⑬
夢を見ている。
エキゾチックな踊り子が死んだ男を悼みつつ、一縷の望みを託して彼の魂を暗黒から呼び戻す舞を舞っている、例の切なくも美しい夢だ。
ここ最近、どういう訳か頻繁にこの夢を見るなと思いながら、僕は無意識で胸ポケットを探り、煙草を取り出して火をつけ、煙を肺まで吸い込んでからハッとする。
いつもと違い、高校生ではなかった。
普段よく着ている綿シャツにチノパンを身に着けていて、胸ポケットには煙草とライターが入っていたのだ。
劇場の観客席は火気厳禁、煙草を吸うなんて常識外れだとひやりとしたと同時に、いやここは夢の中だと思い直す。
夢の中で常識なんかに意味はない。
再び煙を肺に入れ、ゆっくり吐き出しながら僕は、椅子の背もたれに身を預けた。
僕しかいない観客席で、ぼんやりと紫煙をくゆらす。
昔の特急列車の座席のように、座っている椅子のひじ掛けに灰皿が内蔵されている。
何故かそれを知っていて、僕はひじ掛けから静かに灰皿を引き出し、二本三本と立て続けに煙草を吸った。
舞い続ける彼女。
彼女の動きに合わせ、華やかな刺繍もゆれる。
青・赤・黄がゆうらりと、どこかなまめかしく舞台でうねる。
青・赤・黄。
三原色かとふと思い、苦く笑う。
皮肉だ。
色を失くした僕が夢の中で、三原色を身にまとった踊り子を気にかけている。
決して手が届かない、生きた色彩。
その象徴が彼女なのだろう。
(……だから、この恋は叶うことがない)
心でつぶやき、ぎょっとする。
恋?恋だって?何だそれは。
人の感情がわからない奴だと言われ続けた、この僕が、恋?
(馬鹿馬鹿しい!)
フィルターをきつく噛み、胸の中で吐き捨てる。
学生の頃、同級生の女の子と付き合った経験がある。
いい子だったし、好きだった。
だけどその『好き』が友情とどこが違うのかと言われると、僕は未だに明確にわからない。
彼女と抱き合うのはくすぐったいような喜びがあったし、彼女以外の人とそういうことをするつもりになれなかった。
だから彼女は、僕の『特別』だった。
でも、彼女が僕に求めた『特別』と、僕が彼女に持っていた『特別』はすれ違い続け……結局彼女は去った。
僕は恋人を持ってはいけない男なのだと、その時に思い知った。
『感じる』ことを切り離し、人間らしい心の営みを捨てた者が、人並みの幸せなど得る資格はない。
そこをきちんとわきまえなかったせいで、僕は、結果的に彼女を深く傷付けてしまった。
もうあんなことを繰り返してはならないし、僕自身も繰り返したくない。
新しい煙草に火をつけ、深く煙を吸った。
暗がりの中で煙草の先が、かすかな音を立てて赤く輝く。
舞はそろそろ終わるタイミングだ。
もうしばらくすると踊り子は僕に気付き、大きく目を見開いて何か言う。
多分だが、名を呼んでいるのだろう。
僕が、彼女の待ち人に見えるのかもしれない。
そしてそこで夢は途切れる。
目覚めると瞬くうちにすべてが曖昧になる、儚い夢。
すさまじい喪失感だけが、突き立てられたナイフのように胸に残る夢。
……いつも。いつもいつも。
(嫌だ)
初めて明確に思った。
(嫌だ、もう嫌だ!)
決して戻らぬ男を待ち続けている彼女を、ただぼんやりと見ている自分。
言え。今日こそ言え。
もう待つな、と。君は次に進むべきだ、と。
余計なお世話なのはわかっている。
憎まれてもいい。
でも、ここに僕がいることに意味があるのなら、きっと、彼女の不毛な努力を止める為にいるのだろう。
そう、この夢はただの夢ではない。
誰かが見ている夢なのだ。
過去か未来かわからないが、僕自身もしくは月の氏族に深く関わる誰かの。
『他人の心に関わる限り、自分の命を張ると思え』
父の言葉が脳裏をよぎる。
たじろぐ部分が皆無とは言えないが、このまま傍観しているつもりはない。
もう一度深く煙を吸い込み、灰皿の中へ煙草をねじ込む。
背筋を伸ばし、僕は改めて彼女を見つめる。
いつもと同じように彼女はふと、観客席の一角……つまり僕に気付く。
驚愕の表情。
思わず僕は立ち上がる。
彼女の彩られた紅い唇が動く。
『先輩!』……と。




