その11
「おいおい」
ビルの陰で煙草を吸っていた北川は咳き込んだ。駅前で黒いスーツの男達が女性を道端で、経営するスナックやキャバクラ店の勧誘をしていた。北川は仲間に声を掛けて指差す。
「へえ、すげえ可愛いくね」
「声掛けてこい、佐野。滅多に見ないぞ、あんなに上玉。いつもの手を使って口説き落とせよ」
顔を綻ばせて佐野は返事した。
「任せて下さい。絶対に今日中に店に連れて行きますよ」
襟を立て直して男は琴葉の前に飛び出し、腰を曲げて声を掛ける。
「こんにちは」
急ぎ足の彼女は何も言わず、その障害物をするりと避けた。しかしそれは一緒に動いて、行く手を阻む。琴葉は更に反対側に足を向けた。だがそれも無駄となる。
「ちょっと、ちょっと彼女、お話できませんか」
「すみません、今、急いでますから」
踵を返し、振り切ろうと更に前に出た。
「ほんのちょっとだけ」
佐野は彼女と同じ向きに、纏わり付くように腰を落として付いてくる。
「これから用事があるんで」
男を睨む琴葉は、もうひと足先に出した。だが障害物がひとつ増えて壁になる。
「すみません。こいつ今日が初めてで、不慣れなんです。何か失礼なことしましたか?」
彼女の苛ついた感情が言葉に現れる。
「もう、あなたたち何なんですか! 通して下さい!」
「ほんのちょっとだけでいいんでです。話し聞いてもらえないですか。いい仕事の紹介なんですよ」
もう一人の障害物、北川が佐野よりも前面に出た。
「あなたに特別にお教えします。時給はですね……」
「しつこい!」
琴葉は威嚇的に肩を上げて、掛けていたバックを振る。これを待ってましたと言わんばかりに、佐野はその前に顔を突き出した。バックは当然当たって、男はそのまま道に大げさに横転する。
「いっ、痛てえ!」
「あなた、勝手に……」
彼女は立ち止まった。
「あれあれ」
北川はポケットに手を入れて、琴葉の前に寄って来る。
「すみませんねえ、ご迷惑かけて。こいつ、別に故意じゃないですよ。あなたが振り回したバックにたまたま当たっただけですから」
男は鋭い眼で琴葉を睨んだ。
「申し遅れました、営業担当の北川です。今回は僕の話し聞いてくれてありがとう」
「一体、何ですか、あなた達は!」
「何でもないですよ、短期的にお金を稼ぐお仕事を紹介しているだけです」
不敵な笑いを浮かべる。
「取りあえず、あいつうちの職員なんですよ。怪我されちゃあ、今日の仕事できないないなあ。ちょっとだけ、あなたが手伝ってくれませんかね」
「そんな訳のわからないことを」
後退りをする琴葉は困ったように叫ぶ。
「関係ないってことないよなあ。最初に暴力振るったのは、そっちですよ。こいつ震えてますよ。これ、どうしてくれるんですか。何なら警察呼んでもらってもいいですよ」
「くっ!」
「通行人の皆さーん! この人、いきなり人をバックで殴って、謝りもしないんですよー!」
周囲に聞こえるように、北川は声を上げて触れ回った。佐野はその場にうずくまったまま転がっている。野次馬が動き出す。
「わ、わかったわよ、謝ればいいんでしょ!」
彼女の少し声が上づった。
「謝ったって、こいつ、仕事できないから。だから、お店手伝ってよ。それでチャラにしましょうや」
次第に周囲が人集りになっていく。野次や耳打ち、非難する無責任な言葉が飛び交っていた。
「な!」
三人を囲み出す野次馬たちに、琴葉は戸惑う。
「当然でしょ。あんた、みんなに迷惑かけてるんだし」
その言葉に膝が崩れるくらい琴葉は戦いた。
これまで気にしながら気にしていない振りをしていた日常。人と関わり合うことを極力少なくしていた日々。強がりを言っても逃げてばかりでは、そんなことすら叶わない現実。何も叶うことなどない。
花宗院という名で手に入れている訳ではないとわかっている。彼女には、彼女を信じてくれる大切な人々がいる。そして、全てを叶えている真琴を、羨ましいと思う自分に嫌気がさす。
「ああ……」
自分という存在は何者だ。
「さあ、どうするんですかね」
北川は口元を吊り上げて、一歩彼女に近づく。