挿話 ヒロインもラクじゃない
モクレンが前世の記憶を取り戻し、ここが乙女ゲームの世界だと気がついたのは物心つき始めた子供の頃だ。だが両親が亡くなったのは予想外でとても悲しかった。
「シナリオにはそんなこと出て来なかったじゃない」
聖女を輩出した家は国から報奨金を受け取り保護されるのだと思っていた。遠い記憶にある両親も懐かしく大好きだったが、この世界での両親も大好きだった。家も継げない一人娘のモクレンをそれはとても愛してくれたのだ。
教会から少し離れた小高い丘に立つ真新しい墓を前に、今人生最大の危機から救い、モクレンの他に身寄りのない両親の弔いまでしてくれたモントーレ司教様に深く謝意を述べた。
夕暮れになり、一人になってもしばらくそこから動くことは出来なかった。
枯れたと思った涙が頬を伝い地面に落ちる。
「結局私は、また親孝行出来なかったんだね」
それだけが彼女の心に影を落としていた。
▽▲▽▲▽
モクレンは十二歳の時に両親を馬車の事故で無くして孤児になった。
両親は地元で採れた麦を主に、穀物を管理流通させる商業協会所属の商人で、庶民といえども羽振りが良く、比較的裕福な暮らしをしていた。
それが、両親という後ろ盾を一気に失ったことにより一変し、これから先どう行きていけばいいのかすら分からない不安定な立場に追いやられてしまったのだ。
両親の死後、屍肉に群がる蛆やハイエナのように、身寄りのないはずの両親に降って湧いたように親戚や、名を聞いたこともない友人だと嘯く輩が現れた。借金取りも。
両親が借金などするわけない、そう言っても証文を見せられては反論する材料はなかった。それが偽造書類だと見抜く力など持ってない。
親を失った寄る辺ない子供に付け込み、身ぐるみを剥がしてしまおうとする輩達から助けてくれたのは意外にも教会だった。
教会とは俗世と隔絶された場所で、俗世のいざこざ、まして借金含めた相続問題の仲裁に入るなどと言う話は聞いたことがなかった。
両親は本当に善良で信心深く、商会の利益を度々教会に還元していたのだった。それで事故の一報を聞き両親と親交の深かった司教様が現場に真っ先に向かってくれたのだし、教会で事故原因の調査までしてくれ、葬儀に関することも新しく建てられた墓に埋葬するまで全て面倒を見てくれたのである。
事故の現場で何が見つかったのかは知らされていないが、両親の残してくれた遺産もモクレンの希望で残された形見以外は全て換金して相続させてくれた。今後は教会に住んで良いという提案までしてくれた。
庇護者を失って寄る辺なく貧民に身を落とす子供達の話はこの世の中腐るほどある。帝国では奴隷や人身売買を禁じていて違反すれば厳罰に処されるが、貧民街でも周囲の助けを得られず、スラムに身を落とし人としてすら扱われない悲惨な暮らしを余儀なくされることは珍しいことではなかった。
私は教会が早くから保護してくれたおかげで悲劇に身を落とすことがなくて幸運だった。毎夜両親との温かい生活を思い出しては切なく涙を流すことはあっても。
▽▲▽▲▽
アラナス教は国教で、全ての帝国民に洗礼を受ける権利がある。それがスラム生まれの何も持たない子供であってもだ。
モクレンは生まれて数ヶ月後の首がやっと据わった頃に両親に連れられて洗礼を受けている。
適正検査は、洗礼時に神託や力の片鱗の顕現時に受けることもあるが、モクレンの洗礼は何事もなく通常通りに祝福を受けて終わっていた。本来であれば当時の洗礼時に『聖女』であると神託を受けてしかるべきなのだが、洗礼を担当した司教の力不足なのか、モクレンの力が目覚める前だった可能性もあるが、ゲームのシナリオ通りなのでこれは問題無いのだろう。神託によるものは絶対であるが、まだまだ神秘に包まれた分野なのである。
▽▲▽▲▽
二度目の転機は直ぐにやってきた。大きな教会から偉い司教様がやって来て、適性を見てくれるという。
今回、適正を見ることになったのは教会に住まい、お勤めを果たすことになったからに他ならない。
何の適性がなくとも教会で力のある巫女の補佐をする一般巫女として仕えるか、修道院で静かに暮らしても良いと説明を受けていたので不安に思うことはない。
でもモクレンには自信があった。そう、午後からモクレンの運命は劇的に変わる。いよいよ『聖女』に認定されるのだ。
今代はまだ一人の聖女も見つかっていなかった。先代聖女が身罷ったのは65年も前のことで、それが緩慢に帝国の国力に影を落とし13年前に終戦を迎えた隣国との七年戦争の遠因であったのではないかと誠しやかに囁かれている。帝国の圧勝で終結したものの、この戦争の傷跡は13年経過した今なお癒されていない。
そこに奇跡の存在『聖女』の光臨である。帝国中から歓喜に出迎えられ下にも置かぬ扱いがされることになるのは分かっているし、ゲームのシナリオでも設定されていた決定事項だ。
『聖女』は存在するだけでその地に豊穣を約束し、さまざまな浄化をもたらし世を安穏に導くとされている。力の強弱は問題にならない。聖属性魔法の最上級とされる浄化が僅かでも使えるのは聖女だけなのだから。
予定通り聖女の認定を受けたモクレンは、身の回りの整理をしながらワクワクとこれから先の人生、と言うより出会いに想いを馳せて頬が緩んでしまっていた。
身の回りのものは多くなく、元から持っていた少し大きめのトランクに詰め込むと隙間が出来るほどだった。手持ちの服など庶民の所有物はこの先必要なくなるから、殆どを教会主催のバザー用にと置いていくことにした。
(早く皇太子様に会いたい!アル様のスチルはいずれも素敵で立ち絵もスクショしまくったのに、スマホがなくなってしまうなんてとても悲しかったけど、これからは実物に会えるんだもの問題ないでしょ!とても楽しみでしかたないわ!)
狭いセミシングルサイズのベッドにダイブし、ゴロゴロと転がって高ぶる気持ちを解放する。
「まさか私がヒロインだなんて、鏡を見ただけでは信じられなかったけど。このデロン地方の領主がデボワール伯爵と知ってから、この日を待ってたのよ!」
彼女が聖女認定されてから教会は慌ただしくなった。先ず領主に早馬で連絡され、話し合いの場を持たれることなくデボワール伯爵家の養女として早速迎え入れられることとなった。
▽▲▽▲▽
翌日の早朝、明るい太陽が昇りきる前の冷んやりと澄み切った空気の中。早速伯爵家からの迎えの馬車がやって来た。
馬車の外観はお忍び用なのか紋章も無くシンプルな外観でありながら、庶民が逆立ちしても一生乗ることの出来ない高級な馬車であることが見て取れた。馬二頭立ての馬車には御者が2名、騎馬の護衛が6名というちょっとした物々しさを感じる。
緊張していると、馬車から降りてきた侍女とともにやって来たアガサという若い侍従が小声で説明してくれた。
聖女はどの領地持ち貴族でも喉から手が出るほど欲しい存在であり、問題が起こらないよう発見された領地の貴族が引き取ることに定められているにもかかわらず、出し抜いてやろうという輩が絶えない。中には誘拐組織が高値で貴族に売買するという、明らかな違法行為を実行するものが居ることから、教会を通して皇帝に正式な養女として認定されるまでは警戒し過ぎるということはないらしい。
(なるほど、こんなことはゲームで説明されていなかったなぁ)
と、感心する。
これまでの生活でもゲームで知り得なかったことが多くて戸惑いと希望に毎日胸を躍らせていたが、これから向かうデボワール伯爵邸とはどういったところなのだろうか?
十五歳で学園に転入するまでに礼儀作法と教養を仕込まれるのは基本設定で知っているけど、その過程までは描かれていなかった。それに伯爵がどういった人柄なのか、家族構成なども。
少しばかりの不安を覚え小さくため息をついた。
教会にお世話になったのはほんの数日だったが、とても温かい人たちばかりだったし、皆、見送りに出てくれて別れを惜しんでくれた。中でもモントーレ司教様にはどんなに言葉を尽くして感謝してもし足りない。
侍従のエスコートで馬車に乗り込み、続いて侍女のアン、アガサが乗り込んだ。馬車は静かに動き始めた。とても乗り心地が良い。この辺りは道は整えられてはいるが舗装まではされておらず、両親の買い物に付き添って荷馬車に乗った時には相当揺れてお尻がヒリヒリと痛くなったものだが、この馬車はほとんど揺れを感じないし、座面にはフカフカのクッションが敷き詰められてあった。
▽▲▽▲▽
新しい家族は、端的に言うとクソだった。
聖女といえども所詮庶民。明らかに目には侮蔑の色が乗りに乗りまくっているのに、態度だけは慇懃に手もみまでしている。見下してはいるけどご機嫌はとっておきたいと言った所だろう。聖女だから生まれなんて関係なく貴人に対する扱いを受けるって設定だったけど、この分じゃ帝立学園に入るまでの淑女教育はかなり厳しいものになりそうだった。モクレンは心の中だけで深いため息をついた。
ゲームに養父の立ち絵は無かったから、正真正銘これが初対面だった。
モクレンを乗せた馬車は少しの休憩を挟みながら半日ほど走り続け、伯爵家の正門では無く、横の小道に入った脇に作られた大型の搬入口のような門から入った。そして侍従にエスコートされ馬車を降り、そのまま搬入口から屋敷内に案内された。
「遠いところからご苦労だったな。先ずは旅の疲れでも癒すと良い」
「デボワール伯爵様、お忙しい中色々とご配慮くださり、ありがとうございます」
少しばかりスカートをつまみ上げて頭を下げる。精一杯丁寧にしたつもりだけど、土下座に近いくらい跪いた方が良かったかな? 何しろお貴族様に会うのは初めてで、頭を下げるので精一杯だ。
「今は四年生に長男、二年生に次男、一年生に長女が学園に入っているが、お前は貴族としてのマナーと教養を最低限は身につけろ。四年生から編入させるから、それまでに見られるようにしとけ。早速明日から家庭教師が来るように手配済みだ」
(うへぇ~、この屋敷で約三年もマナー教育受けるの?庶民なんて皇都のタウンハウスに連れて行くのも恥ずかしいってことかな? なるほど、次男は私と同い年なのね。 それより夫人は領地に居ないのかしら?あまり立ち入ったことは聞かない方が身のためかな?何しろお貴族様だもんね。 ゲーム内でこの人の人となりは語られてなかったし、立ち絵もモブ2の下腹出たおっさん貴族だった。 あれカツラかな、多分部分カツラだ。背はそこそこ高めの175cmくらいでヒール5cmの靴で脚を長く見せてるけど、体型は子豚ってところ。 年齢は四十代かな?髪はグレーで瞳は薄茶?瞼が垂れ下がって目が細く見えるからよく分からないわね。 若い頃もイケメンではなさそうだし、居るはずの家族が一人も紹介されないからこれ政略結婚か倦怠期なのかも。 でも見たところ現地妻作ってないところは好感持てるかな?)
伯爵と少し話しただけでも分かった。
ゲームのシナリオ上、皇子や高位貴族が恋愛相手で攻略対象なのだから、当然の帰結として聖女としての特殊な立場を最大限利用して、この家の利益になる良家の嫡男を捕まえろ、その為にマナー教育を最重要課題として仕込むから覚悟しとけって事は伝わった。なかなか野心家だけど詰めが甘いかもしれない。所詮田舎貴族なのだ。
(ええ、元々皇子狙いですから厳しい淑女教育自体は良いんだけどね。 でもゲームシナリオのヒロインはあまり淑女としての基礎教育が身についていなそうだったよ。 ちゃんと優秀な家庭教師を付けてくれるのかな心配。 だってこことんでもないど田舎なんだよ。)
モクレン個人的には緑豊かな田舎町は好きだった。だがここまで来てくれる優秀な家庭教師はいるのだろうか。夫人を呼び戻すか、私が夫人の所まで教えを請いに行ったほうが結果的に良いんじゃないのかな?などとモクレンは思っていた。
これから身の回りの世話をしてくれるらしい侍女が部屋に案内してくれた時にそれとなく聞いてみたら、聞いてないことまでペラペラ喋ってくれた。
やっぱり領都ですら町の商店街が少しばかりあるだけで、見渡す限り平坦な畑が続く穀倉地帯のこの領地は帝国内でも屈指の田舎らしく、皇都近くの領地を持つ侯爵家から嫁して来た夫人が領地に来る事は無いとの事だった。それにしても当主だけ領地に残して他全員(先代領主夫妻、現領主夫人、お子様六人!)皇都の別邸に行ったっきりで戻って来ないとはどうなのであろうか?モクレンは先行きが不安になった。
今は普通の女の子なんですが、この先考えて無かったりします。
でもあまり性悪にはしたくないな