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『月の別館~『月の末裔』からこぼれ落ちたものあれこれと、いただきものなど』(N6889FX)内で連載していたものに少し手を入れ、独立した連載小説としてあげます。
内容はまったく変わりませんが、こちらの方が読みやすいと思います。
僕は夢を見る。
とても綺麗でとても切ない、同じ夢を。
夢の中で僕は、真っ暗な客席のひとつに座っている。
僕の周りに人の気配はないが、ここが中規模程度の会館で、ちらほら、他に観客がいるらしいことはなんとなくわかる。
そしてどうやら、僕は高校生らしかった。
高校時代の制服を着ているのだ。
暗いからちゃんと見えはしないが、肩まわりが窮屈な着心地や、襟元からただよってくる布地のにおいなどでそれがわかる。
当時は鬱陶しかったそれらが、なんとなく懐かしい。
懐かしい、と僕は思い、ああこれは夢なんだと思う。
感じとして、学校の芸術鑑賞会か何かでここへ来ている……とでもいうところだろうか?
半ば義務で、僕は大人しく座って舞台の方へ顔を向けていた。
ブザーが鳴り、緞帳が上がる。
中央アジア、あるいはもしかすると中東のものかもしれない、日本であまり馴染みのないリズムの、エキゾチックな音楽が静かに流れ……舞台中央に、鋭くピンスポットが当たる。
青・赤・黄の糸で華やかな刺繍を施された、柔らかな黒の衣装をまとった踊り子が、ピンスポットの中で右腕を額の辺りまで上げ、左手を腰に沿えたポーズで静止していた。
重そうなまでに豊かな漆黒の髪を結い上げ、意志の強そうな太い眉も漆黒。
赤を差したまなじり。アイラインを引いて強調されているようでもないのに、かっきりとした二重まぶたが印象的な踊り子だ。
魔法の呪文にも似た異国の言葉の歌が、ゆるやかに流れる。
『我は思う。何故君か?君は思う。何故我か?幾度も重ねる答えのない問い。重ねれどすれ違う手と思い。会わぬ方が幸せだったか?否。君なくば我の世界に色彩はなし。君なくば我の世界に音色はなし……』
異国の言葉なのに、歌詞の意味が何故かわかる。
踊り子は緩やかに舞う。
低く腰を落とし、しなやかに腕をくねらせ、ゆったりと舞う。
指先を飾る長いつけ爪。
時折、彼女はピンスポットの向こうへ目をやる。
虚ろな目の色に、その先に彼女の待ち人はいないのがわかる。
決して来る筈のない待ち人を、彼女は待っているのだ。
僕は思い、切なくなる。
誰も彼女の待ち人の代わりにならないのに……その人はもういない。
彼女をこの孤独な舞台に置き去りにして、去った男。
去ったのはおそらく紺碧の空の果て、色彩も音色もない世界だ。
(……もう待つな。待たなくていい!)
僕は膝の上で硬く拳を握り、心で叫ぶ。
待ってもそいつは戻らない。いや、戻りたくても戻れない。
彼女だってそんなことわかっている。
でも。
待つしか彼女は出来ないのだ。
あきらめることも忘れることも拒み、舞台に立ち続ける彼女。
奇跡を呼ぶと伝えられる、太古から伝わる舞を舞いながら。
ふと、僕と彼女の目が合う。
驚いたように見開かれる目。
彼女の赤い唇が動く……。
そしていつも、そこで目が覚める。
いつも。
うつつの光の中ですべてはぼやけ、彼女の顔すら瞬くうちに曖昧になる。
そしてすさまじい喪失感だけが、突き立てられたナイフのように胸に残る。
……いつも。
のろのろと僕は身体を起こす。そろそろ起きる時間らしい。
秋も深まり日が短くなってきているが、外はすでにほんのり明るい。
ベッドのそばの机には、広げたままのデザイン画の下書きがいくつか、反故紙と一緒に無造作に散らばっている。
寝る前と同じだ。
『君のデザインには色がない』
師の言葉が耳に響く。
『君の無機質なまでの機能性は、たとえるならモノクロだ。無駄がなくて美しい。そこが君の良さだが、同時に限界でもあるんだよ。機能の中にある遊びというかぬくもりというか……いや。やはり色だろうな。君の色を見つけなさい』
僕が途方にくれる顔をしていたのだろう、師は困ったように目許にしわをよせ、微かに笑んだ。
『もちろん、単にカラフルにしろという意味じゃないよ。……わかっているね』
言葉の意味はわかる。
だけどどうすればいいのかがわからない。
(いや……)
多分、わからない訳じゃない。
僕はあの日、色を捨てた。
自分の心を守る為に。
(……父さん)
窓のそばに立てかけた、たたんだ古いイーゼルを見る。
窓の桟と同化し、そこにあるのが当然のようにある、木を組み合わせたソレ。
絵具なのか手垢なのか、あるいはこびりついた埃のなれの果てなのか、そこここが黒ずんでいる。
(父さん。いよいよ限界が来たみたいだよ)
重いため息をつき、僕はベッドを下りた。
なんとなく部屋を見渡す。
明るくなり始めた部屋。
光の濃淡のみで形作られた世界。
色彩がわからない訳ではない。
感じ取れないだけだ。
感情と視界を切り離したあの日以来、僕の視界はモノクロになった。
背筋を伸ばし、呼吸を調える。
「……我は月夜見命の末裔に連なる月の鏡、神崎 真言なり」
もう一度大きく息をつき、僕は続ける。
「真の言の葉を語り、言の葉を真にする者であれかしと名付けられし者なり。我が真名において命じる」
虚しさに心が萎えるが、きつく目を閉じ、下腹に力を込めて言葉……いや。
『言霊』にして、僕は言う。
「色よ我へ戻れ……!」
おそるおそるまぶたを開ける。
視界に、特に何も変化はない。