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39 魔法を持たない魔女

「ヴァルドマン子爵の養子をかっさらった件だ。身に覚えがないとは言うまい」

 ベルツはせわしく貧乏揺すりをしながら、語気も荒く、格下である伯爵ごときが自分に逆らうことなど許さないという高圧的な態度を見せていた。

「ヴァルドマン子爵の養子は我が国の第三王子との婚姻が決まっていたのだ。にもかかわらずおまえの家と婚約を結んだと言うではないか。王家の婚姻の邪魔をするとは不敬にもほどがある。早々に婚約を解消したまえ」

 隣国の王の勅書を机上に置き、手のひらで机を叩きつける音が大きく響いた。

 それは、第三王子とヴァルドマン子爵令嬢との婚約を命じ、子爵令嬢を王城へ呼び出すものだった。

 荒々しい口調でまくし立てるベルツ侯爵の言動にも動じることもなく、ルードヴィヒはただ黙って話を聞いていた。

「ヴァルドマン子爵の養子は王の下へ連れ帰る。もともと当国ウィンダルの者だ。とっとと連れて来い」


 しかし、何を言われようと、ルードヴィヒは顔色一つ変えなかった。出されていた紅茶を口にし、王家の高級な茶葉の味を堪能する。あまりに余裕を見せたその態度は、相手を激させるのに充分だった。

「聞いているのか、貴様」

「不敬ですよ。王の前で」

 それだけ言うと、ゆっくりとカップを置き、また沈黙の時間を持った。

「おまえはわしを馬鹿にしておるのか」

「それはそちらでしょう」

 正面からベルツ侯爵を見るその目は冷ややかで、口元で作っている笑みが形だけのものであることを物語っていた。

「私は、話し合いと言われて来たのです。道理の通らない命令を受けに来たわけではありません」

「道理が通らないのはそっちだろう。私は王の代理としてきているのだ。ウィンダル王家の婚約者を横取りしておいて、盗っ人猛々しいとはこのことだ」

「はて。…あなたのおっしゃられていることが、いまいちわからないのですが」

 あくまで口調は穏やかに、ルードヴィヒはベルツ侯爵に問いかけた。

「お探しなのは、ヴァルドマン子爵令嬢でしょう」

「そう言ってるだろう!」

「ウィンダルの者、とおっしゃいましたね」

「そうだ」

「お人違いをなさってるようです」

「なにい!」

 ベルツ侯爵は乱暴に机に手を突いて立ち上がり、今にも突っかかりそうな勢いでルードヴィヒの胸ぐらを掴んだ。

「待て」

 王の声で、ベルツ侯爵はしぶしぶ手を引いた。


 ゆっくりと服の乱れを整えながら、ルードヴィヒは言葉を続けた。

「当家に迎えたアレクシエラ・ヴァルドマンは、亡き孫娘ゆかりの名を名乗らせたと聞いていますが、本当の名はアーレと言い、ヴァルドシュタットの農民です。以前から私が後見人になっている者であり、縁あってヴァルドマン殿の養子になりましたが、ウィンダルの者ではなく、当人は一歩もウィンダルへ足を踏み入れたことはありません」

「だから何だ。我が国の籍を得た時点で我が国の者だ」

「婚姻までの間も引き続き私が後見人となることをヴァルドマン殿より認められております。当家の保護下にある者を連れ出されるいわれはございません」

「わしはウィンダル国王代理だ! これは王命だ!」

 茶器がひっくり返ろうと全く動じることなく、ルードヴィヒは座ったまま、薄笑いを浮かべて言葉を続けた。

「ここはヴァルドシュタットであり、私が仕えるのはヴァルドシュタットの王です。お間違えのないよう」

 それは隣国の王の命令になど従うつもりはないという、ルードヴィヒの意思の表明だった。

「…そもそも、アレクシエラ・ヴァルドマンは、ヴァルドマン子爵令嬢ではありません」

 その言葉をベルツは鼻で笑った。

「何を今さら…。見苦しいほらをつきよって」

「ロベルト・ヴァルドマン殿の養女であり、ローランド・ヴァルドマン子爵の妹君です。失礼ながら、ローランド・ヴァルドマン殿が養子に迎えられるご予定だった方とお間違えになっているのでは?」

「なっ…」

 それは、ベルツ侯爵にとって想定外だった。

 貴族同士の婚姻に身分が釣り合うよう、子爵令嬢の肩書きを欲しがるものと思い込んでいた。

 実際、王家と婚姻を結ぶ予定にしていたのは、現子爵ローランドの養女だ。

 今、机の上にある婚約の勅書にも、相手はローランド・ヴァルドマン子爵令嬢と書かれている。名前はかつての「事件」を明かさないために、仮の名がつけられる予定で空欄になっているが、求める者は「アレクシエラ」だ。

 前子爵の養子。広義には子爵家の令嬢ではあっても、子爵令嬢ではない。

 詭弁だ。そう思えど、王の勅書が求める者ではない。

 言葉を失ったベルツ侯爵を見ても特に卑下することもなく、ルードヴィヒは変わらぬ笑みを見せ、穏やかに話を続けた。

「ヴァルドマン子爵がお探しの方はお亡くなりになっていたと聞いています。アーレは子爵がお探しの方と友人で、その方の最期を見届けたそうです。ロベルト・ヴァルドマン前子爵は大変感謝され、その礼を兼ねて、当家との婚姻に役に立てるならとアーレを養子に迎えてくださったのです。よほど大切な方だったようですね。ベルツ殿が誤解されるのも無理のないことです。恐らくお国に戻られた後、ヴァルドマン子爵からお話があるかと」


 そこへドアをノックする音がした。

「ご来客中、申し訳ありません」

 伝令の者が部屋に入り、王に何かを告げると、王は軽く頷き、立ち上がった。

「失礼、急用が入った。今の話では、探していた者が人違いであったと言うことだな。申し訳ないが、この話はここまでとしたい。アレクシエラ・ヴァルドマンはヴァルドシュタットの保護下にある。我が国で保護する者を無理に連れ出すのであれば、王として守らねばなるまい。心するよう。遠路はるばる大義であった。気をつけて帰られよ」

 王はせわしげに一方的にけりをつけると、客人とガルトナー伯爵を部屋に残し、早々に立ち去った。

 ルードヴィヒは王に深々と頭を下げて退出を待ち、ベルツ侯爵に一礼すると、呆然とするベルツの退出を待つことなく部屋を出た。

 王の立ち会いによる話し合いは、あっけなく終わった。



 ベルツ侯爵は、この後どう画策するかを考えていた。

 はなからルードヴィヒの話など信じてはいなかった。本物のアレクシエラが死に、都合よく同じ名前の養女を取るなど、話が出来過ぎている。

 あれこそが、アレクシエラに違いない。


 王命を受けたのだ。このままただでは帰れない。

 とは言え、一国の王に「保護下」にあると宣言され、他国の伯爵家に擁護されている者を連れ去れば、国家間の問題になるだろう。

 連れ帰れないのであれば、それなりの言い訳も必要だ。次の策も…


 思案しながらゆっくりと廊下を歩いていると

「お久しぶりね、ベルツ伯爵」

 すれ違いざまに声をかけてきたのは、エレオノーラ・ガルトナーだった。

 エレオノーラを見てベルツは一瞬ひるんだが、すぐに作り笑顔を見せた。

「これはこれは、エレオノーラ殿。久しぶりですな。今は侯爵ですよ」

「あら、そうでしたのね。社交界を離れてずいぶん経つものですから」

 ヴァルドシュタットのエレオノーラ・ガルトナーと言えば、かつては誰もが恐れる地獄耳の情報通だったが、引退してずいぶん時間が経ち、自分が侯爵になったことも知らないらしい。もはや脅威ではなくなったのだ、とベルツは嗤笑した。


 エレオノーラは扇で口元を隠しながら、ベルツのそばによると、

「ずいぶんと出世なさいましたわね、一角獣の角を手に入れて」

 そう言うと、にっこりと微笑んで見せた。一見、乙女のような無邪気な笑みに見えたが、口から出た言葉は刃物のようにベルツ胸に鋭く突き刺さった。

「な、何を…言いたいのだ」

「一角獣の角が欲しいばかりに、一角獣のなついた乙女を手にかけたその代償はさぞ大きかったことでしょう?」

 それは謎かけのような言葉ながら、ベルツにはすぐに意味がわかった。

 わかったが故に、何故それをエレオノーラが知っているのか。気付かぬうちに手が震えていた。


 一角獣、アインホルン家を衰退させるために、その土地に繁栄を約束した「ヴァルドマンの魔女」レベッカを屋敷に閉じ込め、世話をする者達に貴族的ではないヴァルドマンのしきたりを否定させた。美しく、清潔に、汚れないよう、土に触れるなどもってのほか。

 たったそれだけのことで、「ヴァルドマンの魔女」は簡単に死んだ。

 王の上の弟は嘆き悲しみ、下の弟は大いに喜び、ベルツに将来の好待遇を約束した。


 「ヴァルドマンの魔女」が公爵に嫁ぎ、公爵領で祈るようになると、公爵領の農地はそれまでの二割増しの収穫を得るようになった。それがやっかみの始まりだった。

 だが、魔女が死んで初めてその祈りが公爵領だけに留まっていたのではないことがわかった。

 国中の大地の恵みが、少しづつ削がれていった。

 魔女の死から六年後、寒い夏がウィンダルを襲った。救う魔女はいなかった。

 ウィンダルではそれまで「ヴァルドマンの魔女」に守られ、干ばつの時も冷害の時も何とか凌ぐことができていた。それが魔女を失ったことで民は飢え、多くの死者を出し、地力を取り戻せないまま二年が経ち、失意のうちに前王は亡くなった。


 今の王が王位に就くと、自分の他にもよりよい領と爵位を与えられた者が何人かいた。

 おそらくアインホルンの死もまた一族の自滅ではなく、企まれたものであっただろうが、誰もそれを問う者はいなかった。あるいは前王の死もわかったものではない。


 前王が隣国の森に隠した姪、魔女の娘が「森の魔女」だと共に暮らしていた者が語り、それがヴァルドマン家に戻ってくるという話を聞き、現王に進言した。地力を取り戻すには、かの魔女の力を利用すればいい、と。

 現王は渋々ではあったが、「ヴァルドマンの魔女」を元アインホルン公爵領に送り、その力を振るわせることに決めた。

 人はいいが凡庸で野心を持たぬ第三王子を監視役とし、命ある間その地で祈らせる。

 大地に実りを与え、国に繁栄をもたらす。そのための「ヴァルドマンの魔女」だ。森に捨てられた者が家を復興し、大きな屋敷に住み、きれいな服を着、働かずともたらふく食って生活できるのだ。文句はないだろう。

 だが。


「まさか、ウィンダルの大地の魔女を王とその家臣が殺したなんてことがわかったら、恨み程度では済まされないでしょうねぇ」

「何の証拠があって」

「証拠? …噂に証拠なんて、必要かしら」


 今さらながらに、気がついた。

 エレオノーラ・ガルトナー。

 魔女かもしれない者を保護する者と同じ、「ガルトナー」だ。


「ああ、そうそう。うちの国の森の中でそちらの国の方々がお暮らしだったのはご存知? 二年前に皆さん急にいなくなった中、一人だけとり残された者がいたけれど、お国を恨みながら死んでいったそうよ。かわいそうに」


 その言葉は真実なのかどうかはわからない。

 だが、これで済ませろ、と言っているのだろう。

 もし、「ヴァルドマンの魔女」レベッカを死に追いやったのが自分だと広まれば、直接手を下したのではないとはいえ、ウィンダルで生きていくことは難しくなる。魔女の死は十三年も前のこととはいえ、以前のような豊かな実りが戻らないことに不満を持っている民も貴族も多い。

 王は「アインホルン」を毛嫌いし、「ヴァルドマンの魔女」にも半信半疑だ。その言い訳でも、深追いしないかもしれない。


「お前はどこまで…」

 エレオノーラは、レベッカのことしか話していない。その娘、アレクシエラのことは何も。生き残ったことも、「森の魔女」ということも。

 ガルトナーが囲った者が森の住人だったかどうかもわからないが、下手なことを話せば、相手に情報を与えるだけだ。知られる必要のない情報を。

「『ヴァルドシュタットの魔女』は健在か」

 魔法を持たないにもかかわらず、長年魔女と呼ばれ続けてきた女は、

「あら、ずいぶんと懐かしい名前ね」

とだけ言って笑みを崩すことなく、かつてと変わらぬ隙を見せない姿でゆっくりとその場を後にした。


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