②
光の濃淡だけで作られた世界。
色彩の華やぎのない世界。
それが今の僕の世界だ。
正確に言うのなら、色を感じない。
信号の色の区別はつくし、花の色だってわかる。
もし色覚検査をしたとしても、『異常なし』と判定されるだろう。
当然、日常生活に支障はない。
だけど、わかるのと感じるのとは明らかに違う。
僕の感覚とすれば、『世界に色がない』と表現するしかない。
目に映るのはさながら、白黒フィルムで撮影されたかのような静かな風景。
そしてその中にいるのは、熱もにおいも感じられない人間の群れだ。
別の表現をするのなら。
自分と現実の間に透明な何かがあるような感覚、暗い廊下から水槽の向こうで泳ぐ魚を見ているような感覚……かもしれない。
目の前の現実に、切実だったり生々しかったりの現実感はあまりない。
現実感がないから、感情も動かない。
そういえば学生の頃、神崎はよく出来たアンドロイドみたいな男だと陰でささやかれていたらしい。
自分でもそう思わなくないから、苦笑いをするしかなかった。
虚しいけれど安らかな世界。
喜びはないけれど絶望もない世界。
そうあれと願ったあの日、この死にも似た静謐を手に入れられたことが、僕は心底嬉しかった。
その頃の僕を脅かした大半が、この静謐に押しつぶされて消えるだろうから。
もう一度ベッドに戻り、のろのろと寝転がる。
窓に立てかけたイーゼルをぼんやり見た。
このイーゼルは二年前、僕の就職先が決まるのを待っていたかのように息を引き取った、父の形見だ。
父は元々、身体が丈夫な方ではなかった。
僕の記憶にある父は大体、アトリエで絵を描いているか疲れて横になっているか、そのどちらかだ。
どちらであっても僕が学校から帰ると出迎え、お帰りとほほ笑んでくれた。
母以上に母親の役割を担っていたのだと、父が亡くなって初めて僕は知った。
そして彼は、先代の『月の鏡』でもあった。
僕は特殊な血筋の末裔らしい。
月夜見命……日本神話でほとんど語られることのない、月の神を氏神に持つ血筋なのだ、と。
その話が本当かどうかは、どうでもいい。
ただ、血筋に現れる特殊な能力、これは確かに代々受け継がれてきた現実だ。
他人の心を見聞き出来る『幻視』『幻聴』。
他人の夢を覗き見る『夢の共鳴』。
そして……他人の心の痛みに剣を突き刺すようにして追い込む『呪』。
忌まわしい能力だ。
どう言い繕っても忌まわしい。
隠している本音、自分でさえ目を背けて上手に隠しているあれこれを、僕の血筋の者は無造作に暴いてしまう。
暴かれた者は当然傷付くが、暴いてしまうこちらも少なからず傷を負う。
人の心など、自分でも曖昧なくらいでちょうどいい。
確かに、場合によっては暴いてはっきりさせた方が良いが、暴かず眠らせておいた方がずっと良い場合も少なくない。
どちらがいいかなど、時と場合と人による。
なのに僕の血筋の者は、知らず知らずに他人の心を暴いてしまう。
見えてしまう。聞こえてしまう。そうなると無視はできない。
意図して見聞きするのではない。
勝手に見聞きしてしまうのだ。
『神鏡』と呼ばれるほどの高い能力者であっても(いや、高い能力者であるが故)、なだれ込んでくる他人の心に振り回されなくなるのは、心身ともに大人にならなければ難しい。
難しい、と、僕は父から教わった。
見える聞こえるものを、完全にないものとして受け流すのは難しい。
特に幼少期や少年期には。
月の神の能力を受け継いだ者は、まず何よりも自分の心を、強く健やかに育てる必要があると、僕は幼い頃からくり返し聞かされてきた。
だが、その意味を僕が本当に理解できたのは、中学二年生になってからだった。