冬を奪っていたもの
息を整えた女の子は腰をかがめると、地面に膝をついたままの青年に問いかけます。
「あの、大丈夫?」
「……ああ。体はもう何ともないよ」
どこかスッキリしたような表情で答えて、少し申し訳なさそうに顔を曇らせました。
「こっちこそごめんね。ひどいことしちゃって」
優しく微笑んで首を横に振ると、続けて質問します。
「あなたたちも『冬の女王』を知ってるんだよね?」
ゆっくりと体勢をあぐらに移しながら、青年は首を縦に振ります。
「彼女はこの奥にいるよ。もうすぐそこだ」
けど、とためらうように言いよどんでから言葉を次ぎます。
「君たちに止められるかは分からない。詳しくは知らないけど、とても強い力を手に入れようとしてるみたいだ」
「『冬』と『同調』するのよ」
青年のセリフを継いだのは風の妖精の一人でした。
「……『同調』?」
氷の妖精の疑問に、風の妖精は説明を続けます。
「『冬の女王』は自分の『ゲート』を『冬』と似たものに作り替えることで、自分の『ゲート』と『冬』を合体させようとしているの」
「そんなことが……?」
「出来るんだって」
思わずこぼれた言葉に反応して、別の風の妖精が口を開きました。
「方法までは分かんないけど、もうすぐ完成だって言ってたわ」
氷の妖精は驚きのあまり、言葉を失いました。
奪われた『冬』は『冬の女王』一人にだけエネルギーを供給する『ゲート』に変えられようとしていたのです。
いつもなら氷や雪の妖精、精霊たちにエネルギーを与えている『冬』が、たった一人の物になってしまったとしたら。『冬の女王』はとんでもない量のエネルギーを扱えることになっていまいます。もしもそんなことになったら、もう誰にも彼女を止めることは出来ないでしょう。
「じゃあ、急ごう!」
希望が薄れ、暗くなりつつあった空気を振り払ったのは、女の子の声でした。
その場の誰もが驚いたように顔を上げました。
女の子の言葉に初めに続いたのは、氷の妖精です。
「うん。そうだね、何としても取り返さないと」
風の妖精も、あきれたように苦笑いしました。
「本当にあんたたちは引くほど諦めが悪いわね」
「だって、何もかも終わっちゃうのは嫌だから」
女の子は笑って答えます。
「私にはまだ、見てみたい世界がいっぱいあるから。見てみたい未来が、たくさんあるから」
*
林の奥に進むほどに、忘れかけていた冬を思い出させるような冷たい空気が肌にまとわりついてきます。
それは『冬の女王』に近づいていることの何よりの証拠のように思えました。
「寒い……」
「大丈夫」
震える女の子を氷の妖精が冷気のバリアで守りますが、吐く息すらも凍り付きそうな冷気の前ではそれも完全とは言えません。
それでもただ、約束と意志に突き動かされるように、冷たくなっていく指先をこすり合わせながらも前に進んでいきます。
パキリ、と積もった落ち葉に降りた霜を踏んだ音に気付いたのか、どこからともなく声が降り落ちました。
「……侵入者か。まったく、外の者たちは使えないやつばかりのようだ」
声のする方へ視線を向けると、小さな氷の山がありました。その頂上から上半身をのぞかせる女性が声の主のようでした。
雪よりも白い肌。氷のように透き通った青い瞳。冷たさや鋭ささえ感じさせる美しく長い銀髪。
氷の塊に身を包んだその姿は、巨大な氷のドレスをまとっているかのようでもあり、氷の鎖に囚われているかのようでもありました。
初めからそこにいたかのような存在感で、いつの間にか目の前に現れた女性は凍り付くような視線でふたりを見下ろして、冷たく言い放ちます。
「だが、もう遅い。すでに事は成った」
「まさか……!?」
「私の『ゲート』と『冬』は完全に一つとなった」
間に合わなかった、そんな思いが氷の妖精の動きを止めます。
しかし、その状況でもなお。
「返してよ」
前へと足を踏み出す女の子の姿がありました。
「『冬』を返して。困る人がたくさんいるの。私だって困るの!だから返してっ!」
「小娘が」
ス、と差し出された指の先から生み出された氷の破片が女の子に向かって真っすぐ飛んできます。
「危ない!」
間に飛び込んだ氷の妖精がバリアで女の子を守りました。
その妖精に女の子は尋ねます。
「『冬』をあの人から取り戻すにはどうしたらいい?」
「そんな方法があるのか、わからない。けど……」
わずかに迷ったような素振りを見せましたが、ほんの少しでも可能性があるのなら、と言葉を続けます。
「彼女は自分の『ゲート』を『冬』に近づけることで『同調』してるって話だった。『ゲート』に干渉することで、その『同調』に影響を与えられるかもしれない」
女の子はうなずきましたが、話はそう簡単ではありません。
相手の『ゲート』にエネルギーを送るには、直接体にさわる必要があるのですから。
目の前の相手がやすやすとそれを許してくれるとは思えません。
ヒュンッ!
またもう一歩前に出ようとした女の子の足元に、長く鋭利なツララが突き刺さります。
とっさに足を後ろに引いていなければ、妖精の力で守られているとはいえただでは済まなかったでしょう。
「近づくな。ここで退くのなら、まだ許してやる。大人しく帰れ」
「やだよ」
「……何?」
「嫌だよ!私は帰らない!」
むきになったような叫び声に、『女王』はいぶかしむような表情を浮かべます。
「なぜだ。なぜそこまで強情になる?自分自身の身すら危険にさらされるというのに」
「……だって」
寒さに唇を震わせながらも、一言一言、着実に言葉を生み出していきます。
「だって、あなた。なんだか凄く悲しそうだもん。このまま、一人にして帰れないよ」
「ッ……!」
触れられたくないものに触れられたかのように、『冬の女王』は腕で自分の体をかばいました。
同時に冷たい吹雪が女の子たちを吹き付けます。
「余計なお世話だ。私は、この力でようやく……何者かになれるんだ」
妖精が女の子を守りますが、ますます強くなる吹雪に、前に進むどころかまともに相手を見ることもままなりません。
「消えろ」
声とともに何本ものツララが降り注ぎます。
すでに冷気から女の子を守るために力を使っている妖精には、それを防ぐ手はありません。
無駄だとわかりながらも女の子は腕を顔の前で交差させて身を守る姿勢を取りました。
「ごめんね。僕が巻き込んでしまったせいで」
そんな声すらもかき消してしまうほどの轟音。
殺到した氷の塊が女の子を体を飲み込んだ……わけではありませんでした。
女の子の体には傷一つなく、今にも振り落ちようとしていたツララは跡形もなくなっています。
「ったく、世話が焼けんなぁ」
その声に振り向くと、真っ赤な少年の姿が目に入りました。
彼の放った炎がツララを溶かし、女の子を守ったのです。
「どうして……っ?」
炎の精霊の様子は、女の子たちの邪魔をするために追いかけてきた、という風には見えません。
「おいおい、話がちげぇだろ『冬の女王』ぉ?てめぇが『冬』を消してくれるって言うから俺は協力してたんだぜ?」
「一時的にちゃんと無くなっているだろう?まぁ、すぐに私の支配する『永遠の冬』に覆われることになるがな」
「んなこったろうと思ったよ」
そこで炎の精霊は女の子に視線を向けます。
「つーわけで、俺も世界が終わっちまうのは困るんでね。こっちにつくことにした」
そんで、と言葉を切って後ろを振り返ります。
「こいつらは手土産だ」
炎の精霊の後ろから、いくつもの青白い光や人影が現れました。
そこにいたのは氷や雪の妖精、そして精霊たちでした。