第四話
母の元を訪ねてからひと月半が経った。結局あの時の帰省では杖の出自以外に有益な情報は得られなかった。樹も杖の効力で消えたまま帰ってこない。それでも私はこれまでと同じ生活を続けている。変わったのは杖を母に預けたことと、樹が消えてしまっていることだけだ。その彼のことも、あの杖が原因で消えたのだったら彼が望んだことだし、だったら無理やり見つけ出して連れ戻すというのも迷惑なのかもしれない、そう思ってしまっている。過程は特殊であるものの、逃げた男と捨てられた女、よくある話だ。ただ、もう一度会って話がしたかった。
「ただいまー。」
誰もいない空間に声をかけながら玄関を開ける。習慣はそう変わらないし、今は変えたくもない。靴を適当に脱ぎ捨てて家に上がる。玄関の金魚は私と違って元気だ。金魚鉢の中を泳ぎ回っている。夜の分の餌を水面に落とすとすぐさま食いついた。
家の中はあまり綺麗とは言えない状態だった。玄関には靴が何足も出しっぱなしだし、机の上には飲み終わったビールやドリンク剤が放置されている。もちろん干し終わった洗濯物は畳んでないし、トイレには黒い輪が居座っている。私は自分がキチンとした人間だとずっと思っていたが、そうでもないらしい。むしろ根は無精で、誰も見ていないなら平気で手を抜く人間のようだ。現金だな、と思いながら上着を脱いでソファーに投げる。朝炊いたお米が残っているから何か作らないといけない。適当に野菜を見繕って取り出す。そのついでに今日もまた缶ビールを取り出してしまう。だめだな、とは思うがお酒を片手に料理をするのは少し楽しい。それに、飲まずに家にいると泣いてしまいそうになる。
完成した何味かも分からない野菜炒めと、これまた何味かも分からないお米でお腹を満たす。たぶんおいしくはない。テレビはずっと何かを喋っているが、どの言葉も私の頭までは届かない。唯一、探偵事務所という言葉は少し引っかかったが、今回のことは探偵よりも魔術師だとか超宇宙的な存在の眷属だとか、そういった者に相談するべきことのように思う。そんな人物がいるのかどうかは知らないが。
食べ終える頃には丁度良く酔っていた。もう一本か二本飲んだら寝よう。そう決めて、とりあえず足取りがはっきりしている内に皿と茶碗を片付ける。その流れで冷蔵庫からビールとつまめそうなものを取り出してドアを閉めた。昨日買った総菜の残りしかなかったが無いよりマシだろう。
ふと、冷蔵庫に張られたカレンダーが目に留まった。最近バタバタしていたからすっかり忘れていたが、今月はいつの予定だったか。予定通りならそろそろだと思い、とりあえず先月の記憶を辿るがうまく思い出せない。カバンから手帳を取り出して確認するが、そこにも先月分の記録は無かった。頭から血の気が引いていく。手帳には毎月必ず記録をつけるようにしておいたはずなのだが、忘れてしまったのだろうか。やはり、みんな使っているようなアプリで管理する方がよいのだろうか。でも、自分は機械が苦手だから手帳の方が合っている気がするし、今回のこともただストレスでずれただけかもしれないし、気にしすぎるのも良くない気がするし、でも今までこんなに予定日からずれたことはなかったし。余計なことばかり頭に思い浮かんでしまうが、確実に先月から生理が来ていない。どうしてこんな時に、ついそう思ってしまった。