その10
この会話は、琴葉と落ち合う少し前だ。先に喫茶店にいる二人は並んで座っていた。
「琴葉ちゃんね」
隣に座っているマコはそう切り出す。
「高校生の頃、とても好きな人がいたの。男勝りの性格もあって、その人とはずっと男友達みたいな付き合いだったみたい。なかなか本心を打ち解けて話せなかったんだけど、思い切ってその人に告白したの。だけど」
横顔は前を向いたまま、表情は変化していった。やがて眉間に皺を寄せて、曇った顔となる。
「でも、その人にはもう他に付き合ってる人がいて……」
「そうか」
横目でその表情を悟りながら相槌を打った。
「その彼女、凄く嫉妬深くて……」
歯切れの悪い言葉が続く。マコはキノの顔を見つめた。
「いいよ、話して」
「色々、悪いこと、琴葉ちゃんにしたらしいの」
言葉を選びながらも口元の動きが次第に鈍くなっていく。
「当時流行っていた携帯電話の『学校裏サイト』に、実名入りで彼女の秘密や悪口を公開しちゃったんだ。噂から私も見たんだけれど、彼への告白の内容とか、琴葉ちゃんの感想とかを。そうしたら、色々無責任な人たちの誹謗中傷が書き込まれて、集まって来て……」
躊躇するマコの表情は晴れない。
「酷かったのは、その後」
口元をやや震わせた後、意と決したように彼女は話しを続け出した。
「琴葉ちゃんは相変わらず勝気だから、無視して黙っていたんだ。けど、裏サイトを辞めさせようと訴える先生たちがクラスメイトに問い詰め出し始めて、その事態を悪化させた」
無言のキノは視線だけ移して、マコの瞳に怒りが宿っていることを感じ取る。
「それも面白くなかったのね。収まらなくなった感情は、琴葉ちゃんを徹底的に傷つけようとした」
何とも言えない表情で頷くしかない。
「出会い糸サイトで自分を売りこむような過激な内容とメアドも公開されたりして、卑猥な迷惑メールが色々と来ていたみたい。住所とか本当に出しちゃったから、待ち伏せされたり、執拗に追いかけられたり、ストーカーまがいの人達もいたようよ」
マコは半分興奮を収めるように、氷に溶けたグラスのコーヒーを一気に飲み干した。
「一番ショックだったのは、琴葉ちゃんが苦しんでいるのを、告白された彼も彼女と一緒になって面白がっていたことなの」
耳を疑うようなマコの言葉に、キノの息が止まる。
「それからクラス中にその事が知れ渡って、琴葉ちゃん孤立して、学校にいられなくなって登校拒否になった。両親とか学校の先生とか心配しちゃって……、それで」
曇るマコは唇を静かに震わせた。
後の顛末など想像するに難しくない。
秘めた想いを打ち明けた人に、信じていた人に裏切られ、しかも酷い仕打ちをされた琴葉の気持ちはどんなだったろう。このトラウマ的出来事は人生の設計さえ狂わせているかも知れない。お見合いの席で芦川が計画した行為は、彼女にとって許し難いことであるだろう。いや、人を信じてその場に向かうなど、琴葉は最初からしていなかったかも知れない。
キノは唇の青くなったマコの暗い表情を見つめ、戦慄く手にそっと細い指を重ねる。
「でも、ちゃんとお互いの事を話さないとわかりあえない。そして、本当の気持ちを明かすべきだ。良くても悪くても」
そして扉が開いた。