その5
「花宗院という事は!」
芦川はドアの向こう側から、殺気を帯びた怒れる獅子が近づいて来ることを感じた。廊下を走ってくる足音が次第に大きくなる。
「くおらぁー!」
ドアが激しく開く。聞き覚えのある声、見覚えのある姿、顔、髪型。
「ま、真琴!?」
そう声を掛けると彼女は睨んだ。芦川は頬を引き攣らせて微笑む。がそれはその場の緊張感を高めただけだった。
「先生」
「ま、真琴。一応、言い訳させてくれ」
焦燥する顔で求めるが躱される。
「言い訳なんて一切、聞きません」
冷淡な表情で回答した。
「あ、あいつはな……」
「知ってますから」
芦川の目の前を通り過ぎ、シャワールームまで突き進んだ。鬼頭は深々と頭を下げ、マコを向かい入れる。
「お嬢様、こちらにおいでです」
「ありがとう、鬼頭さん」
鬼頭と入れ替わり、キノの前に仁王立ちした。
「マコ」
バスタオル姿のキノは呟く。
「ここで、何やってたの」
入れ替わった鬼頭は転がっている男二人の襟首を持って引き擦って、その場を静かに離れて行った。
「別に何もしてない」
「そんな姿で言われても信じられないこと、わかるでしょ」
マコの目は冷ややかで、疑惑めいている。
「不倫みたい」
「不倫……、お、男と?」
唖然とした顔が、次第に真顔に戻った。
「ふん。マコが何かあったと思うなら、それでいいさ。僕を信じないなら」
売り言葉に買い言葉だ。自暴自棄に近い。
「お互いが、信じられなくなったら、もう……」
瞳を閉じたマコは言った。
「別れる」
キノの心臓の鼓動が高鳴る。胸が締め付けられて、息を吸い込むことが苦しくなる。
「くっ! マコが感じていた息苦しさは、これのこと……」
その急展開な会話に芦川はその深刻さに慌てたように「真琴」と言い掛けようとした時だった。
「どれだけ、心配したと思ってるのよ」
キノは押し黙ったままだ。
「心配したのに、ずっと、ずっと」
両手を組み、胸を押さえてマコは震える。
「なのに、キノはこんなところで……」
「い、いや、こいつの言う事は嘘じゃない。本当に何もない! 何もない!」
堪らず芦川は口を挟んだ。
「胸が痛かった、凄く痛かったよ。キノに何かあったらどうしようって」
手を振り挙げ、キノの頬を叩く。部屋の中に響いた。クリーム色の濡れた長い髪は身体に張り付いたままだ。弾かれた頬を横に向けたまま、動かなかった。白い肌の頬がうっすらと赤くなっていく。マコはもう一度、手を挙げた。
二人の行動を芦川は茫然と見つめたままで、口出し出来ない。
「痛くて、しょうがなかったのに……、こんな、酷い」
弱々しく振り降ろされてくる手をキノは掴む。そしてその手をそのまま自分の方へ引いた。バランスを崩して蹌踉けるマコの体は、ふわりとキノの胸の中に入り込む。
「ああ……」
その手が、タオル地のキノを抱いた。
「信じて」
細長い指が優しくマコの頭を撫でる。
「知ってるじゃないか、僕にはマコしかいない」
「でも、何故こんな格好なの?」
振りかぶる彼女は円らな瞳で見つめた。
「それは……」
キノはチラリと芦川を見て、それからマコの耳元で囁く。彼女はハッとしたように見上げた。
「それじゃあ……」
「そう、まだ体に慣れてなくて、どうしても」
キノは頷き顔を赤くして微笑む。
「おまえら、いい加減にしろ。何話してるんだよ」
いつの間にか仲直りしている二人を見て、芦川は少々不思議な顔をして尋ねる。
「女の子のこと」
二人は意味深な返事をする。
「は?」