お気に入りの場所
いよいよ葉の数も少なくなってきた木の枝からまた一枚、赤く色付いた葉っぱがヒラリと離れていきます。
色鮮やかな葉っぱで人々の目を楽しませていた木々たちも着々とその葉っぱの数を減らして、これからやって来るであろう冬に向けての準備を進めていました。
いつもなら徐々に気温も下がって来るそんな時期。
秋の空気もすっかり息をひそめた町はずれの公園に、一人の女の子がやって来ました。
自然に囲まれたこの公園には沢山の木が植えられていて、秋になると一斉に紅葉した木々が景色を赤や黄色で彩ります。
女の子は、その景色が大好きでした。
だからあの子にとって、この場所はお気に入りの場所なのです。
しかし……。
「あーあ。もう葉っぱ、残ってないや」
女の子が好きな紅葉の季節はもう終わり。冷たい冬がやって来ます。
秋に生まれた彼女は、秋が好きでした。
秋も過ぎ去ろうとしている公園に人の姿はなく、ただどこかさみし気な空気だけがその場を満たしていました。
「冬なんか、来なきゃいいのに」
ポツリとつぶやいた声も、温度を失った土の中に吸い込まれていきました。
ため息を一つついて、その場を離れようとした女の子の視線の端に、それはヒラリと映り込みました。
葉っぱではありません。
それは淡く、青白い光を弱弱しく放ちながら、ふらふらと空気をかき分けて泳ぐように懸命に羽のようなものを動かしながら漂っています。
「ちょうちょう……?」
歩み寄る女の子に気づいたのか、淡い光は様子を窺うようにその場にとどまっています。
ゆっくりと光に近づいた女の子は、恐る恐るそれに向かって手を伸ばします。
「君には、僕が見えるんだね」
突然聞こえた声に、ピクリと動きを止める女の子。
声の出どころを見つけようと周囲を見回しますが、さっきまでと変わらず公園に人影はありません。
それでも、どこからか声は続きます。
「おどろかせて、ごめんね。こっちだよ。君の……目の前」
「え、もしかして……?」
正面に視線を戻した女の子の目に映るのは青白い光を仄かに放つもの。
それは気づいてもらえたことを喜ぶように、羽を動かして応えました。
「よかっ、た」
嬉しそうでありながら、その声には力がありません。
「あなたは?」
問いかけた女の子に、やはり光は弱弱しく、途切れ途切れに答えます。
「僕は……氷の妖精」
「ようせいさん……?」
「突然で悪いとは、思うんだけど。……僕に、力を貸してくれないかな?」
妖精、と名乗った物の申し出に、女の子は小さく首をかしげます。
「ようせいさんは、何か困っているの?」
「僕と一緒に、冬を探して欲しいんだ」
「冬を……探す?」
女の子は、もう一度聞き返しました。
「本当なら、今の時期には……もう冬が来ているはずなんだ」
「秋はもう終わっちゃったよ?」
「そうだね……。秋が終わったら、次は冬が来ないといけない」
だけど、と氷の妖精は続けて言います。
「今年は、来るはずの冬が……まだ来ていないんだ」
「それで誰かが困るの?」
純粋で単純な疑問を、妖精に投げかけました。
「冬なんて、寒いし退屈なだけなのに」
問われた妖精は、弱弱しく、しかし切実に言葉を返します。
「僕たちは、『冬』から生きるための力を……もらっているからね。冬の間にたっぷり力を…蓄えて、次の一年を乗りきっているんだよ。だけど『冬』がやってこない今、僕たち、雪や氷をつかさどる妖精や精霊は……存在を保つことが、難しくなっているんだ」
「私は別に困らないもん」
正面からぶつけられた言葉に少したじろぎながらも、氷の妖精は反論します。
「そ、そんなことないよ。動物たちや植物たちだって……季節の、循環の中で生きてるんだ。それらが影響を受ければ、例えば野菜が収穫できなくなったりしたら……人間の生活だって、困るはずだよ」
言葉を発しながら、もう空中に漂っているだけでもやっとの様子で羽で宙をかいています。
女の子は少しの間だけ何かを考えるように口を閉ざして、そしてもう一度改めて口を開きました。
「わかった。手伝ってあげるよ」
「えっ?」
あまりに唐突なその台詞に、当の妖精は思わず聞き返してしまいました。
「……本当に、いいの?」
念を押すように問いかけた妖精に、不思議そうな表情を浮かべ、
「だって、ようせいさん困ってるんだよね?」
曇りの無い瞳でまっすぐ見据えられた妖精は、こんな心優しい女の子を巻き込んでしまうことに後ろめたさを感じてしまったのでしょうか。
「だけど、僕に協力するのには……危険なこともあるんだ」
そんな言葉を口にしました。
「危険なことって?」
「まず……君には、僕と『契約』して欲しいんだ」
首をかしげる女の子に、妖精は続けて説明をします。
「君みたいに……妖精のような存在を見ることが、できる人間はあんまりいなくて……そういう人は、特別な才能を持っているんだ」
妖精の言う『特別な才能』とは、『冬』と同じように妖精にエネルギーを与えることができる力なのだそうです。
「僕たちは、『ゲート』って呼んでる力なんだ。でも、『ゲート』から引き出したエネルギーを……人間は使うことが出来ないんだよ」
「エネルギーを使えないなら、私は役に立てないよ」
女の子の言葉に、氷の妖精は首を横に振る様に左右に揺れます。
「『契約』をすれば……僕は君のゲートから、エネルギーを受け取ることが出来るようになる。そして、『契約』によって、君と僕の間にできる…『つながり』があれば、君も僕と同じようにエネルギーを使うことが出来るんだ」
「わたし、うまく使えるかな?」
「君は僕に……力を分けてくれるだけで、いいんだ。それで、僕は消えずに済む。……『冬』を、探しに行ける」
ただ、と妖精はためらいがちに付け足します。
「『冬』を奪ってしまったのは……僕と同じような、妖精か…精霊、もしくはそれに似た何か……だと思う。きっと、『冬』を探していれば……そういうものと、争うことになる。もちろん、僕は君を守るけど……それでも、僕と一緒にいる以上、安全とは言えない」
それでも、本当にいいの?と。
改めて問いただした氷の妖精に、女の子は一瞬のためらいもなくうなずき返しました。
「うん、いいよ」
「どうして……そこまで……?」
信じられない、という様子で妖精は質問を重ねます。
「確かに、私は冬なんか来なくても困らないし、来なきゃいいって思うけど。けいやく、しないとようせいさんは消えちゃうんでしょ?」
ふらふらと、今にも落ちてしまいそうな妖精を支えるように手のひらを差し出しながら続けます。
「せっかく私に頼ってくれたようせいさんに、消えてほしくないもん」
「けど、それは」
「それに、他にも困る人がいるんだよね?」
妖精の言葉を遮るようにして、女の子は言いました。
「私が頑張って、それでみんなが助かるんだったら。……私はやるよ」
小さな女の子の覚悟に満ちた目で見つめられて、驚いているかのように、あるいは迷っているかのように少しの間沈黙して、
「ありがとう。よろしく、お願いするよ」
微笑むような声色で言って、差し出された女の子の手のひらにそっと体を下ろしました。