その2
テントの奥から一際大柄な男が出て来くると、団員たちは自然と道を開ける。足取りから覇気を感じるキノは口を閉じた。そして男は目前で立ちはだかる。
「団長! こいつが二人を!」
左右にひっくり返っている男たちを目を少し開けて見た。
「あんたがやったのかい」
口元を吊り上げ、コクリと悪びれもなく頷く。迷惑だったのは現実だ。
「こいつら、あんたに手を出したんだろ」
甚平が破れている姿を、やや細目にして男は頷いた。
「そんな姿になって、大丈夫だったかい」
―いや、これはキノ自身でやったことである。
「まだマシな男もいたんだね」
野太い手掌を腰に当てながら溜め息を吐いた。
「全く、こいつら酔っ払うと酒癖が悪くて。やっかいなんだな。ストレスかな」
「そんなもので強姦紛いは迷惑だ。女の子だったら声が出ないよ」
大きな瞳で細目をもう少し開かせる。
「全くだ。こいつらにはキツイ灸を据えとくよ」
今度は腕を組み目を再び細めた。
「で、話はなんだい。あんたが幾ら可愛くて美人でも、ここの祭りを邪魔させるわけにはいかない」
威圧感のある団長を前にキノは臆せず向き直る。
「ここのマイクを借りたい。ひと言スピーカーを通して、ある人に伝えたいことがある」
「ほ?」
団長は拍子抜けして、大笑いした。
「そりゃ無茶だよ。個人的なことで大会を中断なんか出来んよ」
再び大笑いする。嫌味はないが、馬鹿にされていることは確かだ。
「ましてや花火打ち上げてる最中だ。放送なんてしても誰も聞いちゃいねえ」
ただキノは瞳を据えて団長を凝視している。
「大会長はこのイベントにどれだけ時間と苦労を費やしたことか。あんたにはわからない」
どっしりと構え、山の様に微動だもしない。恐らくこの先に有るのだ。
「本部に乗り込むなら、俺らを倒して行け。最もここからは通さねえ」
周囲の団員も同じ様に構えた。どうも心得はあるらしい。
「大会長から何人たりとも通すなって言伝だ。悪く思うな」
「ほんの少しの間だけ」
真摯な眼差しで目の前の男たちに懇願した。
「おい! だから、団長も言っただろ。個人的に貸せる訳ないだろ。祭りを邪魔するなって!!」
気が大きくなった団員の一人が出てきてキノの肩に触れた。
「わかった。じゃあ、奪っていくまで」
途端、鋭い瞳はその手を掴んで振り回す。団員は絞られる雑巾のように、真横に回転して地面に叩きつけられた。口から泡を吹く。
右足を前に一歩、踏み出した。右手で手刀を構えると足元の砂塵が浮き上がる。
「一体、何の真似か知らないが、怪我しないうちに帰りな」
「うちの団長はカラテ師範で、協会三位だぞ!」
泡を吹いている団員を介抱している男が粋がって叫んだ。
「ふーん、まだ二人も強い奴がいるんだ」
上目使いに挑発する。さすがに団長も構えた。おおよそ身の丈は二メーターを超え、体は大柄な相撲取りのようだ。
「一戦を交えるとならば、俺は手加減はせん。早くこの場を去るならば、あんたの可愛さに免じて、ここは許してやる」
キノはそんな言葉には臆さない。
「で、ても団長、女相手に本気だしたら!」
団員の一人が堪らず叫んだ。
「だめだ! 本気でやらんと仕留められる!!」
細い指を揃えて手刀をつくり、再度地面を踏みしめる。
「むん!」
団員を横目に素早く後退して構えた。キノの覇気が空気を振動させ『壁』を作り、そのパワーが団長に炸裂する。
「気功!?」
腹部にその衝撃は食い込み、大きな体が仰反った。
「くぶぅ!」
抵抗していた口から唾液が飛び散る。刹那、地面を蹴ったキノは団長の懐に入った。クリーム色の長い髪が放射状に拡がったその真下から、細い手が法被に伸びる。
「させるがあ!」
キノの胴回りと同じ程の大腿部が地面を踏み固めた。見切った手の動きに反応して男の大きな手掌がそれを払う。目前をキノの背中が通り過ぎた。
「ほい」
細い躯体はしなやかに翻り、背面跳びの様に地面を蹴る。
「なに!?」
男の視界から消えた姿は頭を跳躍した。空中でキノは法被の襟を掴んで背中合わせに降り立つ。
「も、持っていかれる!?」
視界に今度は団員の横向きの姿を捉えた。
「それー!」
小さな細い背中に乗って、団長の体が浮く。背面跳びの様に背中から一回転して、テントの下にあった酒樽まで吹っ飛んだ。
樽はその巨体で粉々に破壊される。酒が男の頭から流れ落ちていった。
「団長おー!!」
団員が駆け寄る。
「てめえ! よくも団長を! いい加減にしろ!」
「よせ!」
周囲にいた団員三人飛び掛かったが、無惨にもキノに瞬殺された。辺りには潰れた机や椅子が一緒に転がる。
「こ、この女……」
青年団員は脅威で恐怖して後ずさりした。
「あんた、只者じゃないな」
キノの覇気が抜けると団長はぐったりと肩が落ちた。
「花火大会を壊す気なんてない。ある人に伝えないことがあるだけ。その時間だけマイクを貸して欲しいの。少しでいいから」
「本当に、大会の邪魔はせんのだな」
キノは頷く。ふわりと長い髪が宙に広がった。
「約束する。何もしないよ。僕も花火は見たいもん」
団長はキノの瞳を見つめ、暫し考え込む。ようやく口の唾液を前腕で拭き取った。
「お前がそんなにしてまで、伝えたい相手は何者だ」
男の目が見据える。キノは少しはにかんだ。
「僕の、一番大切な人」
ここで初めて笑う。恐怖していた青年団と、そこにいた全員がその微笑みに打ちのめされた。とりわけ団長の顔が紅潮している。
「よおし。あんたを信じる」
近づいてきたキノは手を差し出した。団長の大きな手は、その手を隠してしまう。
「だが、三十秒程度が関の山だ。その間は俺たちが何とか誤魔化してやる」
安堵でキノの肩の力が抜けた。
「しかしそれ以上は大会の進行に差し支える。特にスポンサーの機嫌を損ねると、こちらはやっかいなことになる。みんなの期待を裏切れない」
「十分だよ」
隠れている右手を引いて、尻餅をついている団長を軽々と引き上げる。更に顔を赤らめて男はその小さな手を離した。
「おい! 何の騒ぎだ!」
本部からだろう、顔が赤くなっている男が上階から降りて来た。大会長の古田だ。壊れた酒樽を見ると驚いた表情して怒鳴る。
「おまえら、全部飲んだのか!」
団長はキノを隠す様に米田に向いた。
「あんたは大会本部へ行け。あそこしかマイクはない。だが計画通りに上げられる花火をどうやって止めるんだ」
「もうひとりの友達が花火を止めてくれるように、総合指揮役に向かっている」
ぽんと尻を押されて、歩き出すが振り返る。
「心配するな。必ずどうにかしてやる」
見つめる大会本部には花宗院大介がいる。恐らく側近たちもいるかも知れない。
「あんた、名前は?」
その瞳に見惚れる男は訊いた。
「鈴美麗、キノ」
「よし、鈴美麗行け!」
そう言うとキノは走り出す。