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 鋭い胸の痛み。

 ハッと目を覚まし、しばらくして寝返りを打つ。

 心臓が経験がないくらい早く打っていた。

 全身に冷や汗をにじませながら、僕は静かに呼吸をくり返した。



 夕闇が迫っていた。

 気合を入れた大掃除と買い出しに疲れ、三時過ぎにちょっとのつもりでベッドへ入り……思いがけず眠り込んでしまったらしい。


(夢、か……)


 夢であって夢ではない、月の氏族の者が見る夢。

 だが、それはやはり夢なのだ。



 断片は鮮やかに残っている。

 イメージは強烈に頭に刻まれている。

 だけど彼女の顔はおぼろだ。

 思いがけないくらい幼さの残る表情をしていた、くらいしか、記憶として残っていない。


(……仕方がないけど)


 夢なんてそんなもの。

 出てきた者が知り合いならば、もっとしっかり記憶に残るだろうが、今現時点でリアルに出会っていない人との、夢での記憶を保持するのは難しい。

 ひょっとすると、もっと能力の高い者なら的確でしっかりとしたビジュアルを持ったまま、うつつへ帰って来れるかもしれないけれど。


(それこそ『神鏡』レベルの能力者だろうな、そんなことが出来るのは。父さんでさえ、そこまでは無理だと言っていたし)


 思いながらそろそろと身を起こす。

 猛然と煙草が吸いたくなってきたので、煙草とライター、携帯灰皿を手に部屋を出る。


 父の呼吸器系が弱かったのもあって、僕は家の中で煙草を吸わないようにしていた。

 外か、自宅で吸いたくなったら庭で吸う。

 もう煙で困る人は室内にいないのだけど、一度ついた習慣は変わらないものだ。


 ……変えたくない、のかもしれない。



 庭に出て、思わず僕は息を呑む。

 秋によくある、激しい、緋とも紅とも言えそうな夕陽が西の空の低い位置を焼いていた。

 彼女の衣装に刺された、アラベスク模様を思わせる赤の刺繍糸のような。


 気付くと何故か泣いていた。

 父が死んだ時でさえ、ろくに泣けなかったこの僕が。

 胸を射るような夕陽の赤に、意味もわからず僕は泣いていた。


 ひとしきり泣いた後、なんだか照れ臭くなった。ごまかすように僕は、煙草を取り出してくわえ、火をつけた。

 深く吸い込み、吐き出す。そして広がる紫煙の向こうを何気なく、透かし見た。


 つるべ落としの秋の陽は、すでに地平線の下だった。



 それから後。

 僕はしばらく、自室で絵を描いて暮らした。

 炊事や掃除などを真面目にこなし、残った時間に机へ向かっては、落書きのようなイラストを描いた。

 あの夢の最後で、僕を励ましてくれた少年勇者が誰だったか、夕映えの中で泣いた後に思い出した。

 自室へ帰り、本棚の隅で眠っていたあかがね色の表紙の分厚い児童書を取り出した。

 小学生時代から何度も読んだ、仕掛けというかたくらみのある深いお話。

 何度もキャラクターのイラストを描いた作品でもある。


 ページを繰っているうちに、子供の頃の楽しい『お絵描き』の感覚を思い出してきた。

 『お絵描き』は楽しかったんだ、という感覚を、僕はずいぶんと久しぶりに思い出した。

 紙に線を引く。色をぬる。

 それはそもそも、とても楽しい遊びだったのだ、と。



 食事を作り、時間が合えば母と一緒に食べるようにもなった。

 あの日、オニオングラタンスープをひとさじ口に運んで涙ぐんでいた母に、気付かないふりで黙々と僕は、うつむいてスープを食べた。

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