その11
「ぶたれた」
キノの白い左頬が、うっすらと赤く染まっていた。
「まあ、変なことに首突っ込むと、そうなるのよ」
その頬を千秋は人指し指でちょんと突く。
「突っ込まされたのは、こっちの方。痛い思いして、迷惑千万だよ」
頬を丸く膨らませた。
「早く男子に戻れば。そうしたら、誰も言い寄って来ないよ、多分」
帰り支度をしながら捨て台詞を言う。キノは彼女を見つめた。
確かに簡単なことだ、そうすればいい。
「そうだね。それが一番いい」
キノは頷いて腰に手を当てた。ゆらりと千秋はキノの顔前に近寄った。
「参考程度に」
伊達眼鏡を掛けなくなった円な瞳が悪戯に見つめる。
「どうやったら変身するの?」
「どうって……」
「そう。どうしたら、王子に変身するのかな」
キノは彼女の瞳には弱い。その眼差しに耐えられず視線を逸らした。
「やっぱり、マコさんが関係する? 変身すると、出っぱたり、引っ込んだりって、どんな感じなの?」
更に千秋の顔が近づくと、キノはその両肩を掴んで引き離す。彼女は体重を掛け、無理にでも体を押してくる。基本的に女性に対して手を挙げないのが、武道家の男子たる主義だ。
「そ、それは……」
「それは? キノちゃんに久しぶりに掛けた電話の時、聞いちゃたのよね」
千秋の体を支えながらも、キノはどぎまきした。
「なっ、何を」
「マコさんと一つになることが……」
「ど、どこまで聞いてたんだ」
「さあ。キノちゃんが質問に答えてくれたら、教えてあげる」
後ずさっていたが、壁に当たって行き場所を失う。千秋はそのままキノの足の上に跨がり、乗りかかった。
「さあ、教えて。どうなるの?」
彼女の瞳がキノを犯す。
「やめろ、千秋。おまえどう見てもおかしいって。如月に言うぞ」
その言葉をものともしない千秋は迫まってきた。
「何だろう。キノちゃんの顔って、やっぱり凄く美人で可愛い。引き寄せられる。ずっと眺めていたい」
「まっ、待て、千秋!」
キノは肘を突っ張って、彼女の肩を止める。そのまま二人は重なり合うように横に倒れた。
「やめ……」
だがキノの頭部は千秋の両手でガッチリと固定されている。いつもは彼女の体重くらいはね飛ばせるが、いかんせん今日は力が入らない日である。キノは重なろうとする唇を辛うじて右手掌で覆った。手に柔らかい千秋の唇が触れる。
「うーん。やっぱり、私のじゃダメ?」
しばし、そのままの状態が続く。キノは置き場のない大きな瞳をくるくると回している。
「ダメに決まってるだろ!」
「別に私は気にしないんだけどなあ」
手に張り付いた唇をそのまま押し付けてきた。
「千秋! 如月がいるのに!」
「お、おまえら」
襖を開けた芦川は、その光景を見て言葉に詰まる。
「二人で何やってんだ」
女子二人が床に転がって重なっている様は、奇妙な光景だ。と言うかキノの立場では混乱させる。
「鈴美麗、おまえ、真琴以外に愛人がいたのか?」
いささか、呆れた様子で芦川は呟いた。