その13
『緒方 空』は生まれつきの持病があるため、入退院を繰り返す日々を送っている。普通の生活を望む空の心の支えは、兄の『緒方 周』だ。周との関わりは、キノがまだ星白高校にいた頃、武道家としての姿に感銘を受け、空を励まして欲しいと頼んだ時からだ。兄の気持ちに嫉妬した空は最初こそキノに嫌悪を抱くが、その健気さにやがて打ち解けていく。周の気持ちはやがて恋心となり告白するも、キノからは振られていた。
空は以前の病院の同じ個室に入院していた。しばらくの間『面会謝絶』の札があったが、今は無くなっている。キノは胸が締め付けられるような苦しさを感じた。芦川の美術個展でたまたま会った時には、元気な姿を見せていたのを思い出したからだ。そしてその時、周が空の大きな支えになっていることにも安堵した。だから、彼の事も気がかりになっている。
マコには、二つ心配なことがあった。ひとつは空の容態のことだが、もう一つはキノと周である。時と場合では、おんなキノの母性本能がどんな対応をするのかがわからなかったからだ。男と女では対応が違うだろう。マコはキノを信じている、がそれも正直不安な点でもある。
おんなキノが以前に増して、確実に変化していることの理由に困った。どうして変化していたのか、何がそうさせているのか。キノ自身が考える通りにするには限界がある。何故ならば、キノがそうなりたいと思った時点での彼女の容姿は、結婚する以前のディテールしかないからだ。今のおんなキノは部分的に違っている。やはり『成長している』といった方が正しいかもしれない。
マコは病院近くの書店でキノを待つことにした。何か違うことを考えていないと、堪らない気持ちに襲われそうだったからだ。ファッション雑誌を手に取り、ぼんやりと眺めている。様々な服を見ていると、ふとキノに着せたくなる衝動に駆られた。
「ダメ、ダメ。キノは男なんだから」
首を振る。
「でもこれ可愛いい。絶対似合うわ」
まるで我が子に着せようとしている母親に思えて、マコはクスリと笑った。
「真琴じゃないか」
後ろを振り向くと、芸術家の『芦川 貴文』が立っていた。
「先生」
マコは微笑む。
「個展の時以来だな。元気にしてるか」
「はい。先生もお変わりありませんか」
彼は胸に手を当てて、眉間に皺を寄せた。
「もちろん、元気じゃないぞ。おまえに、二回もフラれたんだからな。しかも二回目は、素っ気ない葉書じゃないか。『結婚しました』なんて」
実に悔しそうな顔をする。
「はあ」
「あいつとの生活は、さぞ楽しいんだろうな」
芦川は皮肉を込めて言った。
「ま、まあ……」
指を絡め、はにかんで照れる。
「真琴、まあって何だよ。もうちょっと、女子高校生らしく騒いだらどうだよ」
彼は手を振りかざして、にこやかな表情をした。やがてその手は下がっていく。
「何かあったか。子供でも出来たのか?」
彼女は芦川の顔をちらりと睨む。
「冗談だよ」
下がっていくその手はマコの肩を持って、引き寄せた。
「ち、ちょっと、先生」
「あいつのことだろ、真琴の顔がそう言ってるよ。おまえ、困って顔に出す時、昔からそんなだから」
掴んだ肩の力がすぅと消える。
「話してみるか」
「話せないから、いい」
口では笑って見せても、眉間に若干皺を寄せるその表情を男は見逃さない。
「わかった。じゃあ、聞かない。そのかわりに今からお茶につき合え」
芦川はもう一度マコを引き寄せた。
「どうして、そうなるの?」
「昔の恋人だからさ」
肩に乗せているその手をマコは払う。
「先生、恋人になったことなんて、一度もありませんから」
「まあまあ、堅いこと言うな」
芦川はマコの手を握り締めて書店から出た。
「相変わらずですね」
「新妻を連れ去るなんて、なんかゾクゾクするな」
その悪戯な顔にため息をつく。
「もう……。まあ、ちょっとだけなら」
今、芦川とキノを偶然でも会わせてしまうことは、話をより複雑にしてしまうと思ったからだ。
「さすが、真琴。どうせなら旦那置いて、このまま何処かいいとこ行っちゃう?」
芦川の脇腹にマコの肘鉄が突き刺さった。