8. 悪役令嬢、食べ物の恨みは怖いのです
美味しいお弁当を食べながらご令嬢方と平穏なランチタイムを過ごしていたところ、予期せぬ声がかかって比喩や冗談でなく心臓が口から飛び出るかと思った。
「同じ室内に居るのにどうして声をかけてくれないのかな? マリアのことだから気がついていると思うんだけど」
「えっ、ちょっ……お兄様ったらお行儀が悪いですわ」
いつの間に私の後ろに回ったのやら、上の兄であるリンデーンが言いながら私のお弁当から唐揚げを止める間も無くつまみ食いした!しかも素手ですよ、マナーもへったくれもあったもんじゃない。でも当の本人は悪戯が成功した少年のような無邪気な笑顔だ、同席しているご令嬢方が見惚れてしまっている。流石攻略対象者の笑顔は凶器だ!だが私には効かない。
それに愛称で呼ばれたのなんて初めてですよ!なに仲が良い兄妹アピールしているのよ。それでつまみ食いという無作法を許してもらおうという計算なの?
『食べ物の恨みは一番怖い』って格言を知らないのかしら?それ日本人特有なの?
「お兄様!ここは一年生のエリアですわよ、二年生はあちら」
手のひらを上にして、言外に『さっさと席に戻りやがれ』と、少し離れた二本先の長テーブル辺りを指し示して促す。
こちとらあんたの周りにいる攻略対象者達に無駄な関心を持たれたくないの。来るべき日の為に、なるべく空気で居たい。
一推しのジル様の麗しい(であろう)ご尊顔だってまともに見れていないのに泣いちゃうわよ?
「その前に卵焼きも欲しい。 もしかして通いにしたのこの為? 明日から俺の分も持って来て欲しいなぁー」
くっそ、こいつ空気読めないのか。いやあえて読まないタチの悪いヤツだ。長く離れて育ったと言えども、私にはゲームシナリオや設定で知り得た情報もあるのだ。
私の周りのご令嬢方は突然のことにフリーズして居る。
黙っていれば金髪碧眼の大層なイケメン騎士様、いやまだ成長過程で身体が作り込まれていないからキラキラ白馬の王子様か。
ふんわり柔らかそうな金髪は思わず触ってしまいたくなる、青灰色の冷えた目を見なければの話だが。
「嫌だわお兄様ったら、わたくしにランチボックスの配達員をさせるおつもりですの?」
言いながらフォークでぶっさした卵焼きを不意打ちで口の中にぶっ込んでやった。端から見れば『あーん』ってシチュエーションに見えるだろう。残念ながら相手は兄だが。
あ、これもと調子に乗ってサーモンのミニサンドウィッチを指差したところで、手の甲をフォークで突いてやった。もちろん力加減はしましたよ、怪我させるわけにはいきませんもの。だがら大げさに「痛っ!」とか、眉尻を下げて哀しそうな餌を待つわんこの様な表情を作らないでくださいな。本当にタチが悪い。誰かハリセン持って来て!
「ランディお兄様、悪戯が過ぎますわ。場所をわきまえてくださらないと、わたくし困ってしまいますわ」
わざと愛称で呼び、こちらも対抗して困った兄をちょっと拗ねた様に口元をすぼめ、少し小首を傾げながらわずかに大きく見開いた目を上目遣いにして見上げる。
ちっ!これじゃラブラブバカップルみたいに見えるじゃないのよ。でも少し短気な所があるから、無視されたことにプライドをほんの少し傷つけられたのかもしれない。余計なちょっかいをかけて来るような面倒な時には、この可愛子ぶりっ子モードは非常に効果的なハズなのだ。
「ああ、別に困らせる気は無かった。 また後でな」
何かが満たされたのか、素直に引き下がって右手をひらひら振りながら離れて行った。
絡んで来たのが単純な方で良かった。絡んで来ないのが一番助かるのだが。
「ええ、また」
眉尻は若干下げつつ、ちょっと困ったなぁ風を装い、柔らかめの微笑みを向けてミッション完了!ああ本当に疲れたのだけど、ご一緒しているご令嬢方にもフォローを入れておかないといけないわよね。
あまりの事に呆然としているもの。
少し、いえはっきりと目を潤ませて頬を上気させているのは、攻略対象者特有の高スペックイケメンの、意外と隙のある素の姿(に見せているだけだけど)に当てられた弊害なのかしら?
「存外に行儀の悪いところをお見せしてしまって、ごめんあそばせ。 兄はうちの料理人が作った料理がお好きなのよ」
「いえ、ご兄妹のとても仲の良い所を拝見させていただき眼福でしたわ」
「リンデーン様をこんなに間近に……」
「ああ、わたくしどうにかなりそうですわ」
うん、存在自体が罪深いようねお兄様。ご令嬢方はうっとりと熱に浮かされたようでありながらも、しっかり料理は完食していたから、きっと何かがツボにハマっただけだと思うけど。一体何に萌えたのかしらね。
それにしても私が迂闊にも背後を取られるなんて。かなり悔しかったから、今日帰ったら鍛錬しなくちゃいけないわね。それに瞑想でもして落ち着きましょう。
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side.Lindane
「妹君と意外と仲が良いんだね。 先日のデビュタントの様子からあまり仲が良くないのかと思っていたが杞憂だったかな?」
リンデーンが双子の弟の隣の席に戻ると、意外にもエリンが声をかけて来た。彼は宰相補佐の子息でスチュワート公爵家の嫡男。隣に座っているのは妹の婚約者でもある皇太子殿下だが、こちらは我関せずの態度を崩していない。
さっきの妹と俺のやりとりに気がついていないはずはないのだが、相変わらずブレないな。
「別に、良くも悪くもないね。俺は帝都育ちだが、妹は領地生まれでデビュタント前までずっと領地で暮らしていただけだから」
淡々と事実だけを述べるだけにしておく。エリンとは友人で長い付き合いだが、腹の底が読めないから余計なことは言わないに限る。それに、皇太子殿下も長々と妹の話題を聞いていたくもないだろうし?
「それにしても兄さんの扱いに長けてて驚いたな。 本人達の思惑がどうであれ、今後シスコンの汚名は免れないと思うよ」
フィー、それは嫌味か嫉妬か?訳わからないことを言うなよ。
同じ食堂内。それも広いとはいえたった一本長テーブルを挟んだだけの距離(約6、7m)に居て目も合わさないなんて、その方が可笑しいだろ、俺の感覚の方が普通だ!
それに、妹の、それもこの食堂の料理のどれよりも美味しいと分かっているルナヴァイン家専属料理人特製弁当の誘惑に釣られないお前の方が変だろ。
そもそも彼らが妹に出す料理はいつも渾身の結晶でハズレなどない。
うちの料理人達はマリノリアの子飼いだからな。アレは心酔していると言って良い。
なんでも領地の城勤めの料理人達に自ら調理指導をしたのが始まりだとか。その後もレシピ伝授、新メニュー開発までさせて現在に至るらしい。新メニューを真っ先に試食するのはもちろん妹だ。
一体どうして幼女が、それも公爵令嬢ともあろう者が調理場にまで出入りして料理人達に美食を極めさせると言うのか不思議だが、妹は色々と規格外だから気にした方が負けだと思っている。
皇太子殿下の前に座っているヘルムルトとジルアーティーは賢明にもこの件に口を出す気は無いらしい。
まぁ六年も前の敗北をいまだに引きずっている皇太子殿下のご機嫌がいつ急降下するか分からないからな。
殿下は癇癪持ちではないものの無駄にプライドをくすぐるのは賢明ではない。
たった一度の負けでいつまで劣等感を持ち続けているのかなど俺には分からない。
俺から見て今なら皇太子殿下が妹に剣術で負けるとは思わない。
決して無責任な希望的観測ではなく、デビュタントのエスコート時に妹の手を取ったが、手袋越しでもほっそりした指先と小さな手のひらは柔らかく、ほかの令嬢達と比べても変わりなかったからだ。
鍛錬を怠ればそれを取り戻すのは容易なことでは無い。
でもそれを言うのはなんとなくやめておいた。