89. 悪役令嬢、暑くて熱い夏ですわ
本邸を夜逃げするかの様に逃亡して三日経った日の午後、リンデーン兄様からの通信が入ったとの知らせを受け、通信用魔術道具の受け側を手に取って耳に当てる。これは通信相手の会話を周囲に聞かれない様にする配慮によるもの。
「ご機嫌よう、お兄様。 今は森の別邸にいらっしゃるのね。 慌ただしかったとは思いますけど、そろそろ癒されましたの?」
「ああ、だいぶやる気を充填した気分だ。 それで、そっちに行って俺も色々な鍛錬を積みたいと思ってね。 マリアが迎えに来てくれると嬉しいなぁーと思って連絡したんだ」
なんと!あのリンデーン兄様がヤル気を出している!これは是非とも協力して差し上げなければ。何と言っても今年の剣術の模擬試合はリンデーン兄様に勝って頂かなくてはならないのだ。そうでなければヒロインへのヘルムルトの好感度が上がってしまい、ディナが哀しむことになってしまう。ルートは恐らく皇太子のハーレムエンド狙いだけど、他の攻略対象者との好感度が上がらない彼女がどんな手段を取って来るか分からないから万全を喫して望まなければいけないわ。
「まぁ!お安い御用ですわ! 今から迎えに行ってもよろしいかしら?」
「ああ、特に準備も無いし大丈夫だ」
「では行きますわね。 後ほどお会いしましょう」
私はそう一言添えて通信を切った。
「うわぁ!ここ何処?」
「お兄様ごめんなさい。 結界対策の転移陣の偽装のためクローゼット内に設置してありますの」
と言っても、クローゼット内に入っている着替え用のドレスはほとんど無く、魔法陣の部分には何も掛けていないので予め扉を開けておいたクローザット内から容易く出る事が出来る。
「ここはマリアの部屋? 何だか変わっているけど……」
「屋根裏部屋に作りましたの。 寝室は二つありますから、この部屋のをお使いになってくださっても構いませんし、城塞の客間にも余裕がありますわ」
そう、此処には当主夫妻の自室すら用意されていない。完全に有事に備えた防衛施設なのよね。
「ああ、そうそう! 此処ではわたくし、マリナではありませんから、普段通りで構いませんわ。 それと、ここの料理は大量生産方式ですから、本邸や別邸と同じだと思ってはいけませんわ。 わたくしは材料だけ譲っていただいて、自分で調理して食べていますの」
「それ、俺の分も作って貰える?」
「まぁ!腕がなりますわね。 あまり豪華ではありませんけど、心を込めて料理しますわ」
「ああ、天国に来たようだよ。 それにしても、屋根裏部屋ってこんなに素敵な場所だったのかな? 初めて来たからよく分からない」
それもそうね、だいたいの家では屋根裏部屋なんてほぼ不用品の倉庫になっているか、ネズミ駆除罠だらけ、埃だらけって所だもの。
「魔法の勉強だと思って、自分で改装工事を行いましたの。 ちゃんとシャワーとお風呂、調理場もありますのよ」
それから、今居る偽装用のワンルーム仕様の部屋の他、奥に広がる約2LDKの快適な住処も案内した。奥にも寝室が二つ有るため、お兄様にもそちらの広いベッドがある寝室を使っていただくことにした。偽装用の部屋はあくまで緊急用なの。お兄様にしてみたら生活に必要な施設があまりにもコンパクトに纏まっていて狭いものね。
それから、お兄様に城塞の指揮官長のヴァンレット・ハーウェイーーーダークブロンドの少し癖のある髪を短くし前髪ごと後ろに流し、榛色の瞳が落ち着いた、そこはかとなく大人の色気があるイケオジ、背も高くなんと190cmのモデル級!ーーーと、副官のダン・ナロットーーー赤毛の菫色の瞳と言う派手な色彩だけどイケメンだーーー、あとは城塞内のすべてを取り仕切る執事長でもあり執事官ジャーニー・スミスーーー武道の心得がある暗器使いで、黒髪に緑柱翠の綺麗な瞳を薄めのサングラスで隠した、イケメンなんだけど印象が薄いーーー、この砦の重要人物を紹介した。
砦の皆んなは、いよいよやって来たルナヴァイン家の嫡男に大歓喜している。どちらもヤル気十分!今年の夏はとても有意義な鍛錬が出来そうだと思った。
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「ああ、こっちはまるで天国のようだよ! 毎日ドロドロになるまで鍛錬してクタクタだけど、その後にご褒美が待っているからね。 生活自体も城塞とは思えないほど快適だ」
「……僕もそっちに行きたい。 出来の悪い聖女の特訓を毎日見せられて、母上様と大神官様のお小言を聞いて。 いや、もうね、お小言なんてものじゃ無いよ? 嫌味に毒だね、毒吐きまくってるよ! こっちにまで漂って来るようで居た堪れないったら無い! 殿下も母上様のひと睨みでダンマリだ。 最近はひいお祖母様まで見に来ては突っついて行く始末だ。 なんであそこまで出来が悪いのか理解出来ない。 どうも懸命に修行しているようには見えるが、根本的にヤル気が無いみたいだな」
「そっかー……それで。 その一行は何時まで居座る予定なの?」
「未定」
フィンネル兄様の声には生気が無い。すっかりしょげている。
私は側から聞いていて戦慄した!うわぁ、早く出て良かった!まさに間一髪だった。でなければ確実に”断罪イベント”に持ち込まれただろう。お祖母様ありがとう!私は森の別邸の方角に祈りを捧げた。気持ちをいっぱい込めて。
「お兄様、これは花咲オムライスと言いますのよ。 デミグラスソースでいただいて」
今日のお昼はオムライス、半熟ふわっふわのオムライスだ、前世の私の大好物!
「なにこれ、生に近い卵がこんなに美味しいなんて知らなかった! このデミグラスソースともよく会う。 ブロッコリーサラダとコンソメスープも美味しいよ」
お兄様は毎日私の作った料理をきれいに平らげてくれる。うーん、作りがいあるわぁ!食材は私の希望も聞きに来て仕入れてくれるから、周囲にお店がない此処でも不自由はしてない。そして、私はあるものを手に入れていた。『葛』の苗である。とある国で丈夫で繁殖力のあるこれを植えて緑化に成功したが、蔓延り過ぎて大変な思いをしていると言う、まさにパンデミックを起こす危険植物の一つである。
「お兄様、日が沈む前にアルトとの国境付近にお付き合い願いたいのだけどいいかしら?」
お兄様は当然かのように即答してくれた。
「構わないけど、マリアは何を企んでいるのかな?」
「ふふっ、着手すれば帝国の荒野の方が緑化は早いかもしれないけど、アルトも緑化出来るかもしれない奇跡の植物を植えに行くのよ」
「……あまり良い予感がしないんだけど、大丈夫なのかな」
少しだけ不安になっのか、リンデーン兄様が聞いて来た。
「そうねぇ、たぶん嫌がらせも入ってはいるの。 でもアルトが何時までも緑化してくれないと困るでしょう? 帝国側の荒野を食料畑にしてしまうと、またアルト人が欲しがるかもしれないから、それもどうかと思うのよね。 本当はやせ地でも育つ作物を作った方が良いと思っておりますのよ」
私はちょっと困った風に小首を傾げた。
「そうだねぇ、マリアは良く両国間の関係を考えていると思う。 その迷惑な緑化を実行しよう!」
その日の夕暮れ、私達2人はアルト国側の国境付近にある森に潜んで、向こう側の警備状況を確認する。
「今ならいけそうだな。 俺が風魔法で土に穴を空けて、マリアが苗を転移する、俺が風魔法で土を被せて、水やりをした後」
「私が土魔法で大成長を掛けるわ! もう砂漠まで覆い尽くす勢いで頑張りますから、万が一倒れたらお兄様に頼みますわ」
「よし。 あまり無理はして欲しく無いけど、ちゃんと連れて帰るから安心して」
翌朝、アルト王国は帝国との国境付近の砂漠が緑の葉っぱに覆われているのを見て驚愕した!その影響について分かるのはまだまだ先のことだ。葛の葉の下には乾燥に強いサボテン類や特別乾燥に強い芋のタネもばら蒔かれていた。場合によってはご褒美にしかならないが、マリノリアは隣国の砂漠化がずっと気になっていたのである。出来れば森にしたかったのだが、まだ無理だろうと思ってのこと。
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「そうですね、これはもう、感覚なのです。 思い込みでも良いでしょう。 これはこう言うものだと思っていれば、そのまま発動時のMPとSPで戦闘終了まで魔剣のような効果を維持出来ます。 強化付与と組み合わせればかなりの効果を発揮します」
「そうか、無意識ってことか。 これは鍛錬しただけでは簡単にはいかないな。 よし、イメージしてそれを固定する事を実践してみるか」
リンデーン兄様は戦闘に便利で効果的な魔法を中心に会得しながら、剣術の腕も著しく成長して行った。やっぱり『天才剣士』の枕詞は伊達じゃなかった!きっと早いうちに『剣聖』の称号を得られるだろう、もしかしたら祝福では既に受けているかもしれないとも思った。お兄様の剣は筋も整っていて綺麗だが、力強さと柔軟性がある。流石だと思った。その内素早さと回避率で誤魔化したくらいでは勝てなくなるかもしれないなぁと、嬉しく思いながら見学し続けた。実は昨日の葛の大成長にSPを削りすぎてしまって、今日は見学しているのね。植物の成長って、もっとイメージし易いと思っていたけど、範囲が広すぎたのかしらね?
意地悪令嬢?本領発揮の巻




