8 森の家 (2)
家のすぐそばまで送ってもらうと、前回と同様、家から離れたところで中に入るまで見守ると言われた。
今日はまだ日が高い。
「よ、よかったら、お茶でも、どう?」
お礼の気持ちで誘うと、
「いいのか?」
と誘いに応じた。
大したごちそうはないが、今日町で買ったばかりのお茶はある。
お湯を沸かすのに少し時間をもらい、その間、以前見たいと言っていたアーレの畑を自由に見てもらった。
アルトゥールは枝についたままのまだ熟していない魔法の実や、普通の野菜もゆっくりと見て回った。
土にも触れた。農園の土と比べても劣らないほっこりとした土だった。
地面にぺたりと手のひらを着ける。かすかに感じる魔力。農場で一瞬広がったあの光の力と同じだ。
きれいに管理された土地のすぐ向こうには、荒れた畑。
崩れてはなくても、人が住んでいないことがわかる家。
用心のため、道の入口に近い木に悪しき心を持つ者をよける護符を魔法で書き込んだ。
頭の上を影が通り抜け、見上げると、竜が巣に帰るところのようだ。
一声あげて飛び去った後に残る静けさ。
夕暮れよりも早く木々の影に入った森の中の畑は、ひっそりと静まりかえっていた。
そこへ
「ケケッ」
と突然木の陰から現れた鶏が襲いかかってきた。羽をばたつかせながら、飛び上がって蹴りを入れてくる。さらりとよけると、着地したところをすぐに飛びついて抑えた。翼をうまく押さえたので、ばたつくこともできず、鶏は捕まった。
「お茶はいった…、あ、」
家から出てきたアーレが、鶏を手づかみしたアルトゥールを見て、目を丸くした。
「いるか?」
「いえ…、今日は町でお肉買ったから」
アーレが答えると、アルトゥールは鶏を森の奥の方に逃がした。
「命拾いしたね。昨日だったら…」
鶏を素手で捕まえるなんて芸当はなかなかできるものではないが、もったいなくても殺生は食べられる分だけ、と決めていた。
近くの井戸で手を洗い、アルトゥールを家の中に招待した。
実に、物の少ない家だった。
ドアを開けるとすぐに小さな机のある部屋。椅子は不揃いな二つ。急遽用意したようで、普段は一つしか使ってないのだろう。炊事にも使われている暖炉があり、その隣に食器が少し置いてある。水瓶もそこにあり、この部屋が台所も兼ねているのだろう。
奥にもう一部屋あり、開いたままのドアの向こうにはさっきまで机か椅子の上にあったと思われる物が薄い絨毯を敷いた床の上に置かれていた。気になって見ると、それは描きかけの絵だった。数本の筆も、画材もある。
「絵を描くのか?」
「それは、頼まれてる仕事なの」
奥の部屋を見られたにもかかわらず、恥ずかしがる様子もない。元々隠すつもりもないのだろう。
近くにある本を拾いめくってみた。描きかけの絵と同じ花が描かれている。本の挿絵を模写しているようだ。
「うまいもんだな。絵はどこで習った?」
「…覚えてない。小さい頃に習ったと思うんだけど、ほとんど我流」
お茶が机に置かれたので、戻って椅子に座った。
出されたのは、カモミールのハーブティだった。カップも不揃いだ。
アルトゥールは自分の鞄から焼き菓子を出し、机の上に置いた。
「どうぞ」
と勧めると、
「いいの?」
と言ってアーレは目を輝かせた。
「さっき、いとこにもらったんだ。有名な店の物らしいが…。」
アルトゥールが1枚つまんで口に入れる。それを見守ってから、ちょっと遠慮しながらアーレも1枚口に入れた。
ほくほくとした食感がおいしい、ショートブレッドだった。
「おいしい…」
思わず笑顔がとろける。
それを見たアルトゥールは、ちょっと笑みを浮かべながら、残りをアーレの近くに寄せた。
「全部食べていい。昼食が多すぎて、腹がいっぱいだ」
その申し出に、アーレは遠慮なく残りを頂いた。
「ここでは一人で暮らしているのか?」
「そう」
「ずっと? …親御さんは?」
「二年前に…」
二年前に。
普通なら、死んだとでも言われそうだが、それにしてはこの家は変だった。家族で住んでいた気配がない。
「二年前に?」
改めて聞き返したアルトゥールに、アーレは少し戸惑いながらも
「いなくなった」
と答えた。
「いなくなった?」
聞き返されて、頷く。
「みんな、いなくなった」
「周りの家、みんな?」
頷いたきり、言葉は出なかった。
二年前から放置されている家、畑…。
「二年前から一人なのか?」
こくりと頷く。
「一緒に行かなかったのか?」
「誰と?」
「…親御さんとか」
「十年経ったから、後は自由だって」
そう言うと、ゆっくりとお茶を飲む。
「みんな、どこかへ戻るって言ってた。でも私には、戻るところはないから…」
その言葉は意味がわからなかった。
普通じゃない何かがある。とは言え、人の家のことだ。深く立ち入るべきではないかもしれない。
アルトゥールは、話題を変えることにした。
「おまえは、魔女なのか?」
すると、きょとんとした後、突然笑い出した。
「魔女なんて…、ありえない。私、魔力ないの」
そして、アルトゥールの手を握って
「ほら」
と言った。
急に手を握られて驚いたが、魔力を調べる時にはよくやる方法だった。そして、言う通り、握った手には、何の魔力も感じられなかった。
しかし、あの植え付けの日、両手を伸ばし、鍬で杖のように地面を突いたアーレの動作で、魔法の光の輪が広がったのは確かだった。
あの王城の農園の土に染み込んだ魔力がここの畑にも残っている。それはかすかだったが、あの時の魔力と同じであることは確信が持てた。
「この前、畑でおまじないをしてたから?」
「ああ、…そうだ」
「あれは、魔法ではなくておまじない。…大地の神様に、無事育ちますようにって、お願いをしていて。昔、誰かに教わって、自分の畑ではいつもやるからつい農場でもやってしまったけど、別に特別な力はないし、何もなかったでしょ?」
何もなかった。その言葉は、アーレにはあの光は見えていない、魔力も感じていないと言うことだ。
アーレは特別な力はないと言うが、あの祈りの後、1週間前に植え付け、枯れかけていた苗も育ち始めたことを、ヨハネスから報告を受けていた。魔法石を取ったことが影響しているとも考えられたが、あの祈りの後明らかに葉の色が良くなっていた。
「王子様の披露宴に使う物に変なことしたら、心配よね。ごめんなさい」
うつむいて謝るアーレを見て、
「別に謝らなくていい。心配しているわけじゃない。おかげで魔法の実はちゃんと根付いている。…いいまじないだ。気が向いたら頼む」
そう言うと、ゆっくりと手を離し、お茶を飲み干した。
女性の一人暮らしに、日が暮れてからの長居はよくない。
「ごちそうさま」
アルトゥールは席を立ち、
「明日また迎えに来る」
と言い残し、早々に馬の所に行った。
「あ、…ありがとう」
見送るため、追いかけてきて礼を言ったアーレに、アルトゥールは振り返ることなく片手をあげて、そのまま立ち去った。