その4
次の日朝、二人は早い朝食を済ませ、『海辺の別荘』へ向けて出発した。
電車とバスを乗り継いで、辿り着いたその場所は、海風の吹く静かなところだった。マコは停留所から波音の聞こえる方角に足を進める。鍔のひろい帽子を被っていても、強い日差しが足元から照りつけていた。蝉が合唱する松林を抜けると、潮の匂いが漂う白い砂浜が広がっている。そして視界からはみ出すくらいの、どこまでも遠く見渡せる青く澄んだ海があった。青い海と対比するように、地平線の彼方に入道雲が立ち昇っている。
「ああ」
その場に立ち止まって大きく深呼吸した。
「キノ、海だよ」
気持ち良さに浜まで小走りする。後ろから、両手に荷物を抱えているキノも眩しい空に顔を上げた。そしてマコに視線を移すと、その姿体が光の中で眩しく輝いている。逆光で彼女の表情がわからないが、確かに微笑んでいるとキノは確信した。
「うん」
海風が吹く。キノは麦藁帽子が飛ばされないように、荷物を置いて頭を押さえた。その帽子の鍔からマコのサンダルが見える。
「マコ?」
彼女はキノに強く抱きついた。持っていたもう片方のバックが砂の上に落ちる。足元の乾いた砂塵が舞い上がった。
「ここには誰もいないんだね」
淡い桃色の小さい唇がキノの唇に重なり、息が出来ないほど強く押しつけている。密着する身体から互いの心臓の鼓動を感じた。それは一層甘く、一層幸福な時間であり、キノの計画のひとつが成就された瞬間でもあった。緊張感が安堵に変わって、弾けるような気がしていた。唇から離れた小顔は、今度はたわわなキノの胸に埋もれる。
「来て良かったかも」
キノも荷物を落とした両手でマコを抱きしめた。
「そう、誰も邪魔させない」
二人は暑さで流れ落ちる汗も気に止めない。荷物は熱せられた砂の上にそのまま転がっている。いつしか麦わら帽子が風で飛ばされていった。だが甘美で高揚した気持ちを、少しでも長く感じとろうとするかのように、二人は動こうとはしない。
「あのー!!」
背中を槍で突かれたように、二人は飛び上がった。キノはゆっくりと背後を振り返る。
肌が焼けた体格の良い若い青年が、麦わら帽子を抱えて走って来た。
「やあ」
男は近くで二人の顔を確認するなり、目を見開いて緊張する。
「こ、これ、飛んできたから」
二人は少し離れて、男に向き合った。
「オレ、コテージの管理人代理で来た『宮島』って言います。鈴美麗さん?」
二人は同時に返事する。
「えーと」
宮島は人差し指で二人を左右に、迷いながら指す。キノは一歩前に出た。男の顔がほんのりと赤らむ。膝の破れたジーパンのポケットから、無造作に入れてあった封筒を取り出した。不器用な手付きで中から鍵を取り出す。それを摘んでキノに渡した。
「はい、予約してあるここの鍵。もしもの合い鍵は管理人の方でも持ってるから」
受け取ったキノはぶっきら棒に軽く会釈する。マコは「お世話になります」と、微笑して深く頭を下げた。終始照れながら男は頷いている。
そんなやり取りなど気にせずバッグを持ち上げようとした途端。
「バック持とうか」
キノの屈んだ姿勢そのままに、砂浜に落ちたバックを男は拾い上げて肩に掛けて歩き出した。
「前もって届いていた荷物は、もう部屋に入れて置いてあるから」
「わざわざ、ありがとうございます」
先ゆく宮島の後をマコはついていく。
「おーい! キノ、早くー!」
未だ屈んだままのキノの手は空間を探しまくっていた。