その12
「今日は体調が悪いと聞いておりましたが」
昼下がりの道場で、男は立ち竦んでいる。
「またもや変化されているとは……」
昼過ぎに部屋から出てきたキノを見て、フェイルは腕を組んだまま困惑していた。
「キノ様、いったい何をお考えになっているのだ」
キノは上着を脱ぐ。
「フェイル先生、これは僕とマコが決めたこと」
白い肌と胸が露出した。彼の目がその端正な曲線に釘付けになる。慌てて、フェイルは後ろを向いた。ひとつ咳払いする。
「しかし、マコ様と結婚されている身。男子としてこの鈴美麗家の繁栄を願っていたのでは。それが女子に……」
言葉を発する顔が紅潮した。彼は首を左右に振る。
「しかし、何という美貌だ。目眩がする」
「女子に見えても僕は男だよ」
キノはいつものように、胴着に着替えている。
「やっぱり、腰周りが細くなってる。出っぱてるところは足りないし」
いつもの帯が長く垂れていた。
「き、キノ様! いくら師範の私とて男たるもの。そのような格好では、いささか稽古に差し障ります!」
「僕は構わないけど」
キノは構える。胴着の間から、胸が飛び出してきそうだ。フェイルは右の掌を差し出して静止させる。
「い、いけません! きょ、今日は止めておきましょう! マコ様の目も非常に気になります!」
額に汗を滲ませている彼は、道場の入り口から頭を出して、事の顛末を見守るマコに怖じ気づいた。ため息をついて、キノは彼女の側に近づく。
「だって……」
何故か顔が赤くなっていた。
「だって、その体、心配過ぎるもん」
キノはもう一度帯を締め直しすが、やはりたわわな胸は隠しきれていない。
「全体的に良すぎるよ。そう、おんなキノが成長しているみたい」
マコは指差した。
「こんなところ、千秋ちゃんでも見られたら、とんでもないわ」
想像だけでも、体を震わす。
「キノ様、ご友人がお見えになりましたので、お連れしました」
亜紀那が道場の入り口で一礼した。
「友人?」
マコは振り返る。見たことのある笑顔があった。
「キノちゃん! 思い切って来ちゃった!」
三つ編みのオタク少女、『本田千秋』の登場だ。
「ち、千秋ちゃん!? どうしてここに」
驚愕したマコは尻餅を付く。
「おお、千秋!」
キノの呼びかけに、千秋の動きが止まった。体が硬直している。
「き、の、ちゃん……?」
マコは目を手で覆った。何が起こるのか。
「千秋ちゃん、こ、これには深い訳があってね……」
彼女は無言で道場に駆け上がる。マコは慌てて後を追った。
「こ、これは、本田殿」
フェイルは言葉を発するが、素通りしてキノに歩み寄った。
「千秋?」
千秋は口を真一文字に締める。そして張り手一発を白い肌の左頬に喰らわす。
彼女が怒るのも無理はないだろうと、マコは思った。千秋が男子に戻ったキノに逢うのを躊躇っていることを聞いていたからだ。キノの本質が変わっていないことは理解している彼女だが、やはり外観での男女の差を感じていたようだった。ここに出向いたということは、それなりの覚悟を決めてきたということだろう。
「何なの、キノちゃん、これは」
眼前の千秋は、睨んで指を差す。
「いや、その、もう一回、戻したというか」
「ほ、本田殿。気持ちを納められよ」
隣でフェイルが二人の顔を交互に見つめ、戸惑っていた。
一発触発状態が続く。もう一度、千秋は手を振り挙げた。
「何なのって、言ってんのよ!」
目を瞑って、キノはもう一度それを受ける覚悟する。彼女の瞳は真剣だった。キノは千秋の瞳も好きだ。
『むにゅ』
千秋の両手がキノの胸を鷲掴みだ。
「あんっ!」
思わず吐息が漏れる。
「全く、立派過ぎよ、これ!」
そして彼女は抱きついて、頬擦りする。
「男でも女でも、キノちゃんだよ」
そのまま戻ってきた肢体を確認するかの様に、指を這わせていた。
「久し振りだわ、この肌と柔らかさ」
「こ、こら! 千秋、離れろ!」
「本田殿が、キノ様の乳を揉んだ……」
フェイルは不可解な千秋の行動に言葉を失い、顔を覆って膝を床に着く。
「ま、まあ、いいか……、これはこれで」
マコは呆れて呟いた。




