その12
「おい、何だ。こいつピンピンしてるじゃないか」
「いてててて!!」
何者かに掴まれて、佐野が立っていた。
「誰だ」
表情を硬くして北川は声を上げる。
「単なる、通行人です。路上パフォーマンスやってるとかで、覗いてみただけです」
「芦川さん!」
彼女は思わず叫んだ。
「あれれ? 琴葉さんじゃないですか。こんなところで奇遇ですね」
わざとらしい程の登場台詞だ。
「あんた、彼女の知り合いの人?」
「いや、正確にはまだ知人と言える程では、無いような……」
首を傾げながら口籠もる。北川は細目に凄味を効かせて睨みつけた。圧倒される芦川はそれを避けて、琴葉に目を合わす。
「芦川さん、あなたには関係ないから行って」
その言葉とは裏腹に戦く表情は気の強さだけだ。
「はい、そうですか。て言うと思う?」
芦川は側にいた佐野を足で蹴り飛ばした。佐野は北川の足元まで蹌踉めく。
「これで俺も、関係することになりましたね」
「あ、あなた……」
突拍子もない行動に唖然とした顔を見せた琴葉は、体を硬直させる。
「関係ねえてめえは、引っ込んでろ!!」
叫んだと同時に芦川に殴り掛かって来た。その拳を避けたように見えたが、喰らっている。
「芦川さん!」
琴葉の声が悲鳴を上げた。足元をふらつかせた男は壁に当たる。
「つぅ」
後頭部を激しく打ったために、眉間に皺が寄った。
「ちぇ、いい気になるなよ!」
佐野は道路に唾を吐く。
「あなたたち、暴力奮ってるじゃない!」
思わず琴葉は佐野を睨みつける。
「何言ってんの、あいつが勝手に転んだよ」
「転んだ?」
と勢いで一歩出たところで、腕を男に掴まれる。
「離して!」
「ちゃんと、話を聞いて下さいよ」
もう一人の北川は彼女の耳元で低い声を出して囁いた。
「彼氏が怪我しないうちに、大人しくしてもらえないですか。じゃないと、うちの職員、もう一人とんでもない奴がいるんですけど」
「脅かしてるの!?」
今度は北川を睨み返す。
「あんた、やっかいな人だね。どんだけ気が強いの。損するよ。気が強いだけで相当みんなに迷惑かけてんじゃない?」
琴葉の気持ちを見透かしているように、その言葉は揺るがし続ける。
「私は、一人で何でも出来るはず。それでいいのに……」
抵抗する力が、彼女の気持ちとともに弱くなった。
「な、何してるの、こ、琴葉さん。か、帰るよ」
「あ、芦川さん。あなた、どうして」
さっきまで、壁にいた男が立ち上がっていた。
「琴葉さん。君には本当に、済まないことをしたと思っている。ちゃんと、合って話をしたかったんだ」
口元につている血を手で拭き取って呟く。
「こ、こいつ……」
佐野は驚くと同時にもう一発、芦川の腹部に蹴りをを入れた。呻き声を上げながら、再び同じ場所に転倒する。ようやく余裕の顔を男は見せた。
「もう、やめて!」
琴葉は身体を大きく揺さぶって、男の手を歯で噛んで振り解く。
「いでで!!」
「芦川さん!」
芦川の元に駆け寄る。抱き起こされだ男は痛みを堪えながら笑い顔を浮かべた。
「格好悪いなあ。せっかく君に会えたのに、こんな無様な姿で」
眉間の縦皺が消えない。
「まったく……、何、やってるんですか……」
それまでの彼女の態度が、安心と安堵の表情に変化した。
「おい、おい。何なんだ、こいつら二人とも?」
少々苛つきながら北川がぼやく。
「勝手に盛り上がってんじゃねえよ!!」
佐野はよほど逃げられたのが悔しかったのか、大きな声で叫んだ。二人に近寄って、目の前でポケットから鋭利な光る刃物を取り出す。
「この野郎!」
「危ない! 琴葉さん、下がって!」
芦川は琴葉の体を手で払い退けた。
「痛ぅ!」
右手の甲が一直線に切れる。血飛沫が彼女の頬に飛んできた。しゃがみ込んだ琴葉の体を赤くなった手はなおも守っている。
「どうしたあよ、この野郎!!」
「やめろ、佐野!」
北川は叫ぶが我を忘れている男は、ナイフの刃先を琴葉に向けた。
「いや!」
叫んで目を閉じた瞬間、風で髪が激しく乱れる。ジャスミンの香りが鼻をくすぐった直後、耳に鈍い音が聞こえた。
そして辺りは静かになり、薄く目を開くと彼女は驚く。先程の男が顔を地面に張り付けて、口からだらし無く流涎しながら俯せに倒れていたのだ。
「な、何が起こった?」