その9
雲ひとつない眩しい青空が広がっている。
高校最後の夏休みは目前、蝉の鳴き声しか聞こえてこない。
それ以外の音はかき消されそうだった。
逢ってみたら、予想に反して琴葉は断ってきた。
「だから、先生は」
駅前の喫茶店で、マコとキノ、琴葉たちはテーブルを囲んでいる。
「だって、真琴。その先生は今でもあなたが好きなんでしょ」
琴葉はアイスティーを一口飲みながらマコを見上げた。
「過去の話だって。もう私は結婚しているんだし」
少し焦って言うマコから、琴葉の視線は隣のキノを見据える。その視線に畏まり、姿勢を正した。
テーブルに置かれているクリームソーダの頂点に鎮座しているサクランボが溶けるソフトとともにずれて、長柄スプーンが少し回転する。
「随分、美人で綺麗な旦那さんね」
「ど、どうも……」
緊張しながら返事する。無理もなかった。目の前と隣に、マコがいる感覚なのだ。二人はあまりにも似ている。輪郭や目元、鼻、口元など、違うところは瞳の大きさと笑窪ぐらいだった。マコの方が瞳は少し大きくて笑窪はない。しかし道端で通り過ぎる程度だったら、きっとデジャブのように感じるだろう。大きな違いは性格的ところだ。接し方は少々ぶっきら棒な印象だ。
「紀乃クンだっけ。私の顔に何か付いてる?」
「あっ、あ、い、いえ、何も」
慌ててソーダ水をストローで吸い上げる。
「真琴と比べてたんでしょ。綺麗なお姉さんだなあって」
彼女は不敵に微笑んだ。その笑窪がマコとは違う愛らしさがある。
魅入っていると、恍惚の表情になってしまう。
「いててて」
頬を膨らまして隣のマコが足をつねっていた。
「琴葉ちゃん、どうする?」
キノへの視線を反らせて、少し呆れた表情となる。
「今更、何の話しをするのよ。未だに想い人がいるのに、合っても同じ事だわ。何も進展しない。時間の無駄よ」
琴葉はきっぱりと言い放つ。横顔となったその表情をキノは見た。
確かに彼女の言い分も最もだ。謝罪の目的だったら、そこで時間を費やしても結果が変わるわけではない。しかもその原因がマコにあるとは、琴葉としてもなんともしがたいのだろう。
「先生が、私のことを考えてるから?」
琴葉は溜め息をついた。
「まあね。何か悔しいの。彼が私のためじゃなく、真琴のためにやり直しするみたいで。しかも相手の父親からも連絡有ったし、花宗院家を気にしてるんだわ」
「そんな……」
マコは沈黙する。
幾ら鈴美麗家に嫁いでいるとはいえ、花宗院の名が全て消えるわけではない。花宗院グループは世界経済を揺るがす存在だ。しかしその名が今こうやって、末端まで影響を及ぼしている現実がマコにとっては悲しかった。
そんな中でキノだけは臆さないで欲しい。鈴美麗家の男子として、守るべきものを守るという強い信念を持っていてと勝手に思う。
「何ともならないか……」
「ごめんね、真琴」
「いいの」
マコは少し悲しい目をする。
「全然ダメなんですか?」
横からキノが口を挟んだ。
「私の考えは変わらないわ」
琴葉は瞳を閉じて、残っているアイスティーをストローに通す。
「最初にお見合いを受けたのは、どうして? もし、あいつが変なことしなかったら、進んでいた?」
目が見開いた。
「本当は最初からする気なんてあったんですか」
「無かったら、受けないわよ見合いなんて」
琴葉は冷ややかにキノを見据えるが、それには臆さない。
「でもそうね。そうかもしれないわね」
少し苦慮した表情で彼女は息を吐いた。
「相手の方には悪いと思ったけど、私も乗り気でもなかったのは事実ね」
そして琴葉は吹き出す。
「そんな時に、君たちの珍事は最高に面白かった。お陰でこっちも気が楽になったわ」
「あいつは真剣だった」
キノには芦川の肩を持つ義理はない。単なる馴れ合いかも知れない。けれども、その全てを彼女が知っている訳ではない。
「何のこと?」
腕を組んで椅子から威嚇する。
「今、あいつは真剣にあなたに向き合いたいと言っている」
琴葉は首を振った。
「もういいのよ。私は一人でやっていける。これまでだってそうしてきたの。だから伴侶みたいな人がいなくてもいいのよ」
「何がそこまで言わせるんですか」
マコが腕を引っ張る。その言葉は琴葉を刺激した。
「君にとやかく言われる筋合いは無いわ」
「もっと自分に正直になってはどうですか」
表情が一瞬強張る。
「色々知ってるみたいね」
マコを見て、そして溜息が漏れた。
「真琴と違って、私は誰からも好かれるタイプじゃなかった。ほっとかれても大丈夫よ」
これにはマコも幾分いい気はしない様子で琴葉を凝視する。
「悪く言うつもりじゃないよ。真琴は真琴、私は私なだけ」
「無理してませんか」
「私は自分の考えで責任を持って行動している。それはこれからも同じよ。誰の助けも要らない」
琴葉は机を叩く。周囲の客がその騒ぎに気づいてざわめいた。
「いい加減にして。君の考えを押し付けないで」
「こ、琴葉ちゃん」
マコは心配気に思わず声を掛ける。
「悪いけど、帰るわ」
琴葉は立ち上がって机の上の伝票を指先で取り上げ、レジへ向かった。
「君になんか、私のことはわからないわ」
「琴葉ちゃん……」
彼女はマコには微笑んでその場を立ち去った。キノはまだ琴葉が座っていた席を見つめている。マコはその横顔を気にしながら、何も言わなかった。