ただの気まぐれ
「『冬』を返してくれるね?」
大きな池の一部を覆う氷から顔だけを出した炎の精霊に、氷の妖精は声を投げかけました。
対して精霊は首を横に振ります。
「それは出来ねぇな」
「……どうして?」
不安げに問いかけた女の子に炎の精霊は続けて答えます。
「『冬』を奪ったのは俺じゃねぇ。『冬の女王』だのと名乗ってる精霊だ。あいつに従えば『冬』を無くしてくれるって言うから、言われた通り、『冬』を奪い返しに来る奴を邪魔してたんだよ」
つまらなそうに言い捨てると、背後を顎で示して、
「『あいつ』はこの向こうにいる。池の水を全部凍らせりゃ、まっすぐ行けんだろ」
「そうしたい所なんだけど、僕の力じゃこの池全部を凍らせることはできないんだ」
答えた妖精は足元を見やって続けます。
「この氷を保っているだけでやっとなんだ」
今、炎の精霊を閉じ込めている氷だけでは、池の真ん中までもたどり着くことはできません。
「エネルギーが足りないなら、もっと『ゲート』から引き出してもいいんだよ?」
「そういうことじゃないんだ。そもそも、僕にはそれだけのエネルギーを扱うことが出来なんだよ」
「そうなの?」
ふたりの会話に炎の精霊が口をはさみます。
「『ゲート』ってのはエネルギーを引き出すだけのもんだ。妖精はそれを自分の中にためておいて、エネルギーを使う。ま、『ゲート』が蛇口で、出てきた水をためとくバケツが妖精ってとこだな」
妖精はその言葉に同意して、言葉を継ぎます。
「だから、僕がためて置ける以上のエネルギーを使うことはそもそも出来ないんだ」
「エネルギーをためないで、直接は使えないの?」
女の子が尋ねたイメージとしては、蛇口からバケツに水を汲むのではなく、ホースをつないで水をまくようなものでしょうか。確かにそれなら妖精の『容量』は関係なさそうです。
「できないわけじゃないけど、一度に引き出せるエネルギーの量は『ゲート』の大きさに依存するんだ。それを超える量のエネルギーを無理に『ゲート』に流すと、最悪の場合は壊れてしまうんだよ」
そのため、大きなエネルギーを使うには一度引き出してためておく必要がある、という事のようです。
「ごめんね、私が小さいから」
「ううん、人間の『ゲート』の大きさにはある程度限界があるから、それは仕方ないよ」
申し訳なさそうにする女の子に、妖精はとりつくろうような言葉を投げかけました。
「ったく、しゃあねぇな」
そんなふたりの様子にため息をついた精霊はこんな提案をします。
「俺の力を貸してやるよ」
突然の申し出に女の子は首をかしげました。
「てめぇの『ゲート』から引き出したエネルギーを一度俺の中にためといてやる。そこの妖精よりは『容量』がでけぇからな。妖精はそのエネルギーを使って池を凍らせればいい」
「そんなことが出来るの?」
その疑問に答えたのは氷の妖精です。
「精霊は妖精と違って『ゲート』を持っているからね。それを使えば、確かにできるけど」
今の彼にエネルギーを渡すのは賛成できないな、と付け足すように言いました。
「言ったろ?もう争うつもりはねぇって。少しは信用しろよ」
女の子は少しの間、妖精と精霊を見比べるようにしていましたが、
「わかった。せいれいさんを信じるよ」
「でも……」
「大丈夫、この人は悪い人じゃないよ」
一度は止めた妖精でしたが、女の子がそう言うならと身を退きました。
「よし、話は決まったな。なら手を貸せ」
言って、炎の精霊は氷の中から右腕を引き出して女の子に差し出します。
「出られたんだ」
「当たり前だ。妖精と精霊じゃ、そのくらい力の差があるんだよ」
少し驚きながらも、女の子はその手を取りました。
「そのままエネルギーを俺に送れ」
「うん」
うなずいて、自分の『ゲート』から引き出したエネルギーを、精霊の『ゲート』を介して彼の中に流し込み始めました。
少ししてから精霊は妖精に声を掛けます。
「こんなもんでいいだろ。おい、妖精」
「わかった。行くよ……っ!」
掛け声とともに周囲の空気が一気に冷たくなり、次の瞬間、池の水がすべて氷で覆われました。
どこか満足げに炎の精霊が口を開きます。
「これで渡れるな」
「うん、ありがとう、せいれいさん!」
「とっとと行きやがれ」
女の子はもう一度「ありがとう」と口にして、精霊の横を通り過ぎようとして、
「出してあげなくて大丈夫?」
「勝手に出るからほっとけ。今出ると妖精が余計な心配するだろうしな」
「わかった、風邪ひかないでね。行こう、ようせいさん!」
言い残して走っていく女の子を追いかけようとした妖精は、最後に精霊を振り返って尋ねます。
「どうして手を貸してくれたの?」
「……ただの気まぐれだよ」
炎の精霊は、氷の妖精の方を見ないままで返事をしました。
「そっか。……ありがとう」
お礼を述べて去っていく妖精に、背を向けたまま気だるそうに右手を振って見送るのでした。
*
池を渡り終えたあと、再び林の中を歩きながら『冬』の気配を探る妖精が言います。
「近くなってきた。もう少しのはずだ」
「うん、頑張ろう!」
そんな声に気づいてやってきたのか、二人の目の前に再び立ちふさがる人影が現れました。
細身の青年。いたって普通の男の人に見えました。
ただし、その周りにいくつもの緑色の光――妖精が浮かんでいなければ、ですが。
「ん、子供……?」
眉をひそめた青年に、緑色の妖精の一つが声を掛けます。
「そうね。だけど油断しないで、向こうも妖精を連れてるわ」
さらに別の妖精が続けます。
「けど大丈夫、こっちはこんなに沢山いるんだもん。負けるわけないよ」
「そうだね。……悪いけど、ここはひいてもらうよ」
青年は女の子に視線を向けると手を構えました。
「気を付けて」
氷の妖精が言うが早いか、強い風が女の子に吹き付けます。
「きゃあ!」
何とか吹き飛ばされずに踏みとどまる女の子。
青年の妖精は不満げに声を上げます。
「ちょっと。今手加減したでしょ?」
「だって、相手は小さな女の子だよ?」
「言ったはずよ。油断はしないでって」
妖精に言い返されて、それでも青年は渋る様に言葉を返します。
「けど、さすがにケガをさせるのは申し訳ないし」
その言葉に畳みかけるように妖精たちが声を発しました。
「そんなことを言って、もしもここを突破されたらどうするの?」
「そうよそうよ。抜け出したいんでしょ?退屈な日常から」
「だったら、他のことは気にしちゃダメ。邪魔する奴は吹き飛ばすの」
「大丈夫。あの子だって妖精の力で守られてるもの。軽く痛めつけてあげればすぐに諦めるわよ」
口々に言われて、青年は申し訳なさそうに苦笑しました。
「ううん……そうだな。仕方ない」
セリフとともに、まとう空気が厳しさを帯びたものに変わっていきます。
強くなっていく風が周囲の落ち葉を吹き上げていきます。
一層暗く、冷たい声で青年が言い放ちます。
「ここからは本気で行くよ」
言葉を交わす余地もなく、女の子と青年の間で、力が衝突しました。