16. 悪役令嬢、学校行事に参加する
「はぁ~」
学園から帰りの馬車の中で伸びをする。
お嬢様も存外疲れるものだなぁと思う。
まず人前で伸びやストレッチなんて出来ない。動かなすぎてエコノミー症候群になりそう。教室移動くらいじゃ動いた内に入らないよね。
今日はダンスレッスンがあったからまだマシだけど、本当はダンスレッスン前に準備体操したい。柔軟体操とかヨガとか最低でもラジオ体操!
うちに帰ったら鍛錬の前にお湯に浸かって身体をほぐす?やっぱ走り込みから行こうかな……せっかく健康で身体能力抜群に生まれ変わったのに持て余し気味で勿体ない。
なんかもう、婚約破棄イベント前に解放されたくなって来た。そう簡単には行かないけど、そんなの分かってるけど。
今日は思いっきり暴れよう。
「お嬢様~、もう無理です、今日何かあったんですか」
皇都内の邸の西庭から裏庭にある鍛錬場は領地にあるものと比べるとしょぼい設備だ。だが身体を動かし、剣の相手をしてもらうだけなら十分である。
ハンスはルナヴァイン家の護衛騎士達の中でも腕の立つ方で小隊長を任されている。
貴族の私設騎士団には規制があって、一つの家が武力を持ちすぎるのを防ぐ為に細かく定められている。まぁ多少の抜け道はあったりするけど、うちは国境警備を兼ねた城塞を持っている分、騎士団員の総数は多く召抱えているけど、ここ皇都内の邸には百名までという規定がある。邸の敷地面積に対しても少々物足りない人数である。
小隊長は三十人を率いる小隊の指揮官にあたるので、この邸に居る騎士の中では五本の指に入る強者ってこと。
「何もないから身体を動かしているのよ」
「えーっ、ストレス解消とかじゃないんですか」
「うーん、確かにお淑やかな淑女の演技はストレス溜まっているかもしれないわ」
「演技……なんか違うっすよ……」
軽口言いながら刃を潰した練習用の剣で打ち合うと、疲れたのか相手のほんの少し足元のバランスが崩れたところで素早く一歩踏み込んで剣を撥ね上げた。
「ありがとうございました!」
鍛錬に付き合ってくれたハンス小隊長に一礼して、練習用の剣を戻し邸に戻る。
シャワーで汗を流して、湯をたっぷり張った浴槽に浸かる。まだ夕食前だけどリラックス効果の高いカモミールをたっぷり入れてくつろいだ。
「ほどよくお腹空いて来たかも」
ちょっと一休みしたい気もしてくる。
でもそろそろ夕食の時間だなと思い、風呂から上がって手早く身支度を整えたところで、侍女が夕食の支度が出来たことを知らせに来た。
「学園はどう?」
お母様がこう聞いて来たってことは何かあるのかしら?
「特に何もありませんわ」
「そう。 聞きたいのはそう言うことではないのだけどね。 そういえばパーティーがあるんですってね」
「そうね。 お兄様にエスコートしていただくことになったわ」
「あら! まぁそれなら仕方ないわね。 皇帝がね、殿下と出なさいって言って来たんだけど遅いわよねぇ」
「殿下からは何も聞いてませんもの」
まぁ今日は殿下の姿すら見かけてないけどね。殿下が誰をエスコートしようが興味無いもの。
陛下だけは何故か事あるごとに私が殿下の婚約者であることを周囲にアピールさせたがるんだけど、あっちもこっちも余計なお世話だと思っていることをいいかげん分かって欲しい。
社交界デビューだって予定より早く抜き打ちでやったんだから分かってよ。陛下には挨拶した時にチクリと言われたわ。
そう、実は私の社交界デビューは十五歳の予定で、更に殿下にエスコートしてもらう予定だったのだけど、こっちの都合で学園入学前に急遽変更したから仕方なくお兄様にエスコートして貰うことになったの。予定は未定ってことよね。
ドレスの準備があるから急遽なんてありえないけどね。だって学園入学の為に皇都に行くのは元々決まっていたことだもの。要するに、うちは元々皇家との縁組を歓迎してないのね。
詳しい理由は分からないけど分からなくはないわ。だって血が濃すぎると良いことないのよ、世界の歴史が証明しているじゃない。私と殿下は従兄弟同士ではあるのだけど、前当主であるお爺様のお嫁さんも元皇女であることからはとこでもある。さらにその前の当主夫人も元皇女であり、三代続けて皇女が降嫁してきているのである。流石に血が濃すぎると私でも思うわ。
ただまぁ、今世代は公爵家四家もあるのに、どう言うわけか私しか女の子が居ない。それにしても婚約決まったの早すぎだから一種の気持ち悪さはあるけど。前にお母様に婚約の理由ではなく経緯を聞いたら、上手いこと誤魔化されてそれっきりだった。そのうち話す、と言ったから待つしか無いわね。
お父様は今日も何もおっしゃらなかった。
▽▲▽▲▽
ああっという間に模擬パーティー当日になった。このパーティーは授業の一環でもあるので、ドレスの準備は必要ない。
制服参加だから楽チンなの。
普通学校行事とくれば、会場の設営とかを学生が手伝うことになると思ったのだけど、それは学園側で全て用意するとのことだった。
まぁ、お貴族様の令息令嬢が出来ることってほとんどないよね。設営なんて企画か指示する側しか出来ないでしょう。
立食用の食事コーナーにしたって、食堂の料理人以上のものを作れるご令嬢がいるなんて思えない。
ならば、まともなデザートとお茶くらいは普通に楽しませて。
でもこの朝の支度は異例の苦しさを味わうことになった。
ぎゅううう~っ
着るのは制服だというのに何故かコルセットで締め上げられる。
そしてこの胸の下に詰められた数枚のパッドは何事?いや、足りてないのは分かってますよ、寄せる肉も無い!でも制服で胸元強調する必要あるの?どんなに頑張ってもメロンみたいにはならないわよ!十二歳に色気を求めるな~っ。
侍女三人がかりで支度をし終えた頃には、もうぐったりしていた。
髪は編んでまとめあげ、化粧もバッチリ。
パートナーはお兄様だし、もっと緩いのを想像していた私が甘かった。
それでも朝食は普段より少しは減らしたけどしっかり食べた。
馬車は多少揺れるものの、良い馬車なので満腹でも気持ち悪くなるほどでは無い。
何しろ今日はお弁当なし。小腹が空いたら食堂の料理人たちが作ったマズメシしか無いのだ。
デザートでお腹いっぱいにするのはいささか気持ち悪くなりそうなので避けたい。
パーティーが終わると共に急いでうちに帰ろうと心に決めた。
本校舎前でフィンネルお兄様と合流し、パーティー会場となっている大ホールに入る。
皆制服を着ていながらも華やかに装っている。
ぎゅうぎゅうにコルセットで締め上げられ、どうせ見えない谷間を造成されたのはキツかったが、これは侍女達の仕事に感謝するしか無い。
「制服なのにパニエまで入れているご令嬢までいるね。 マリノリアの靴はダンスシューズ?ヒールが高いから疲れそうだけど大丈夫かな」
「足に合わせてあるから大丈夫ですわ。 これでもお兄様と10cm差があるのね」
「越されたら立つ瀬ないからね、そこは頑張らなくて良いところだと思わないか?」
フィンネルお兄様の腕にそっと手を乗せて、そのままホールの中を歩き、時折顔見知りに挨拶がてら談笑していたら隣から声が聞こえる。
「あれ、助けに入らないとダメそうだな」
何事かとお兄様の視線の先を見ると、殿下がご令嬢方に囲まれていた。
パートナーがいるはずなのに何であんなことになっているのか分からないが、ご令嬢避けの抑止力が無いご令嬢をパートナーにした可能性はありうる。でも怪我するわけでもあるまいし建国記念パーティーでも囲まれてたわよ。別に助けなくても良くない?
「あ、こいつしばらく頼む」
え?こいつって私のことですかお兄様。お兄様の腕に乗せてた手を誰かの手に預けられ、背中に暖かい板が、多分体格のいい男性の胸板が当たってる。この若干ではあるが体温を感じるほどの密着度は正直言って恥ずかしい。
慌てて後ろを確認しようと振り向きかけたら、隣に、後ろにいる人のパートナーと思わしき美少女が……と、目が合って思考も何もかもが固まってしまった。
「リ、リンデーンお兄様、です、よ、ね」
そこにはお母様が若返ったのかと言っても過言ではないほどにそっくりな美少女がいたのである。
「今は気にするな!今見たものは今すぐ忘れろ!俺も殿下を救出に行ってくるからこいつから離れるなよ」
上のお兄様、いや、見た目はお姉さまに、後ろに居る誰かに更に押し付けられても、しばらく呆然と殿下の元へ向かうお兄様方を見続けた。
……しばらくした後、背中に感じてた体温を思い出し、慌てて振り返りながら一歩離れ、「ごめんなさい」と言いながら頭を下げた、とてもまともに相手の顔など見れず目もつぶってしまった。
でも頭の上から聞こえたのは、とても優しい声で……私の鼓膜を震わせた。
「急なことで驚いただろう、気にしなくていい」
こ、これは!超絶美少女なお姉さまのパートナーはもしかしなくてもジルアーティー・クロスディーン公爵令息ですか。もう恥ずかしくて顔あげられないよ!でもこのままでは失礼だ、理性を総動員して立て直す。
「兄達が失礼しました。 わたくしマリノリア、ルナヴァインですわ」
両手でわずかにスカートをつまみ、片足を半歩後ろに引いて頭を垂れて口を開いた。
公式の場では序列が上の方から声をかけられるのを待つのが礼儀だけど、学園なのでそこは多少大目に見てもらえる、ハズ。冷や汗だか知恵熱だかよく分からない、とにかく頭が痛い、気がするし、目眩がしてきそうだった。
このゲームの攻略対象者達の中で一推しのジル様は、腹黒でも粘着質でも俺様でも無いけど『クールで潔癖』。選択肢が難しくて攻略サイト様にお世話になったほどだ。とにかくツボがよく分からない。なかなか好感度が上がらなくて『超微糖ルート』と言われていたのだ。ちなみにハッピーエンドのスチルでさえ頬に軽く手を添えて軽~く唇を合わせるだけの可愛らしいキスだった。
まぁ、天才魔術師で研究熱心だったら、恋愛にのめり込むキャラじゃ無いよね。
しかもゲームシナリオが始まる前のエピソードなんて無かったから正解なんて分からない。そもそも私はヒロインですら無いし。あー結局これが決め手だよね、所詮悪役令嬢よ。
このまま頭下げてても可笑しい子になるので、勇気を振り絞り上を向く。もちろん精一杯余所行きの微笑みを貼り付けてね。
「ぉ、私はジルアーティー・クロスディーン。 ダンスのお相手をしていただけますか」
ちょうど良くワルツが流れて来たところで自然な行動なんだろうけど、ええええええっ~~~~誰得展開!お兄様、お姉さま、ありがとう!差し伸べられた手に、いつの間にか手が吸い寄せられて乗ってるしもう夢心地ですよ。
ジル様は背が高いけど、今日は踵の高いダンスシューズを履いているせいで顔が近くて緊張する、息が苦しいけど我慢よ、耐えるのよ、こんなお近づきになるチャンス二度と無いから!
ああ、お顔が美しすぎてため息出そう。
スチルよりかなり若いけど、二年そこそこしか違わないのよね。でも成長著しい年頃だものね、出来ればもっと成長した姿も近くで拝みたかったわ。叶わぬ夢だけど。
折角のチャンスだったけど、緊張で何も会話のないまま一曲終わってしまった。公式の場なら続けてダンスを踊る相手は親しい間柄に限られるから一礼して離れようとした。
「お相手くださり、ありがとうございました。 兄がまだ戻らないようなので探しに……」
「双子から護衛を言いつけられているからね、しばらくこのままでいてくれるかな」
離れそうになっていた手を再び握られて引き寄せられる。
ああ、そういえばお兄様とお姉さまが私の世話を押し付けて行ったんだっけ。私なら一人でも大丈夫だと思うけど……むしろジル様の方が大変かもしれない。
学校行事とは言え、元々のパートナーでもない、近しい間柄でもないのに連続で踊って良いものだったかしら?ちょっと分からないけど、ジル様が良いなら良いのかな?とっさに頭を縦に振って「はい」と消え入りそうな声で応えた。相手は今年の秋になったら十三歳だけど、こっちも十二歳だからときめいてしまうのも変じゃないよね?
もう既にかなりいっぱいいっぱい。
要するにまだ場慣れしてないのだ。異性にこれほど近づいた事など家族以外に無いのだ。胸がいっぱいで、スウィーツを食べに行くどころじゃなくなった。
なので、ジル様が手袋をしていなかったことに気がついたのは家に帰ってからだった。