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11. ウィリアム王子

「では、話を始めましょう。あなたが仕えるであろう、第二王子の話よーー」


そう言って、メイヤー夫人は話し始めた。


「第二王子ウィリアム殿下は、国王陛下とそのご正妃、クリスティーナ様の子よ。確かあなたと同じ10歳だったはず。実は、その殿下がとんでもなくわがままでね。私達も手を焼いているのよ。使用人も何人もやめてしまうし、家庭教師もやめてしまって。侍従すら受け入れてくれないの。今は身の回りの世話はご自分でなさるか、側仕えが手伝っているみたいだし、勉強はライノーツ公爵が直々に教えて下さっていて、殿下もあからさまに反抗しなくなったのだけれど、あまり真面目にやってくださらないくて」


なるほど。忘れてくれと言う訳だ。流石に王族を貶す言葉は他の人に聞かせられない。一歩間違えば不敬罪だ。


(というか、使用人が大勢辞めた人に私を仕えさせるって……こっそり厄介事を押し付けられてるし)


嫌な予感は当たってしまったらしい。ダイスさんがいい笑顔だった訳だ。


(悩みの種とはこれのことだったのか……)


「だけど、別に最初から殿下はわがままだったわけではないの」


複雑なオーガスタの心中を他所に、メイヤー夫人は続けた。


彼女の話を要約すると、こうだった。


 現在フォールストン公爵としてここにいる第二王子ウィリアムは、決して幸せな幼少期を過ごしたわけではなかった。


 彼の母は国王の寵愛を一身に受ける正妃だったが、実家の身分が高くなく、政治的には正妃に据えるメリットのない人だった。このオルセイン王国では国王は3人まで妃を娶れることになっている。そこで、国王は第二王妃に正妃よりも身分の高い女性を置いた。第二王妃の実家の後ろ盾を得て、王権を強くしようとしたのだった。


 ところが、この第二王妃が厄介だった。彼女の実家は野心が強く、正妃よりも先に息子を産んでその子を王太子にするよう圧力をかけた。第二王妃はただ純粋に国王を愛していただけだったが、あまりの重圧に心を壊し、自分が息子を産んで王太子にすれば今は正妃にある寵愛も自分に向くと盲信してしまった。


 結果的に第二王妃は正妃よりも先に息子を産んだが、程なくして正妃も王子を産んだ。これが第二王子ウィリアムである。国王は愛する正妃との息子を可愛がり、第二王妃とその息子には見向きもしなかった。


 初めは穏やかな性格だった第二王妃だが、いつまで経っても得られない愛ゆえに正妃を恨み、正妃を虐めるようになった。初めはただの嫌がらせだったそれも、正妃の懐妊と共にエスカレートし、ウィリアムが生まれた後は彼にも怒りの矛先が向くようになった。


 事件が起きたのは王位継承の話が出始めた頃だった。これまでの王室では正妃が第一王子を産むことが一般的であり、その子が王太子となった。しかし、今は第二王妃の息子が第一王子だ。どちらを王太子にするのか臣下の間でも意見が割れる。そして第二王妃のいじめは臣下すら巻き込んだ争いに変貌した。双方が暗殺や毒殺の危険に日々さらされる。


 ところが、第二王妃にとっては不運なことに、第二王子ウィリアムは幼いながらもなかなか優秀な子供だった。結局臣下の間でも正妃の子供でもあるし第二王子がいいのではないかということになり、話はまとまりかけた。


 それが気の緩みだったのだろうか。ウィリアムが7歳の時、正妃は亡くなった。息子が食べるはずだったものをたまたま正妃が口にし、それに毒が入っていた。第二王妃の仕業だった。まだ幼い少年は母が口から血を吐いて亡くなるその瞬間を目撃したのだ。そしてそれは自分を狙ったものだった。少年の心を抉るには充分な出来事だった。自分のせいで母が亡くなったのではという自責の念もあったのかもしれない。彼はだんだん笑わなくなった。


 しかし、優秀で評判のいい王子を変えたのはこの出来事の直後ではなかった。


父である国王は第二王妃の所業に怒りを抱いたが、彼女の実家の力を必要とした国王は彼女を大っぴらに処罰するわけにはいかなかった。結果この事件は公にされず正妃は病死したことになり、第二王妃は心の病と診断を受けて王宮の外で療養することになった。そして国王は愛する妃の死を嘆き悲しんでいたが、すぐに別の女性を第三王妃に据えた。


それがウィリアムにとっては耐えられないことだったようだ。彼にとっては唯一の味方である父親は、すぐに母を忘れたのだ。もちろん実際国王は新しく妃を娶る必要があっただけなのかもしれないが、父ならば母を失った悲しみに一緒に寄り添ってくれるはずだと考えていた息子にはそう感じられたのかもしれない。第三王妃に子供も産まれ、父子の間には亀裂が走った。


 そのあたりから彼はおかしくなった。穏やかだったはずの性格は怒りっぽく偏屈になった。努力家で聡明だったはずが学業を疎かにするようになった。大人びていて落ち着いていた物腰は我儘で子供のように駄々をこねるようになった。


 臣下たちは不安になった。もともと彼が王太子に推されていた理由は正妃の子であり聡明だったからだ。しかしもう正妃は亡くなっており後ろ盾は期待できず、彼自身の性格も変わってしまった。結局臣下の反対に国王は彼を王太子候補からはずし、フォールストン公爵に任命することで陰謀渦巻く王宮から離れさせ、彼を守ることを選んだ。第二王子ウィリアムはそれを黙って受け入れた。


 そして、ウィリアムの性格はフォールストン城に来ても変わらず、今に至るのだった。



「あの、どうして私にその話を?」


話終わって一息つくメイヤー夫人に、オーガスタは尋ねた。

自分で淹れたお茶を飲みながら夫人は答える。


「殿下の側にお仕えする侍女はこれまでそれなりの御令嬢を選んできたの。ライノーツ公爵の子息のルイ様が殿下にお仕えするのをそんなに嫌がらないでいてくれるおかげで側近の仕事だけでなく侍従のようなこともこなしてくれているのだけれど、やはり殿下の側にいられる侍女が必要になることもあるでしょう。ただ、殿下の身分的に使える人間もあまり低い身分というわけにはいかない。なのに殿下は側に人がいるのを嫌がるし、そのような御令嬢に限って忍耐力もないからすぐにやめてしまうのよ」


「それで仕方なく私を?」


「仕方なくではないわ。そのような理由ならうちにいる他のメイドでもよかった。あのね、私はあなたが他の人にはない経験をしたと思っているの。そしてそれが殿下をいい方向に変えてくれないかと思っているのよ」


メイヤー夫人はつり目をほんの少し和らげてオーガスタを見つめた。


「こんな言い方をすると苦労したあなたには失礼かもしれないけれど、あなたは孤児で、両親がいないし、きっと孤児院では贅沢なものは得られなかったでしょう。加えて人攫いに捕まるという経験もある。それに比べて、亡くなってしまったとはいえ殿下の母君は殿下を愛していらっしゃったし、殿下は王族として大切に育てられている。あなたの境遇はきっと殿下にとって新鮮に映るでしょう。なにより、これをきっかけに辛い思いをしているのは殿下だけではないと気づいてほしいのよ」


そしてふと、メイヤー夫人はどこか遠くを眺めるように瞳を揺らした。


「殿下はまわりを似たような人々ばかりで囲まれていた。それはきっと今もそう。でもあなたには、あなたにしか言えない言葉を殿下に届ける力があるはず。私はそれに期待しているのよ。私はひとりで苦しんでいる殿下を救ってあげたいの。もちろん、あなたに全て解決してもらおうというのではないから気負わなくていいわ。それに、あなた自身にあまりにも問題があるようなら考え直すつもりだし。まあ今のところそのようなことはなさそうだけれど」


メイヤー夫人は微笑んだ。しかしオーガスタはなんとなく不安が拭えない。


「ですが、私はどこの馬の骨とも知れない人間です。その私がここで働き、なおかつ王子付きなどという重大な役目を貰ってもいいのですか?」


頼むからダメだと言ってほしい。正直荷が重すぎるのだ。


しかしメイヤー夫人は苦笑をこぼしただけだった。


「それについては心配いりませんよ。なにも身分がなくては王子に仕えられないなんて法はありませんからね。それに、この件は最初ジェームズ……家令のダイスが出した案なの。我が弟ながら何考えているのかよくわからないところはあるけれど、あの子は人を見る目があるし、自分が決めたことなら王子にさえも文句なんて言わせるはずがないわ。大丈夫よ」


「あ、ダイスさん、弟さんだったんですね……」


オーガスタはそう返すのが精一杯だった。


(だ、大丈夫じゃないって……)


この話を聞くと、彼はさりげなく自分に仕事を勧めてきた時点でもうそのことを考えていたということではないだろうか。それにさっきのアリスの話といい、ダイスさんの影の参謀感が半端なくてちょっと怖い。


「そうなのよ。私とはあまり似てないのだけれど」


いや、結構似てましたよ……という心の声を飲み込んだところで、ノックの音が聞こえた。アリスが戻ってきたようだ。


「アリス、この後まだ仕事はある? ないならオーガスタにこの城を案内してあげて」

「わかりました」


メイヤー夫人は頷くと、オーガスタに視線を向けた。


「では、オーガスタ。期待しているわ」


オーガスタはただ黙って頭を下げ、アリスについて部屋を出て行った。

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