その3
「むり、ムリ! 絶対、無理!」
頭を大きく振るキノはテーブルを叩いて声を荒げる。
「大きな声を出すな」
芦川は座るように、手を振り降ろして宥めた。
「だってそんなこと、出来る訳ない!」
「だから、おい、座れ。みんなから見られてるぞ」
手振りで芦川は促す。キノは周囲の客や従業員から、注目と羨望の眼差しを受けていることに気づき、赤面して静かに腰を落とした。
「その時だけでいいんだ。ちょっと顔を見せて、少しだけ話をしてくれればいい」
少し笑って男は言った。
「その後、俺がなかったことにするから」
テーブルに付くかのように、深々と見え透いた嘘で頭を下げる。
「そんな気軽なことじゃないでしょ」
「ダメか」
下げた頭を戻して溜息混じりに言った。
「ムリ!!」
両手を胸の前で大きく交差させて、バツ印を作る。睨みつける大きな瞳は実に嫌そうだ。
「そうか、そこまで言われたなら仕方がないな。他に頼むことにするよ」
「他にアテがいるんだったら、最初からそうすればよかったのに」
胸を撫で下ろしながら、キノは頬を膨らませる。
「そっちに頼んでもいいのか?」
芦川は腕を組んだ。
「そりゃ、どうぞどうぞ」
両手の平を上に向けて、安堵したした顔で促す。
「一応、許可を取ろうと思ってたんでな。安心したよ」
「許可?」
怪訝なキノの視線を芦川はわざと外した。
「あいつ優しいから、俺が頼み込んだら、嫌とは言わんだろうな」
腕を組んで、目を閉じてその状態で何度も頷く。
「まあ、俺の親が気に入ったら、まあそれならそれでいい」
「ちょっと!」
テーブルに乗り出したキノは芦川の襟首を掴んだ。その仕草さえも周囲には優雅に映っていることだろう。
「誰に頼もうとしてるの」
その睨みにも物ともせず、笑顔で応える。
「真琴だよ」
「はあ!?」
「俺のこんな馬鹿な事に付き合ってくれる知り合いは、あいつしかいないしな」
「何言ってんの!?」
憤慨してキノは叫んだ。
「うん?」
その姿をチラリと見て、再び目を閉じる。
「さっき君の許可は取ったと思うけど」
何気に芦川はスマホの音声録音を再生した。
「武道家の君に、二言は無いよな」
掴んでいた手の力が緩み、そのまま頭を垂れるとクリーム色の細長い髪がはらはらとテーブルに落ちる。その下の拳が震えながらきつく握られていた。
「やる……」
「何か言った? 聞こえないけど」
男は耳をキノの唇近くに寄せる。
「やる! やるから、マコには絶対手を出すな!」
顔が紅潮し、鼻息が荒いまま声が上ずった。
「さすが武道家。快諾してくれると思ってた」
芦川は勝ち誇ったかのように、満足気な笑みを浮かべる。
「終わったら、もう一回ぶっとばす」