ちゃんが心配なんだ」
「キノ、ダメったら……」
もう一度、マコはキノを押し戻す。
「緒方君は、おんなキノを探している。妹さんは、おんなキノに逢いたがってる。今のあなたじゃないんだよ」
その言葉の瞬間、キノの力が抜けて立ち竦んだ。
マコはその沈んだ顔を見た後、緒方の方を向く。
「緒方君、キノを巻き込まないで。お願い。あの子も今、精神的に大変な時期なの。妹さんには申し訳ないけど、本当にごめんね」
「花宗院先輩……」
大きく肩を落とす緒方を見るのは、マコも辛かった。
あの時の互いの気持ちくらい、彼女もわかっている。ましてキノは空の容態を知って、彼の妹への思いやりと一途な愛情につき合っていた時もあった。道場で海原に投げられた緒方を怪我を追ってまで、彼を守ったキノはどんな思いがあったろう。今、目の前にいるのに応じられないキノの気持ちは計り知れなかった。
「先輩、突然にすみませんでした……」
緒方は深く一礼すると、足早に立ち去る。
「……緒方」
マコはキノの側に寄ってきて、手を強く握った。
「しっかりして、キノ」
真っ直ぐ、緒方が立ち去った方向をキノは呆然と見つめている。
「マコ、教えて。おんなキノじゃないと、ダメなの。誰も助けられないのかな……」
キノの手を両手で、もっと、もっと強くマコは握りしめた。