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33 政略結婚

 アーレは目覚めると、森の自分の家にいた。知らない間に自分のベッドで寝ていて、何やらいい匂いがする。

 起き上がると、隣の部屋にはアルトゥールがいて、鍋で何かを煮込みながら本を読んでいた。そこだけが柔らかい火の光に照らされ、時々聞こえる木の爆ぜる音さえも、いつもより静かに聞こえた。

 外はずいぶん暗くなっていた。

「ああ、起きたか」

 一週間ぶりだというのに、まるでほんの数時間しか経っていないかのような言い方だった。

「お帰りなさい」

「昼寝にしてはよく寝ていたな。寝不足だったのか?」

「…昨日、借りた本が面白くて」

 アルトゥールは軽く頷いて笑った。あまりに熱中して読みふけり、気が付けば空が白み始めていることは自分にもよくあることだった。


「勝手が分からず、スープくらいしかないが…」

 アーレが皿とコップを出すと、二人分を取り分け、皿とスプーンをアーレに渡し、アルトゥール自身はカップによそったスープにそのまま口をつけていた。スープのほかアーレが森に入る前にとっておいた野菜、アルトゥールが今朝通りすがりの町で買ったパンの残りも置かれていた。

 アルトゥールは片手でスープを飲みながら本の続きを読んでいたが、

「ああ、すまない」

と言うと、本を閉じた。

「食事中はやめろと、いつも叱られるんだ」

「素敵。真似したい」

 キラキラ光る目は、本気だった。それほど本を多く持っていないアーレにとって、食べながら読めるようなものはなかった。貴重な借り物の本も食べ物で汚すことはできない。

「あまり悪いことは真似しないでくれ。俺が叱られる」

「じゃあ、一人の時にこっそり試してみる」

 楽しいいたずらを待ち遠しく思うように言われて、アルトゥールは少し苦笑いした。


「明日は…、市が出る日なんだけど…」

「ああ、もうそんな日か。行きたいのか」

「うん。…今日は森で過ごして、明日戻るって言ってはあるのだけど、あなたが戻るかも知れないからできれば戻るようにって。そう言われていたのに、つい寝てしまって」

「こっちに先に寄った俺の読みは当たってたな」

「え、…まだ家に帰ってないの?」

 見ると、部屋の隅に旅に使ったと思われる荷物が置いてあった。

「連絡はしてある。いつも気まぐれに日程を変えるから、さほど心配はされない」

「悪い子なのね」

 そう言われて、アルトゥールはわざと悪びれた笑みを浮かべ

「そうだ。悪い奴なんだ、俺は」

と言った。

 そして突然、こう切り出した。

「すまないが、おまえには政略結婚をしてもらうことになった」

 初め、アーレはその意味がわからなかった。しかし、突然のウィンダル国への出張、急いだようにこの森の家にやってきたこと。アルトゥールが自分のことで動いていたのはわかっていたが、思わぬ展開になったのかもしれない。

 政略結婚。

 自分にどんな利用価値があるのかはわからないが、

「…そう。わかりました」

 そう答えるしかなかった。

「ウィンダル国のヴァルドマン家が、おまえを引き取りたいと言ってきた。前子爵のロベルト殿がおまえを養子に迎える。再来週にはヴァルドシュタットに来て、手続きを終える」

 養子。自分はウィンダルに行く?

「そのまま婚約の手続きも済ませる」

 婚約? そう言えば、政略結婚と言われたところだ。

「だから、ウィンダルに行くことはない。もちろん、行きたければ連れて行くが、…嘘をついたので、長居はできない」

「嘘?」

「おまえは竜に気にいられているので、長く離れると竜が怒ってやばいことになる、と」

「はあ?」

 アーレは話の展開に追いつけず、何が何だかわからなかった。

「あの、…アルトゥール?」

 きょとんとした顔でじっと見られて、アルトゥールは目をそらせた。

「ヴァルドマン家がウィンダルに連れて行きたがるから、…断るのに、それくらいの嘘は許されるだろう。まんざら嘘でもないと思うんだが…」

「その、…ヴァルドマン様は、私のことをご存知なの?」

「…引き取るのは、おまえの母方のじいさんだ」

 突然出た自分の家族の話に、アーレは言葉を失った。

「おまえの名前は、アレクシエラ・ヴァルドマンになる。本当の名前は、アレクシエラ・フォン・アインホルンなんだが、今やアインホルンを名乗る者はいない。おまえの実の父も母も亡くなっている。エッフェンベルガー子爵の奥方は、おまえの母親の姉なんだそうだ。その縁でヴァルドマン家がおまえの存在を知り、引き取るつもりだったらしいんだが…。向こうの国に連れ去られるのも、癪なんで…」

 だんだん語気が弱くなっていく。そらせた目が戻ってこない。

「…身内に会いたいよな。勝手に決めてきて…悪かった」

 そのくせ、口を尖らせた横顔が拗ねているように見える。

「婚約は、どなたと?」

 そう聞いた途端、鋭い目がアーレに向けられた。

「俺とに決まってる」

 何を聞いているんだ、と言わんがばかりの表情には、さっきまでの反省した様子は完全に消えていた。

「庶民のアーレでも別に構いはしない。だが、ヴァルドマン子爵家の令嬢、アレクシエラ・ヴァルドマンなら、その後の横やりがなくなる。別に俺はモテる男じゃないが、俺の家とつながりを持ちたがる奴は山ほどいる。そういう奴らにとって、平民との婚姻は鼻で笑う程度の防御策にしかならない。うちの都合で申し訳ないが、政略結婚で収まったことにしておいてもらいたい」


 突然、アーレが立ち上がり、アルトゥールは戸惑った。

 つい自分が正しいと思ってしまう。その思いのままに強引に事を進める。自分にそういう所があるのは充分承知していても、それを婚姻で進めるのはいかにも貴族的なやり方で、アーレには受け入れ難いに違いない。

 しかし、アーレはアルトゥールのそばに寄ると、椅子に座ったままのアルトゥールを迷うことなく抱きしめた。

「どこか、遠くに行かされてしまうのかと思った…」

 安心したように、ゆっくりと吐き出される息が髪を揺らした。

「そうならないように、頑張った」

 アーレの背中に手を添えながらも、思い出したことに少し不安を覚え、つぶやいた。

「…王子の方が、良かったか?」

「王子?」

「ヴァルドマン子爵がおまえを引き取った後、ウィンダルの第三王子に嫁がせるつもりだと聞いて、その話を潰してきた」

 アーレはアルトゥールを抱きしめる力を強めた。

「潰さなかったら、怒ってた。だって、私、ちゃんと答えたもの。あなたの望むまま、シンプルに…」

 椅子に座ったアルトゥールを見下ろし、そのままアーレからアルトゥールに唇を重ねた。

 ほんのわずかに触れただけだったが、アルトゥールには充分な報酬だった。


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