【第12話】最強の片鱗
ネイトの放った魔法により、周囲が一時的に砂塵に包まれる。
全力の一撃によって【グランベオ】を仕留めたと確信したネイトは、口角を吊り上げていた。
徐々に砂塵が晴れ始めると、次第に魔法の着弾点が露わになっていく。
地を抉つ無数の跡が、魔法の威力を証明していた。
やがて完全に視界が晴れると、そこには予想だにしない光景が広がっていた。
周囲の凄惨な状況に反して、先ほどと変わらぬ姿で【グランベオ】が立っていたのだ。
その様子からダメージはまるで見受けられない。
「な、何故立っていられる!?今の攻撃が効いていないというのか!?」
一転、ネイトの表情が絶望に染まる。
ネイトの使用した《風の一刺》は、彼の使える最強の魔法だったのだろう。
その魔法が全く効いていないことで、魔物の格の違いを悟ったのか、苦悶の表情でネイトが悲鳴を上げる。
【グランベオ】が、ゆっくりとこちらを向く。
「こ、こんなの聞いてない!む、無理だ……」
完全に心が折れたネイトは、震えながら後退る。
どうやら自身の失言にも気づいていないようだ。
【グランベオ】がこちらに向かって走りだす。
「うわぁぁ、来るなぁー!!」
真っ先に逃げ出したのは、あろうことか、この事態を招いたネイトであった。
ネイトに続いて、ダリスも逃走を始める。
「ちょっと!なんでアンタたちが真っ先に逃げてんのよ!
とはいえ、あたしたちも逃げないと!あんなのやりあっても勝ち目はないわ」
シェレンも言いながら逃走の体勢に入る。
――しかし、
「……ちっとばかし、逃げるのが遅かったたようだぜ?」
冷や汗を垂らしながら、ラルフがシェレンの背中に呼び掛ける。
シェレンが振り返ると、既に目の前には大熊の魔物が仁王立ちで、4人を見下ろしていた。
「嘘……」
つい数秒前まで、魔物との距離は100m以上はあった。
それがこの一瞬で詰められた。逃げ切るなど到底不可能だ。
吹き抜ける風が、まるで『死』を運んできたかのように、優しく頬を撫でる。
あまりに非情な現実を前に、シェレンの表情は、血の気を失っていた。
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中位魔法がまるで効かず、移動速度にも隔絶した差がある。
状況はまさに絶望的だった。
「――私が時間を稼ぎます!その間にどうか逃げてください!」
この状況にあって、3人を守るように立ち、予想外の行動に出たのはサラだった。
サラの突然の行動に、レイ、シェレン、ラルフの3名が言葉を失う。
本来、最優先で守られるべき一国の王女が、自ら盾となり学友を守ろうというのだからこの反応も無理はないが、サラは応えを待つ時間すら惜しんで行動に移る。
サラは身に付けていたネックレスを取り出すと、中央に装飾された宝石を両手で包んで魔力を込め始めた。
すると、指の間から神々しい光が溢れ出す。
次の瞬間、急に【グランベオ】が呻き声を漏らしながら苦しそうに後ずさりを始めたのだ。
「サラ!その魔法って…」
「話は後よシェレン!今はとにかく逃げて!」
言いながらサラが正面の【グランベオ】に向き直った時だった。
もがきながらも、苦しみの原因を放つサラを叩き潰さんと、【グランベオ】が真上からその丸太のように太い腕を、彼女の脳天目がけて振り下ろしていたのだ。
「――!!」
ただ必死に仲間を助けたい、その一心だった。それは一瞬のことだった。
ほんの少し、仲間に意識を向けた隙に訪れた刹那の殺意。
サラは咄嗟に反応することが出来なかった。
眼前に迫りくる『死』の恐怖に体が硬直する。
彼女には、これから起こる現実を受け入れることを拒むように、瞼を閉じることしか出来なかった。
………。
……。
…。
しかし、その最悪の未来が訪れることは、なかった。
かわりにズシンッと、重たい音を立てて何かが落ちる。
「グギャァァァァ!!」
次の瞬間、悲鳴を上げたのは【グランベオ】の方だった。
サラが強く閉じていた瞼を恐る恐る開くと、目の前にはレイが背を向けて立っていた。
そして地面には、切断された【グランベオ】の腕が転がっていたのだった。
「さすがにこれ以上は看過できない。お前は悪くないのだろうが、処断する」
目の前で苦しむ魔物相手に冷徹に告げたレイは、肘を曲げながら、右腕を自身の胸の前で小さく薙いだ。
直後、その直線状にいた【グランベオ】の胴体が上下に切断される。
今度は悲鳴を上げることすら叶わず、【グランベオ】は絶命した。
あまりに一瞬で一方的な戦闘だった。最早戦闘というのも違う気さえしてくる。
それは本当に事務的な処理と表現すべき、圧倒的な光景だった。
先ほどまでの荒々しさが嘘のように、ピクリとも動かなくなった魔物を、無機質な表情で見下ろすレイを、他の3人はただ茫然と見つめることしかできなかった。
――ただ、サラだけは驚愕の中にあってなお、このレイの姿に明確な既視感を憶え、何かを確信していた。
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結局、その後は《発光魔法筒》の発動を確認して現場に急行した教師たちにより、事態の聴取と事後処理がなされることになった。
あまりにも想定外な状況のため、演習自体を中断すべきとの声も挙がったが、散り散りになっている生徒達に混乱が伝搬し、事態が悪化することを恐れ、結局は続行されることになった。
何はともあれ、レイたちは現場を教師たちに預け、演習を再開したのだった。
「結局、ネイトたちは戻ってこなかったな」
「あんな逃げ方をしたんだ。戻れはしないだろう」
ラルフのぼやきに対して、レイが応える。
「ねぇサラ、さっきの魔法なんだけどやっぱりあれって…?」
「…えぇ、そうよ。聖魔法を使ったわ」
戦闘中のやり取りを再開したシェレンに、サラはあっさりと事実を認める。
――聖魔法。【魔】を退ける最強の系統であり、魔物を倒すための最も有効な魔法と言われているが、適正を示す者はほとんど存在しないとされる。
過去を含めて確認されている使用者も、フォーレス初代国王のシエン・ソルフォード(故人)と、現フォーレスで最強の魔法師と謳われ、七星の序列No.1に君臨する、セリス・シャーロットの2名だけだ。
「聖魔法!?それって『女神』だけが使える最強魔法じゃないか」
しかし、真っ先に反応を示したのはラルフだった。
「ラルフ君、セリスの前でその呼び方をすると怒られますよ」
「いや、会える機会なんて無いと思うがよ……」
思わぬお小言に、さすがのラルフも尻込みしながらも、それは実現しないと苦笑する。
「でも、本当に聖魔法が使えるんだとしたら、それってかなりすごいことじゃない」
「そうね、特異なのは認識してる。だからこそ、このことは内密にしてもらえないかしら」
サラのお願いは、3人にあっさりと受け入れられた。
当事者が王女様というだけで、この事実が漏えいする危険性を理解するのは難しくなかった。




