【第20話】模擬戦
試合開始とほぼ同時に、ネイトが魔法を発動させた。
さすがにあれだけの啖呵を切るだけあり、魔法の発動速度はかなり早い。
あっという間にプロセス構築を終えて発動したのは、《瞬身加速》の魔法だった。
動体視力でギリギリ追えるほどの速度にまで加速したネイトは、レイの周囲を縦横無尽に駆ける。
ルールで禁じられているため直接的な物理攻撃はしてこないが、実戦ならばこれだけで脅威と言えただろう。
対するレイは、開始から動くことなくその様子を静観していた。
「はは、2ndごときでは動きを追うことすら厳しいだろう!」
「ほぉ、この年で《瞬身加速》をあそこまで使いこなすとは、中々やりおる」
グランが感嘆を漏らすその横で、サラは複雑な表情で戦況を見つめていた。
ネイトは、人間性の面でこそ問題が多いが、今の魔法にしてもナダラの森での闘いを見ても、実力は本物だ。
レイが簡単に負けるとは思えないものの、万が一を考えると、サラはどうしても不安を拭えなかった。
そして、彼女の不安をさらに煽るように、ネイトが次の行動に移る。
先ほどまで、レイを錯乱するように動き回っていたネイトが、唐突に元居た場所に静止する。
いつの間にか《瞬身加速》も解いていた。
しかし、動きを止めたネイトはまるで勝利を確信したかのような、不敵な笑みを浮かべていた。
「なんだ?いきなり加速を解いたぞ」
「妙ね…高速移動している最中に、レイ君に攻撃を加えたようにも見えなかったけど」
ラルフ、シェレンも例に漏れず、スタンド席で模擬戦を観戦していた。
2人のバディであるカノンとノアも、同席している。
「シェレン、同じクラスの君の方が知っているだろうけど、ネイト君は学年でもトップクラスの実力者だ。きっと何か狙いがあるはずだよ」
「兄さん、レイさんは大丈夫でしょうか?」
ノアの言葉を聞いたカノンが、不安そうにラルフに問う。
「大丈夫、軽々とBランクの魔物を倒すほどの奴だ。あいつならきっと勝てるさ」
「そうよ、カノン。私たちはレイ君の実力を目の前で見たわ。あなたもきっとこの試合で彼の力が分かるはずよ」
2人に言われて、カノンは少しだけ落ちいた様子でアリーナに視線を戻した。
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レイは未だにその場から動かずにいた。
「この部屋全体は既に僕の魔法領域になった。もはや貴様に逃げ場はないと思え」
レイに対して、ネイトが高揚しながら告げる。
「そう思うなら試してみればいい」
「いつまでその虚勢を保てるかな?では、お前が置かれた状況を教えてやろう」
言うと、ネイトが微かに指先を動かした。
直後、レイの真後ろから、頬をギリギリ掠る距離を、見えない何かが超高速で通過する。
パラパラと、レイの髪の毛が数本落ちる。
そして前方の地面には、鋭い刃物で抉られたような跡が残されていた。
「風で象った不可視の刃を飛ばしたのか」
先ほどと変わらぬ様子でレイが言うと、ネイトが愉快そうに笑い声を上げる。
「あっはっは!良く分かったじゃないか!でも、今ので終わりだと思うなよ。
本当のショーをここからなんだからさぁ!」
ネイトが指を鳴らすと、レイの周囲全方向から魔法の兆候が発現する。
一拍おいて発動したのは、遅延発動の風系統中位魔法《連破風迅》。
――《連破風迅》は空間座標に射出位置をマッピングすることで、その地点から狙った方向に風の刃を放つ魔法だ。
発動は一度きりではなく、マッピングが残っている限り何度でも魔法を放つことが出来る。
ネイトが先ほど、レイの周囲を高速移動していたのは、この射出位置を部屋全域に設定するためだった。
《連破風迅》の発動準備が整った今、ネイトはその場で射出の指示を出すだけで、室内のどこにでも攻撃が可能となっていた。
一斉に放たれた無数の不可視の刃が、レイ目掛けて集結するように降り注ぐ。
そのあまりの光景に、スタンドからもどよめきが起こる。
その攻撃は、明らかにルールを大きく逸脱する殺傷レベルに達していた。
本来であれば、即座に制止がなされて然るべきほどに。
だが、審判を務めるグラムに動く気配はない。
グラムの横に立つサラも、思わず学院長の方を振り返っていた。
――止めなければ、取り返しのつかないことになる。
――彼が、死んでしまう!
咄嗟にそう感じたからだった。
しかし、そのグラムがサラの方を向き、穏やかな表情でゆっくりと頷く。
虚を突かれたサラは、訳が分からず、顔面蒼白のまま、ぎこちなくレイの居た場所へと視線を戻した。
直後、サラが口に手を当て、大きく目を見開く。
そこには、先ほどと変わらぬ姿、変わらぬ表情でレイが立っていた。
身体には傷一つ付いていない。
スタンドからは、先ほど以上のどよめきが起こった。
しかし、最も驚愕に囚われていたのは、魔法を放ったネイトだった。
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端からルールを守るつもりなど無かった。
2ndの分際で、不埒にも王女殿下に近づきバディの座を簒奪した下民。
七星との縁を盾に、不遜な態度を繰り返す身の程知らず。
許すつもりなど無かった。
本気で殺してやろうと思っていた。
運が良ければ、学院長が割って入るだろうと。
もし間に合わずに最悪の結果になったとしても、家の権力を使えば不慮の事故で片付けられると。
――しかし、
風の刃がグチャグチャに蹂躙した地面の上で、奴は平然と立っていた。
無傷で。
避けられるはずが無かった。
仮に死角を突いて、超高速で掻い潜ったのだとしたら、同じ場所に立っているはずがない。
その光景はまるで、全方向から叩き込んだ斬撃全てが、体をすり抜けたかのようだった。
レイがゆっくりとネイトに向かって歩き出す。
「なんなんだ……。なんなんだよお前はぁぁぁぁ!」
激しく動揺したネイトが、設置した《連破風迅》を力任せに放つ。
しかし、どれだけ風の刃を飛ばしても、レイには一太刀すら当たらない。
まるで、その姿形が幻影であるかのように、斬撃は体をすり抜ける。
やがて、魔法の過剰行使により魔力枯渇に陥ったネイトは、ついに両膝を折り、近づいてくるレイを唖然と見つめることしか出来なくなっていた。
ネイトの目の前で彼を見下ろす格好となったレイは、無言で右手の人差し指を伸ばして銃のように形を作る。
そして、徐にそれをネイトの足元に向かって放つ仕草をした。
直後、ネイトの目の前の地面に直径3cmほどの穴が穿たれる。
それは底が見えないほど深い穴だった。威力など推し量る意味すら無いほどに。
そして、唐突にレイが話し始める。
「《瞬身加速》だけでなく《連破風迅》まで使いこなすとは、さすがに言うだけのことはある。
だが、実はこう見えて、俺も空気を使った魔法が得意なんだ。まぁ、俺の場合は銃だけどな」
「そ、それをどうするつもりだ」
先ほどまでの殺意は何処へ消えたのか、すっかり怯えた様子で尋ねるネイトに、レイは口角を吊り上げながら非情に告げる。
「おかしなことを言うじゃないか。俺たちは今、殺し合いをしているんだぞ?
銃口を向ける相手など一人しかいないだろう?」
そして、今度はネイトの眉間に右手の人差し指を向けた。
それが意味するところを正確に理解したネイトが、慌てふためき抗議の声を上げる。
「ま、待て!そんなの聞いてない!これは模擬戦だぞ!殺傷性の高い魔法を使うなんてルール違反じゃないか!」
「どの口が言っているんだ?それとも貴様が放った魔法は、殺傷性が無かったとでも言うつもりか?
避けられなければ俺は死んでいたぞ。地面の状態を見れば阿呆でも分かる」
「そ、それは…」
言い淀んだネイトに、今度こそはっきりとレイが宣告する。
「戦場では、貴様のように奪うことしか頭になく、奪われる覚悟がない奴から死んでいく。
命そのものが勉強代とは高く付いてしまったが、運が悪かったと諦めろ」
「まっ――」
「じゃあな」
言いながら、レイが右手の指先から空気を圧縮した魔弾を放つ。
――。
レイがゆっくり右手を下ろすと、足元には泡を吹いて気絶したネイトが無傷で横たわっていた。
そして、ネイトの少し後方の地面には、先ほどと同様に、罅一つ無い綺麗な穴が穿たれていたのだった。
会場全体が水を打ったように静まり返る。
「そこまで!勝者、1-E:レイ・ゼーノクス!」
そして、グラムの宣言をもって、模擬戦は終了となった。
直後、スタンドからこの日一番の歓声と、拍手喝采が巻き起こったのだった。




