その2
その夜マコはずっと眠れないでいた。隣のベッドが気になっている。彼女はベッドから這い出て、キノの傍に近寄った。そろりとキノの顔を覗き込むと、小さな寝息を立てている。
「きっと、稽古の疲れが出ているのね。このところ、前にも増してハードなメニューをこなしているようだし」
細い髪が、顔に張り付いている。マコは指でそれを優しく整えた。そのまま頬に当てる。
「何考えてるのかしら、私ったら」
キノは寝返りを打った。突然、パチリと大きな瞳が開く。彼女の指はまだキノの頬にあった。
「起こしちゃった、ごめん」
キノの手が頬にあるマコの手に重なる。
「なんとなく、顔をじっと見たくなったの」
マコの手がその白い頬から、名残惜しむように離れていった。
「疲れてるのに、変なこと言って、ごめん」
「体は、全然平気だよ。大丈夫。今まで出来なかった分を、取り戻さなくちゃいけないから」
キノは微笑む。反対にマコは神妙な顔つきになった。
「……そう、だよね。今まで出来なかったものね」
キノの指を両手で包む。
「一緒に寝てもいい?」
もう一度、キノの顔に近寄った。
「ダメだよ。決めてるじゃないか」
キノは彼女を凝視して諭す。この約束事を決めたのは『花宗院大介』だ。
「そう、だけど」
「どうしたのマコ。変だよ、今日は」
キノの言葉を無視して彼女はベッドに横たわる。真近に迫る可愛い横顔に、キノの顔は更に汗が吹き出した。あたふためいてその体を両手で押し戻す。
「我慢してる?」
マコの目は真剣だ。
「ばっ、バカ」
キノは顔を逸らして、反対側に寝返る。マコはその背中に手で触れた。
「何かあったの?」
背中越しに、キノは訊ねる。
「何でもない……。わからなくなったんだね、女の子の気持ち」
「わからないよ。もう今は、男なんだし」
マコの手が離れようとした時だった。
「今日のマコ、変だけど、女の子ってそんな時もあるんだよね」
キノはもう一度寝返りを打って、彼女の方を向いた。
「もう、どうしたのさ」
「わかんない」
マコは眉間にしわを寄せて、首を振った。
「もう、おんなキノの気持ちはないの?」
「もう僕には、おんなキノはいないから」
「本当にいない?」
マコの潤んだ瞳を、キノはじっと見つめる。
「逢いたいの? おんなキノに」
「わかんない」
両手で顔を覆った彼女は起きあがって、自分のベッドへ戻る。
「マコ……」
大きな瞳がそれを追った。今度はキノが眠れなくなってしまった。