その9
「キノちゃん、キノちゃん。これ」
扉の下から小さな包みが、差し込まれた。
「ありがと、千秋」
「ちゃんと用意しておかなくちゃ」
「だって、女の子、久し振りなんだもん」
女子同士でもない、不思議な会話だ。
「もう出て行く時間、経ってるよ。どうするの」
他人事ながら、何故か彼女も緊張気味で焦っている。
「お見合いの人、もう来たかな?」
キノはようやくトイレから出ることが出来た。
「また髪と服がクシャクシャになってる」
そう言うと千秋はお節介な小姑のように整え始める。
「これで良し! いいよ。行ってきて」
「もう、なるようにしかならないか」
キノはそう言うと、千秋に手を振って廊下を歩き始めた。
和風の世界に西洋のゴシック調の黒服がまるで喪服のようにも見え、それがアンバランスさを醸し出している。キノの歩き方も何だかいつもよりぎこちない。やはり生理日は違うのかと考える千秋だ。
「容姿は凄くいいんだけれど、ちょっとあの服、違うかな」
その姿を見送りながら、千秋はひとりごちした。
キノは廊下をやや急いで歩いてく。今まで無かった股間に存在する違和感が、歩きにくさを一層高めていた。一瞬、庭の池で跳ねる鯉に気を取られた刹那、キノは何かにぶつかって転倒する。女の子の日になっていると、本来の機敏さや瞬発力、破壊力が落ちてしまうのが難点だ。気が付くと、キノはその女性の上に重なって乗っていた。身体を起こすと顔が目の前にある。とても身近にいる大切な存在、見覚えのある瞳、鼻筋、小さい唇。
「マ、マコ?」
キノは頭を振って飛び起き、慌てて女性から遠のいて尻餅をつく。廊下に座りこんでいてもキノは、女性から目が離れなかった。
「ごめん。君、大丈夫?」
半身だけ起こして髪が乱れたままの女性は、呆然としているキノに問い掛ける。
「もしもし? ねえ、君」
女性は四つ這いでキノの眼前に近寄った。
「ち、違う」
キノは呟く。彼女は訝しげに見入った。
「さっきから、何言ってるの。私が誰かに似てる?」
キノはじっと女性の顔を見つめ、マコではないことを確認する。しかし、どことなく見覚えのある要素を持っていることを、不思議と感じ取っていた。マコ似の女性はキノに長く見つめられて、やや頬を染めた。
「ご、ごめんなさい。何でもないです。すみません。僕、池の鯉に気を取られて」
「僕?」
彼女はキノの言葉に不思議な顔をして指差す。
「君って、女の子よね」
「え、ええ……、まあ」
「まあ?」
キノは視線を外した。
それでも女性は凝視したままだ。
「私ったら、君に見つめられて、今ドキドキしちゃった。君みたいな綺麗な娘、見たことないから」
暫く鼻先で匂いを嗅ぎ、キノを頭から足先まで眺めた。キノは顔が赤くなったまま畏まる。
「君、いいよ。いいんじゃない、それ。似合ってるよ、そのデザイン、オリジナルだね」
「と、友人が作ってくれたんです」
何故か、姿勢を正しているキノだ。彼女は顎に手を当てて、キノの周囲をくるりと一回りした。そして、少し微笑む。
「いい。友達のセンスとてもいいね」
「あ、あの、僕、急ぐところがあるので」
キノは芦川との約束の時間を、とても気にしていた。
「あら、私もだ。もう随分、相手を待たせてるみたいなの」
あっけらかんと、悪びれている様子もなく女性は笑う。
「それじゃあね」
「ど、どうも……」
軽く会釈して先を急いだ。ふと、振り返ってその女性の後ろ姿を見つめる。
「やっぱり、マコに似ている」
「え? 琴葉ちゃんなの」
「そうだ」
大介はマコのエプロン姿を見ながら、笑みを浮かべ満足そうに頷く。彼は至極ご機嫌で、お得意のワインを嗜んでいた。
「彼女も男性の一人くらい相手にせんとな」
「だからって、お見合い?」
キッチンルームでマコと彼女のメイドで、一緒にケーキを作っている。
「でも、琴葉ちゃんがよく、そんな事する気になったわね」
軽やかにホイップクリームでデコレーションをしている最中だ。
「相手が芸術関連の仕事だと言ったのが、良かったかも知れんな」
「そうか……」
「全く琴葉は、真琴と見違うくらい可愛いのに、昔から男勝りで強情だからな」
大介は大笑いした。
琴葉とは『高柳琴葉』のことで、花宗院家とは親戚にあたり従姉妹である。子供の頃、彼女とマコはよく一緒に遊んでいた。顔立ちが似ているせいか、時々姉妹と間違われるときもあった。琴葉の方が四歳年上だ。
「先生とだったら、案外気が合うかな」
マコは別の意味で納得する。
「琴葉ちゃん、私が結婚していること知ってる?」
「それぐらい何処かで聞かされているだろう」
大介はワイングラスを傾けた。
「琴葉ちゃん、結婚なんて考えるのかな……」
「先方が断ってもいいさ。琴葉の男嫌いが、少しでも緩くなればな」
父親の会社が倒産しかかった時、大介を頼って何度か泣きを入れた事はあったらしい。その姿をどう捉えたのか、琴葉は幼稚園から高校卒業に至るまで男嫌いだった。男子とは何かと言えば衝突し、喧嘩ばかりで、クラスでも評判の女番長的な存在だった。また彼女に言い寄ってくる男子もいなかった。大学時代には少しは自覚して話が出来る者もいたらしいが、所詮長続きはしなかった。自己実現は自己自立があってこそ、という一匹狼的なスタイルを貫いている。大学を卒業後、会社には所属せずフリーデザイナーをしてるらしい。
「会ってみたいな、琴葉ちゃんに」
子供がおねだりするように、大介に上目遣いする。
「そ、そうだな。見合いが終わったら、こちらに寄るように声を掛けておくか」
「先生の印象も、聞いてみたいし」
マコは無邪気に微笑んだ。




