25 大地の魔女
翌日、ゆっくりとした速度で馬車を走らせ、アルトゥールはアーレを連れて王城の城下町まで戻った。
アーレが森に帰りたがっているのはわかっていたが、まだ一人にするには不安があったので、アルトゥールは自分の家に連れて帰ることにした。後で必ず森に連れて行く、と約束をして。
家の者はアルトゥールが誘拐事件で連れ去られた者を救出に行くことは知っていた。また、旅先から客を連れて帰ると連絡は受けていた。
しかし、それが若い女性であるとは想像もしていなかった。
婚約者を見繕おうにも愛想を振るどころか会話を続けることもできず、ようやくしゃべったかと思えば容赦ない口調で相手を怯えさせる男。恋人の気配など見せたこともなかった。
それが突然妙齢の女性を腕に抱え、家に入ってきたので、ガルトナー家はちょっとした騒ぎになっていた。
「病人だ。客間は使えるか」
「す、すぐお入りいただけます」
用意周到な執事も、部屋の準備は万全だったが、心の準備不足で多少出遅れた。しかしその後の対応は早かった。
いつも奥方の世話をしている侍女が呼ばれ、衣服の調達、医者の手配、体調の聞き取り、食事の手配が滞りなく行われた。
到着から二時間後にはアーレは体を清められ、清潔な衣服をまとい、町の宿泊所より遙かに寝心地の良い寝台の上で眠りについていた。
アルトゥールはアーレの様子を確認すると、自分の着替えを済ませ、一時間もしないうちに再び出かけた。
王城やエッフェンベルガー子爵へは先に手紙で報告をしていたが、王城につくと警備隊長に呼ばれ、アーレの事件について追加の報告をした。誘拐事件の進捗も確認した。
続いて農場の食材の育成具合の報告を受け、王子の結婚式の物品の確認。今は外れている衛士の仕事も回ってきている。会議資料に、報告案件。書類を片付けているとちょっと手伝えと呼ばれて荷物運びの雑用をこなす。
積まれている書類に何かの統計だの支払い請求だの、自分に関係のないものが紛れ込んでいた。よけていけば半分は人の仕事だ。とっとと突き返す。
途中、エッフェンベルガー子爵の使いが来て、訪問しての報告の依頼があった。遅い時間だったので、明日の午前中に訪問すると伝えた。
溜まった仕事をさばきながら、今日の分の薬のことを忘れていたと気がついた。正しい「煎じる」方法をアーレに聞こうと思っていたのに、それも忘れていた。家まで帰れば何とでもなると思っていた油断だった。
口の中にあの凶暴なまでにまずい味が蘇る。と同時に、その後のご褒美のような柔らかい感触も思い出して、思考が止まった。
照れる気持ちを溜め息でごまかし、明日も追加で休みをとるために仕事を続けた。
軽く仮眠をしてからエッフェンベルガー子爵邸を訪ねた。アルトゥールの顔を見ると挨拶もそこそこに
「アーレは無事かね?」
と尋ねてきた。
「今、我が家で療養しています。いただいた葉のおかげで意識も取り戻しました。まだしびれは残るようですが、順調に回復しています」
「やはり、あの薬を使ったのか…。あの連中はどうしようもないな」
子爵は両足を揃えて立ち直すと、
「改めて礼を言う。アーレを救ってくれて、感謝する」
そう言って、深々と頭を下げた。
「礼を言われることではありません。私が自分の意思で助けに行ったのですから」
「だからこそ、だ」
子爵からは、初めて会った日の、できるだけアーレから遠ざかるように言ったあの品定めをするような態度はなくなっていた。
「君はウィンダル国のヴァルドマン家を知っているかね?」
「いえ…。勉強不足ですみません」
「秘められた家だからね。表向きは下級子爵家だ」
表向き、と言う言葉に真意があった。
「ヴァルドマン家には、時々大地の魔女が出るんだよ」
「大地の…魔女?」
子爵がこれから話そうとしていることが察せられた。それはアーレのことだ。
「ヴァルドマン家は大地の魔法を持つ家系だ。それも女性だけが。私の妻もヴァルドマンの魔女だった」
過去形で語られる妻。今、この家に女主人はいない。
「大地に力を放ち、地力を上げる。土は潤い、実りをもたらすその力は強大だ。だが、力は与えすぎても枯渇し、放たなくても滞留し、やがて命に関わる。大地の魔女は皆、短命だ。私の妻は四十まで生きられず、アーレの母、レベッカはあの子を産んで四年で亡くなった。まだ二十三才だった」
ウィンダルの貴族名鑑にあった、アインホルン家の二人目の妻は、誘拐事件の一年前に亡くなっていた。あれがアーレの母だったのだ。
「レベッカは私の妻の妹でね。元々丈夫な方ではなかったんだが、アーレが生まれた後、レベッカはさらに体調を崩しがちだったらしい。アインホルン家の者は療養のために部屋で大事に過ごさせたらしいが、そのために大地との接点をなくし、魔力を体にため込みすぎて早逝したと聞いたよ。私はヴァルドマン子爵から大地の魔女のことを聞き、充分注意して魔力を調整していたのだが、それでも妻と共に過ごせたのは二十年に及ばなかった。流行病にかかり、最期は魔力の調整もうまくいかなくなった」
「そのこと、アーレには話してませんよね」
町の中でミュラー一家と会った後、アーレは「自分は魔女ではない」と言って泣いていた。それは、自分を特別扱いし、突き放した者達への嘆きだったが、同時に自分の力をわかっていないことを示していた。
「話した方がいい。話すべきだと思います。…彼女は、杖を持っている」
「杖?」
「森の主にもらったと聞きました。アーレは自分に力があることを知らない。でも杖を使えば、大地に力を放てる。…そうか。そういうことか」
フリッツ・ミュラーから聞いた「森の女神」の話が、どうもひっかかっていた。
教団の眉唾物の薬のせいではない。アーレは「ヴァルドマン」だから「森の魔女」なのだ。生まれながらの「大地の魔女」。だから森の主はアーレに自分の枝を託した。森を守るように。自分に代わり、次の主が現れるまで森に力を貸してくれるように。そしてそれは、巡ってアーレの命を助けることにもなる。
鍬に仕組まれた杖は、耕す時に大地に力を流し、放出の仕方を知らないアーレに魔力を滞留させない。
洞窟に竜が住み、魔法石がもてはやされることになると、魔法の実は収穫を気にせず育てれば良くなった。小さな畑で必要な分だけ。売るために大量の実をつける必要はない。過剰な力を放出する必要はなくなった。
時々まじないと称して放つ力で、より広範囲に大地の魔法が広がり、周囲は潤う。それは耕すだけでは足りない力の放出を補っているのかもしれない。
アルトゥールは、森の主がくれたものは、森の魔女の力と大地をつなぐ「回路」だと予想した。
「ありがとうございます。重要なことが聞けた。…私は彼女を早死にさせるようなことは、絶対阻止します」
自信を持って答えるその姿勢に、子爵は思わず声を上げて笑った。
「そうかそうか。君は既にある程度、ヒントを得ていたか」
そして、満足そうに頷きながら、
「それでは、ヴァルドマン家があの子を引き取ろうとしているとしたら、どうするかね?」
と、けしかけた。
それは、今日、子爵がアルトゥールを呼んだ本当の目的だった。
アルトゥールの答えは決まっていた。
「十二年も放っといて、今さら保護者面する奴なんて信用できません。貴族を名乗るなら、その気になればアーレのことを調べがつかない訳はないでしょう」
あまりにストレートな物言いに、子爵も苦笑いするしかなかった。
「それは耳が痛いね。私も十年もの間、あの子は死んだと思っていたクチだ」
「アーレが『ヴァルドマン』の力を持っていると知って、引き取ろうというなら、同じ家門であってもあの子を守れるとは限らない。一族だからこそ、利用するだけ利用して早死にさせることもあるでしょう。信用できるかは、確かめなければ」
そう言いながらも、アルトゥールは悪いことをひらめいて笑みを浮かべた。
「名前だけ引き取ってもらえるなら、願ってもないんだが…」
「…なるほど。だが、それには本人の意思を確認してもらいたいものだな」
子爵もアルトゥールの企みの意味に気づき、悪い笑みを見せた。
「当然です。何よりも、アーレの意向を優先することを約束します」
アルトゥールは深々と頭を下げ、子爵邸を出た。